第230話

瑞羽大樹最下層、防衛隊詰所に相当する建物。時計の針は長短どちらとも12を指して、日付が変わった事を伝えている。

自力歩行もできないほど潰れた日依をここに移してからは5時間ほど経過したろうか、とりあえず床に寝かせて様子を見ていたが、しばらくしたら彼女の親友を自称するピンク頭の赤縁メガネな兎耳が現れた。聞けばすぐ近くに自宅があるという、この大迷宮内部に自宅…?と思いながらも意識の判然としない日依が辛うじて彼女の名前を絞り出したため、知り合いなのは確実だろうと身柄を預ける。ちゃんとした布団かベッドで休ませるべく日依を背負っていった彼女を見届け、その後水蓮は防衛隊の無線機を借用し潜伏待機する工作部隊と暗号による連絡を試みる。意図と目的を伝えるのに30分ほど使ったろうか、最後にゴーサインを出して交信を終了、詰所から出る。若さに任せた回復力か、骨折を2日で治すトンデモ能力の延長か、ドアを閉じた瞬間あっという間に復活した日依(黒マント装備)が走り戻ってきて「ふざけんな!!もうちょっとでお嫁に行けなくなるとこだったろうが!!」などと言いながら水蓮をひっぱたいてきた。なんのこっちゃわからなかったがとにかく高層にある防衛隊本部まで自力で迎えるようにはなったので、特に付き添いも付けずエレベーターへ歩いていく日依を見送る。


「なんでこんな所に住んでるの?」


「安い、の一言に尽きる。夏場は辛いがの、意外といけるぞ、限界を感じたら海に飛び込めば良い」


近海を埋め尽くす軍艦の照明を眺めながら七海(ななみ)というらしい垂れ耳ピンク兎は言う。なるほど確かに足場から1歩踏み出せば海中だ、本当にやったら衣服が塩水まみれになるだろうがそこはそれ、水着着るなり足だけ浸けるなりすればいい。


「大事になってきた、最初はたった1人を匿っているだけだったのじゃがな」


「ごめんなさい、すぐに終わらせるから」


「いやなに、遅かれ早かれ起きた事だとは理解しとる」


赤と緑のキャミソールワンピースにTシャツを重ねた格好は寝巻きにはとても見えず、ウサギって夜行性だったかと考えるも、原因は間違いなくアレであろう、港と艦隊と、絶え間なく両者を往復する小型船は周囲を明るく照らしており、これは寝るには適さない。


「む……」


コンクリートの足場を鳴らす足音がもうひとつ、七海と水蓮が同時に目を移せば海軍礼服の男が1人、連れも無しに暗闇から姿を現わす所だった。手に提げているバスケットは果物の詰め合わせか何かか、どうも日依の見舞いに来たようだが、既に本人は回復して上がっていってしまった。その旨を伝えるとアーノルドはやや安堵したような息を吐き、しかし無表情を保ったままバスケットを水蓮へ。


「重ね重ね申し訳ありません、まさかあれほど歳の若い方とは露とも」


「いえ、お気になさらず、慣れているでしょうし」


どうやらあのドレスは外見を騙すという目的を完全に達成したようである、見方を変えれば仇となったともいえるが。丁寧としか言えない口調と仕草で謝罪する彼に返すと、注意は隣の兎耳に移った。一体何を考えているのか、値踏みするかの如く顔を寄せ笑う七海には明らかにたじろぎ、とりあえず会釈。


「民間人らしいです」


「民間人……」


見えないが、無垢な民衆にはまったく。


「ご迷惑をおかけしております、明日…いえ本日の夕刻には出立しますので、それまではどうか」


「構わぬよ、この程度を気にする輩はそもこんな場所に住まぬだろうし。しかし、なるほど、なるほど。お主は何を目的にここへ来た?」


ピクリとアーノルドが眉を動かす、変わらず笑う七海を見つめる。


「圧政を敷いている者がいると聞きました、それから貴女方を解放する為に」


「ふむ」


「ここは一種の治外法権ですが、ひとつ隣に行くだけで酷い有様だと。許せないでしょう?そのような事は」


「すまぬな、そういう話に口を出していい立場に無い。兎は献身者である故、成そうとする者は止めん。それが葛葉(あれ)のような者であれ、お主のような者であれ」


何か含みのある言い方だったが、2人の会話はそれで終わった。ただ去り際に何か耳打ちしていた、水蓮にはほとんど聞こえなかったが、一言だけ、「懲罰者にはなりとうない」などと言っていたような。


「…………では私は戻ります、明日に備えねばならないので」


「ええ、お休みなさい」


何か引っかかりを覚えるも、その時は大して気にもせず、休まねばならないのはこちらも同じなので、

会釈し去っていく彼に水蓮も背を向ける。

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