第231話

「なんで私まで……」


「暗殺の標的になるのは最も位の高い者というのが常ですからな。実際、前回は真っ先に狙われたんでしょう?」


たかだか前弩級戦艦の改装とは思えないほど設備と資材と人員を叩き込んだ造船所の全力投球により、予定通り1ヶ月の工期で主砲換装と副兵装変更を終え出渠した三笠艦内にて、サブマシンガンを構える2人の士官、及び穂高艦長に守られながら、ハンドガンを握る雪音は長官公室を出る。胸元から上をすっぱり切り落とした藍染の着物と半脱ぎの羽織は両肩を露出させ、ただ背中だけは身長に比肩する長い長い青色の髪が隠している。両手で握り、即時発射可能な状態にあるハンドガンは黒いフレームに黄色のスライド、殺傷能力は無く、サブマシンガン含め弾倉に詰められているのは水溶性ペイント弾だ。射程30m程度、当たると地味に痛く、着ている服が黄色に染まる。即ち、染物の着物を着る雪音が絶対に撃たれてはいけないものである。


「それにいい加減、100メートル先の的にライフル弾を当てられないってのも直すべきだと思いますがね」


言われながら廊下に出て、改装明けにも関わらず大して変わり映えしない廊下をゆっくり、慎重に進んでいく。劇的に変化したのは外観だ、塗装も塗り直したばかりだったし、艦内に生じた変化といえば主砲の真下にある装填機構と弾薬庫の内容物、空調設備の増強、それから何故か瑞羽大樹の造船企業から寄付された自動おにぎり製造機なるものが烹炊室に置かれた程度、雪音が違いを感じるものではない、主計科は飛び上がって喜んでいたが。

その代わり艦外はすごい、上甲板を防護する形で覆っていた天蓋兼小舟置き場をまるっと取り払い、並んでいた7.6cm砲もすべてを撤去。空いたスペースに射程威力とも大きく勝る8.8cm高射砲を特注砲架に乗せ、防弾板で覆ったものを8基設置した。置き場を失った小舟達が隙間という隙間に詰められているのがやや気に食わないが仕方ない、無事戻って来れたらその時改めて手を加えればよし、さもなければ、特に何か考える必要は無い。


「私はね、そんな事する暇があったら卓上演習してたの、余った時間は将棋指してたの。自分が駒のひとつになる想定なんて……」


「えぇ…まぁ、そうでしょうが。しかしそうなると、遊ぶ時間はいかほど?」


「……少しくらいはあったわよ」


そして何よりも重要なのは主砲だ、砲身が伸びた事により発射時の火薬量を増やす事ができ、さらに仰角の引き上げにより最大射程は13kmから一気に20kmを超えた。それを運用するべくミリタリーマスト上に観測台を設置、艦橋と電話線を繋ぎ、更にアリシアお手製の射撃管制ソフトが入るパソコンを導入した。目標の距離、速度、移動方向等は相変わらず人力観測のため劇的な命中精度向上とはならないものの、それでも超弩級艦と一応撃ち合える性能を手にしたのは違いない。1ヶ月でこれだけやったらおそらく不具合が起きる、というか起きなければおかしいが、数度の試射では性能良好、後は実戦で使ってみなければ何がどうなるかはとても。


「……そんな事より、準備は順調なのかしら。ここ数日艦隊に付きっきりで姫様の顔も拝めないのだけど」


「あなたが知らん事を私が知ってる訳がありませんが、ただドックで少しだけ耳にしました。物理的ではなく精神的に勝利する手を練っているとか、登谷 秋菜という大尉主導で、いや厳密には元大尉と言えましょうが」



「…………あき……な…?」


その単語が出た瞬間、渋い顔をしていた雪音の表情は一転、まず理解が及ばないかのようなポカン顔となり


「ああいえ、あなたの方がよく知っている筈ですな、なにせ同い年……」


次にハンドガンを手放した左手を額に当て


「入隊式…強制退席…連帯責任…うっ!頭が…!!」


「提督!?」


そしてその場で両膝をついた。いきなりの事態に狼狽える艦長達が雪音を取り囲み「一体何が!?」とか言った頃、廊下の少し先でトスリと人間の着地したらしき音が鳴り、次いでカツンと空き缶が投げ捨てられたような音。まずいふざけている場合ではなかった、と咄嗟に顔を上げれば、安全ピンの抜かれた、円柱形の容器に紫色のラインが引かれたスモークグレネードが足元まで転がってきた。


「送風機始動!!中甲板後部!!」


紫色の煙がそれから溢れてくるより早く艦長が無線機に叫ぶ、コンマ数秒の遅れで強烈な空気の流れが廊下に発生し、噴出した煙を艦外へ追い出していく。

これは訓練だ、前回、葛葉の幻術により艦の全機能を奪われた際の状況を想定している。皇室様方の協力によりあの霧を研究したところ判明したのはふたつ、ガスマスクは意味が無いが、風にはちゃんと流される。


「スタンウォークから脱出する!ハシゴを下ろしておけ!提督こちらへったっ…あぁっ!」


前回の戦闘で受けた頭の傷が、とかでは無いだろう、アリシアの処置は完璧である。瞬殺されたのは相手がどこにいるかわからないからだ、来た道を戻って最後部の雪音専用ベランダから外に出ようと判断した瞬間、視界の端にほんの僅かな時間だけオレンジ色の着物が見切れたと思うや彼の胸にべちん!とペイント弾が命中した。小さく円形の黄色い染みが軍服にできた途端彼はすべての行動を中止、苦笑いしながら両手を上へ。


「すみません……」


「艦長が死亡!これより副艦長が全権を代行なさい!繰り返す!艦長が死亡!」


士官2人のサブマシンガンが何も無い廊下に制圧射撃を行っている間、雪音は艦長から無線機をひったくってそう宣言、スタンウォークは駄目だと判断し急速に煙の弱まりつつあるスモークグレネードを飛び越えた。上甲板への階段は目と鼻の先だ、風上に向かおうとする三笠の回頭による慣性を感じつつ駆け上がる。


「ああ…ハズレ引いた……」


青空の下に出るや、既に何度も同じ訓練をこなしている士官がぽつりと呟く。

天蓋を撤去し一段低くなった事でさっぱりしたような、通路のスペースを確保しつつ小舟と内火艇を並べている為に雑然となったような、そんな上甲板に出るとすぐさま艦尾でドロンと鳴る。現れたのは窮奇(きゅうき)という中国由来の怪物だ、体長3m程度ある有翼の虎で、唸りながら牙を剥き、背中の翼をばさりと鳴らしている。このタイミングで何が出てくるかは彼女の気分であるが、とりあえず混沌(こんとん)、饕餮(とうてつ)、檮杌(とうこつ)とコレからなる四凶の中では最もやり辛い相手だそう。具体的に何がやり辛いかというと、速い。


「宝石!っ…!」


懐から取り出した宝石、の代わりのスタングレネードを投げようとするも、安全ピンを抜く前に雪音の左にいた士官が轢き倒された。訓練といえどしっかり痛いだろう虎の体当たりに士官は叫び、甲板に転がりながらも両手を上げる。窮奇は跳ねるような走行で後部艦橋を反時計回りに回り、減速せず艦首方向から再びの突撃。


「救援要請!上甲板後部!」


『艦内応答無し、既に制圧された模様』


「え!?何それ聞いてない!!」


思わず叫んでしまったが、直後に続いたのは「あ、はい出た」というぼやきである。常日頃の訓練で雪音も多用していた、自身で喰らうのは久しぶりだが。要するに、予定に無い無茶振りを叩きつけて非常時の判断力や混乱状態からの復帰速度を鍛えるのだ。


「もう!」


虎の鼻面にスタングレネードを投げる、2番主砲の影に隠れる。目と耳を機能停止に追い込むほどの光と音に窮奇は突撃を中止し、間髪入れずもう1人の士官と共に影から飛び出した。しかし視覚と聴覚を失い立ち止まっていなければならない筈の彼女はそこにおらず、ペイント弾を撃ち込んでやるつもりが逆に士官の額が黄色く染まる。あ、まずいこれ訓練終了後に立たされるか腕立て伏せかケツバットのやつだ、と直感してすぐ、雪音はその場に押し倒された。


「提督サン、保った秒数なら最下位デス」


「でしょうね……」


馬乗りになった小毬(こまり)にハンドガンを突きつけられれば終了、前部艦橋の方向でホイッスルが鳴る。

立ち上がった彼女はオレンジの着物を着ていたが、正直雪音の肩出しファッションがマトモに見えるほど原形を留めていなかった。ぱっと見の印象はチャイナドレス、丈は膝上までで、左側に下着が見えるか見えないかうーん絶妙に見えない感じのスリットが入る。それ自体に袖は無いが上から長袖の羽織を重ねており、ただこちらも丈が妙に短く、帯もボタンも無しに羽織っているだけ。それ以外には飾りの嵐だ、腰にポーチ追加可能なベルトがあったり、胸を強調するべくベルトで締めていたり、腕に意味無くベルトが巻きつけてあったり、飾りというかベルトの嵐。足元は足袋のような、しかし静粛性最重視ながら靴底のちゃんと付くもので、それとオーバーニーソックスを組み合わせ、結果的に肌が露出するのは左太もも側面のみ、なおこのオーバーニーソにもベルトが付く。それから一応言うが、上座に座るの想定しろっつってたのにこの公の場では絶対通じそうにない服、ただの布でしかない反物から完全手作業で切り貼り縫い上げたメイドインアリシアである。


「やっちまったな」


「……救援無しはあんまりじゃありませんこと?」


のんびり歩いて現れた天皇陛下に雪音は上体を起こしつつ睨む。前回までは上甲板へ出れば必ず救援が現れて制圧射撃を提供してくれた。怪物相手にたった4人で何をしろと言うのか。


「ああ、指揮権を受け取った副艦長が慌てふためいたもんで、そこへのペナルティとして”対応が遅れたせいで霧が充満した”っつー事とした。ルールとしては適切だったが…あれなら現場に居て状況を正確に把握してるお前が自分で指揮するべきだろう。言いたかねぇけどあいつ……凡人だからな」


前部艦橋を流し見る嘉明の言い分はもっともすぎる、おかげでぐうの音も出ない。なんだよちゃんと仕事できるじゃないか、女の尻に手を伸ばすくらいしか能が無いと思っていた。


「海上訓練はこれでいいだろ、港へ戻って、投錨停泊中の想定をするぞ。狸、まだできるか?」


「休憩クダサイ……」


「じゃあその前に昼飯だな」


手を伸ばしてきたのでそれを握って立ち上がる。相変わらず苦笑いしたままの穂高艦長が上甲板に出てきて、入れ替わりで下向き茶黒な1本尻尾を揺らす小毬が艦内へ降りていった。それを眺めた後、溜息を吐いた雪音は「で」とまず漏らし。


「その手、私を触ろうとしてるなら斬り落としますけどよろしいですわね?」


尻ににじり寄っていた右手がビクリと震える。

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