第193話
敵が友となる時、敵を滅ぼしたと言えないかね?
ーエイブラハム・リンカーン
「……」
「……………」
アリエスはしゃがみこんで廊下の隅をじっと見つめていた。正面には同じくしゃがんで俯くフェイがおり、耐Gスーツを脱いだダボダボセーターとフレアスカート+黒タイツという格好で物珍しげに廊下の落下物を観察している。
ここは隠れ家の廊下、司令部区画から居住区画へ向かう途中にあるシャワールーム前の廊下だ。アリエスから見て右横のドアの先の脱衣所の更に先では現在スズが隕石片混じりの粉塵で溢れる屋外を走り回ったり灰色の雪に寝転がったりしたおかげで体中にこびり付いた埃や新陳代謝による汚れを落とす為の液体洗浄、一言で言えばシャワーを浴びている最中、アリエスの耳にはお湯の流れる音が絶えず聞こえている。
「……刀?」
「カタナと聞いて」
「そっちじゃない」
丁度近くを通りかかったのだろう、シンプルなワンピースを着て、洗濯し終えた衣類を腕にかけるフェルトが曲がり角からひょいと現れた。「まぁ私はホンダだけど」と言いつつ、しゃがむフェイの肩に手を乗せ同じものを覗き込む。
「なんか音しなかったぁ?」
「した」
「確かに”固いものが床に叩きつけられる音”がこのあたりでしました、私はただ着替えを持ってきただけですけど」
緩やかな曲線を持つ緑色の刃物だった、全長65cm、うち15cmが柄で、フィンガーチャンネルの形状からしても両手持ちは考慮されていない。刀身根元には節がいくつか、その部分だけは刃の形状がノコギリ状でロープとか切るのに役立ちそうだ。節から先端までは普通の刃が伸びるが、日本刀ほど薄く細くはなく、通常ならかなりの重量を持つだろうが、これは鉄を精錬した刃ではなく鉱物を削り出した刃、玉鋼くらいの質量があるとはとても思えない。
という感じのヘンテコな刀が、床に若干傷を残して転がっているのだ。
「翡翠(ヒスイ)に見える。糸魚川(いといがわ)産?メイドインチャイナ?」
「中国で産出されるのは軟玉、ネフライトという別物です。硬玉(ジェダイト)であるなら日本かミャンマー産でしょうけど」
「いくらするのぉ?」
「うーん…不透明でやや白っぽいですね……3キログラムあると仮定して30万円から35万円くらいが材料自体の価格、それに加工費用が加わる感じでしょう。これが透き通った真緑の最高級品(インペリアルジェイド)なら100万は下らないでしょうが」
あくまで目安である、宝石の鑑定は非常に難しく、単純に”大きい”というだけでも価値は上がっていく。一番手っ取り早いのは持ち主に購入価格を聞く事だが、流通ルートによってはぼったくられている可能性は高い。まだ持ち主は確定していないものの、シャワールームの前、今までこんなものは存在しなかった、彼女は物理的にありえないサイズの物をいくつか隠し持っている、以上の点から見てスズのものである事は間違いなかろう。
「……何故?」
シャワー浴びる為に外したなら脱衣所に置いておけばいい、どうしてこんなわかりやすい貴重品を廊下なのか。しかも置き方がかなり乱暴だ、上から下へ叩き落としている。
脱衣所に問題があったとか?
「見てくる」
アリエスがずっと抱えていた黒のTシャツとデニムのショートパンツ、ジャージ素材のパーカー、それからバスタオルをフェイが受け取り、そして何故かスズに気付かれないようそろーっと脱衣所へ入っていった。その間アリエスとフェルトはそのまま待つが、何か、謎の視線を感じて同時に刀を見つめ直す。
「?」
「……?」
他には誰もいない、シオンは布団の上でだらけきった姿勢を取りながらも戦闘指揮所でロシア軍のコネと通信しているし、ヒナは既に就寝、メルは一度寝たのだが「寝返りエルボー叩き込んできよった……」とか言いながら出てきてシオンを補助している。というか今の視線は明らかにコレから送られてきた、この翡翠の塊から。
「淡い黄色で上から3番目だった」
「一体何を見てきたんです?」
こっそり忍び込んでると思ったら、弱ったように眉を寄せてフェイが戻ってくるのを見届ける。脱衣所に問題は無し、下着ほっぽり出してるんだから穴が開いてるとかではなかろう。「え、中尉それビリ誰?」「わざわざ聞きたいの?」という2人の会話はいいとして。
まとめると、スズは一度そのまま脱衣所に入った、しかし何らかの理由があって廊下へ繋がるあのドアを開け、この翡翠刀だけをここへ置いて、いやぶん投げて脱衣所へ戻っていった。となるとそのままにしておくべきだろうか、理由はどうあれ宝石の塊だから相応の場所へ移すべきか。
「とりあえず、ちょっと拝見させて貰ってぇ……」
刃物、という点で琴線に触れたらしい、洗濯物の中から取り出したタクティカルグローブ(指の関節がプラスチックで防護されてる、殴られるとクソ痛い)を両手にはめ、フェルトは右手で柄を、左手で刀身中部を慎重に掴む。高く持ち上げることはせず、落としても傷が付かなそうな位置で表を眺めて、次に裏返して、そうしたらまた床に置き、斬れ味を確かめるように刃を中部から切っ先へ向け左手人差し指でつーっとなぞった
『うひぃっ!?』
直後、何かその場の誰のものでもない声が聞こえた為にずざっ!と3人同時にそこから飛び退く。アリエスは胸に手を当て、フェイは壁に両手をつき、どっから取り出したのかフェルトはナイフを逆手に握ってクラウチングスタートっぽい姿勢。
「脅かすのやめてぇ……」
「アリエス」
「違いますよ、男性の声だったじゃないですか」
「そう?男の人にしてはだいぶナヨナヨしてたけど」
翡翠刀は動かない、明らかに自分で跳ねたが床に転がるそれは今は沈黙している。とりあえずしまえとフェイが指差し、ワンピース裏の太ももに括り付けられてた鞘にナイフは戻る。その後3人同時に元の意味まで戻って、3人同時につこつこつついてみるも反応は無し。しかし客観的に見て非常にシュールだ、周りに誰もいないのが幸いである。
「あ、こうですか?」
ふと思い立ち、峰の部分を指でなぞってみた。そうしたら声は上がらなかったが僅かに震え、また揃って飛びずさる。
「生きてるなぁ!?」
「バイブレーター入ってるだけだと思うけど、とりあえずナイフしまって」
「え、でも継ぎ目ありませんよ、削り出し加工です。中に何か入ってるはずない」
と、そこでいきなりシャワーの音が止んだ。2人は気付かなかったが、続く引き戸の開く音、用意したバスタオルを引っ掴む音で脱衣所へ続くドアへ目を移す。どすんばたん大急ぎで服を着る間に「やばい」とか言いながらこちらも大急ぎで立ち上がり、散らばってた洗濯物を集め、そして何か申し合わせた訳でもなくお嬢様を出迎えるメイドが如く左右に並ぶ。
「「お帰りなさいませ」」
「ちょっとごめ……うわなんだ…?いやまぁいいや、それよりごめんね、いくら触ってもいいけどその前に」
頭にタオルを巻きつけ、全身から湯気を立てながらスズは出てきた。「服ありがと」と言う彼女の顔は生暖かい笑顔をしていて、翡翠刀の柄を左手で握り、持ち上げ、表情そのままでじっと見つめ出す。しかしそれも数秒、アリエスに端へ寄るようジェスチャーを送って、いきなり鬼の形相に変わるやそれを振り下ろし、勢い任せに背後で振り上げ、同時に浮かせた右足で踏み込む豪快な投球フォームで
「なぁにが”違う”んじゃこの面食いど変態がああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
『やめて!!』
廊下の遥か先までぶん投げた。
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