第256話
中尊寺と書かれた山門をくぐると、内部には天然の石を彫った手水舎(てみずや)と線香を供える香炉(こうろ)、それからいくらかの植木と、甲冑に身を包んだ数人の武士が、全員土下座した状態で待ち構えていた。
これでもかと額を地面に押し付けるスーパー土下座状態で。
「え……?」
「ままま、お顔を隠しください殿下。彼らは"そういう時代"の出身なのです、ご存知でしょう?平安時代の貴族の生活」
「ああ……いやどうしろと?御簾(みす)の向こうに引っ込めと?」
源氏物語というのを知っているだろうか、日本最古のライトノベルとも称されるこれによると貴族の女性はみだりに男性へ顔を晒してはならないものであり、さらにスズは皇族である。本来なら「こんな野外で顔を見せるなどはしたない!」などという現代人が聞いたら「(゜Д゜)ハァ?」と言うしかない理由で罵倒されるところだったが、天皇の娘という一点がそれを逆転させていて、つまり彼らはスズの顔を見ない為に土下座しているのだ。
という訳で、屋内にこもって歌でもしたためてる訳にはいかないスズは叫ぶ。
「顔を上げろ!!用があるなら目を見て話せ!!」
時代が違うのだ、今の皇族というものは言ってしまえば広告塔、見られてナンボのものである。言った途端に土下座していたほぼ全員は慌てて上半身を起こしたが、最奥の1人だけは姿勢を崩さなかったため、息を吐きつつ、カノンを引き連れそいつの前へ。
見事な鍬形(くわがた)の兜を横に置き、赤い大鎧と太刀、脇差を身に付けた、長髪で、20代中頃の男性だ。寺院内に設置された陣の状況からしてこの軍勢の大将と思われる彼は眼前に立ってもピクリとすら動かず、しゃがんで「おーい?」とか言ってみてもそれは変わらなかった。「もしかして踏んで欲しいのでは?」なんて呟くカノンはひっぱたいておいて、仕方なし、もう少し姫様モードを継続する。
「そこの武士、名を名乗れ」
「は。河内源氏、義朝(よしとも)が九男、九郎。後世には義経(よしつね)の名で伝わっておりまする」
「何故顔を上げない」
「許しを請わねばなりませぬ」
源義経、平安時代最末期を生きた武将。説明は、まぁ不要であろう。
彼がこの階層における最大の協力者、彼の協力なくしてここの突破はあり得ない。いや何をするのかスズはまだ教えられていないのだが、ザコを蹴り飛ばして進撃しボスを打倒っていうのは変わりなかろう。
「私はあの壇ノ浦にて勝利を収めました、それが必要であった事は歴史が証明しております。しかし、だとしても…私の性急に過ぎる攻めが言仁(ときひと)様を、殿下の先祖様を死に追いやったのは事実…!」
「お…おぉ…?」
「此度は僅かなりとも償いとなればと馳せ参じました!しかし許されぬならば今すぐにこの腹を切り!」
「おおおおぉぉ待った待った待った待った!?」
そんな事に何の意味があるのかね、だってもう死んでんじゃん、というセリフを後ろのオレンジが吐く中、がばりと起き上がって太刀を引き抜いちゃったりなんかしている義経を取り押さえる。
もう死んでる、という事はここにいる全員死人か、昔の死人を呼びつけて協力させているのか。なるほどさすがは日本人だ、死んだ後も働くとは。
「そんな大昔の事あたしに言ってもしょうがないから!今はほら!なんかやるんでしょ!?」
「ああ…そうでございました…!この義経、必ずや殿下を"次"へ送り届けまする…!そしてそののちこの腹を!!」
「だから!!!!」
結局、相当な業物らしき太刀を取り上げて、すぐ近くでわたわたしていた巨体の僧兵へ押し付け、十数分かけてスズの時代の価値観を説教紛いに説明。「承知致しました……」と言ってようやく、といってもまだ地べたに正座であるが、顔を上げたのでひとまず落ち着いて彼から離れた。そしたらカノンがゴザに落ち着いてのほほんとお茶飲んでたので脱力、まぁまぁと手招きしてきたので隣に座る。
ちなみに切腹とは"刃物を用い、自らの意思によって行う自殺"の事である。時たま上司から命じられる場合もあるが、それにおいても「切腹を許す」という表現がなされる。というのも切腹それ自体は不始末の責任を自身で取る覚悟を見せ、自分の名誉を守る為のもので、特に刑罰としての切腹が確立した江戸時代以降、単に腹を裂いただけでは自刃(じじん)と呼ばれる。この源義経は平安時代末期の人物、当時切腹はあまりメジャーではなく様々な自殺方法があったが、ともかく自殺=名誉との考えには変わりない、キリスト教徒が聞いたら絶句しそうな話だ。
あとついでに、腹裂いた後の苦痛を止める為の介錯人が付いたのはやはり江戸時代、それ以前は裂きっぱなしである。それだけならまだしも十字に切るだとか、内臓引きずり出すだとか、もう調べてるだけでなんかキュッとする、キュッと。
「まず……この空間、これは実験場だ」
「実験場?」
「今のコノハナサクヤは狂っている、どうして狂ったのかなんて私の知るところじゃないけど、人類を存続させる為だけのシステムになりつつある。その目的において"最も効率の良い方法"を探し出す為の模索をする場所だ、ここにはね、いろんなものがある」
言って、ずずずと茶を飲み干すカノン。雰囲気からして抹茶でも出てきそうな勢いで、作法守るのめんどくさいなと思ったものの、義経は1189年没、抹茶が中国から伝来したのは1191年の事で、更に茶道の完成は戦国時代の千利休を待たねばならない。スズに差し出されたのは中国から持ち込まれたそのまま、烏龍茶っぽい茶色な液体だった。
「酒もございますが」
この様子じゃ酒ってあれだろ、糖度30超えてるやつだろ、ジャム並に甘い飲み物なんぞ飲めるか。
「探して欲しいものがあってね」
「なに?」
「水晶玉、ガラス玉みたいなやつ。サイズは大ぶりのリンゴくらい、中心部には空洞がある。どうしても見つけて欲しい、でないと私がキミに協力する理由の8割は……いや7……6割くらいにしとこう、6割失われてしまう」
何に使うか、っていうのは言えないけど。お茶のおかわりを貰いつつにまりと笑うカノンには、拒否する理由が無い、というかできないので頷いておく。遅れて近づいてきた義経も(ゴザには乗ろうとしないが)横に座り、「でこの場所は?」とようやく問う。
「仮想空間第二層にございます、この空間自体が意思のようなものを持っており、現在、そのほとんどはその者と神器によって押さえられておりますが、殿下が次の階層へ向かうには"敵軍勢"を打ち破りこれを調伏する事が条件となります。それは間違いありませぬが…もうひとつ許しを請わねばなりません、私などが協力したが為に、ここはこのような変質をしてしまい……」
「……つまり?」
「西暦にして1189、史実での源義経の死より4ヶ月後の奥州となりまする。殿下のお耳に入れるべき事ではない為割愛いたしますが、つまり、今私の下には17万の奥州軍があり、そして南からは28万の鎌倉軍が迫っております。私がここに居るせいでこの状況が生まれたならば、源頼朝(みなもとのよりとも)の打倒、これが殿下が次へ行く条件となりましょう」
いわゆる奥州合戦と呼ばれる戦いである、これの終結をもって鎌倉に敵対する勢力は(天皇家以外)いなくなり、鎌倉時代が到来することとなる。なお鎌倉幕府の創設時期については諸説あり、古くから教科書に載っていた1192年は源頼朝が征夷大将軍に任命された年、最近よく言われる1185年は壇ノ浦で勝って一定以上の自治権を認められた年、1183年は東国を支配する許しを得た年である。あまり主流ではないようだが1221年に天皇家をぶちのめして本当に敵がいなくなった頃を真の成立とする考えもあるそう。
「わかりますね?我々は負ける側です、これを覆さねばなりませぬ」
「なるほど…めんどくさそ……」
「申し訳ありません……」
と、丁度話し終えたかどうかのタイミングで周りが騒ぎ始めた。「義経様ぁ!」「騒ぐな弁慶!」とかいうのをやった後、南西方向の空に上がった黒煙、狼煙を彼は見上げる。
「会敵致しました、私は前線へ向かいます」
御免、と言い残して義経は走り去っていく。落ち着きのない僧兵もそれを追い、やや遅れて2人はゴザから立ち上がる。
「どうする?」
「手伝うしかないでしょ」
不確定要素既にありとは言っても勝てる要素が無いから史実では負けたのだ、指揮官が多少優秀になったくらいでひっくり返すのは難しい。しかしこの時代においてはまだまだ魔法魔術は科学より圧倒的優位にある、2人で突っ込めば天秤を傾けるくらい造作もなかろう。
「忘れないでね、ガラス玉だよ?」
「はいはい」
一気に飲み干した湯のみを置いて
スズは彼らの後を追う。
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