第183話
武器を使用するのを厭う者はそれを厭わぬ者によって必ず征服される。
ーカール・フォン・クラウゼウィッツ
前日に比べてその日は幾分か明るかった、上空の雲が薄いからかもしれない。付け加え厚い生地の衣服とニニギのサポートもあって寒さはあまり感じず、積もった雪の上にうつ伏せで寝転がっても震えなくて済む程。
『マジか?確かに聞いたのかよ』
『又聞きだから詳しくはわからんがな、司令部は既に対核攻撃体勢、お抱えの精鋭様方も一斉に地上から姿を消したらしい。将軍はひどく焦った感じで説明を求めてたが、現状の防衛線を維持し続けろとしか言われなかったんだと』
集音器付きのヘッドセットは50m先で噂話をする中国軍歩兵の声を事細かに捉えている。通信機一体型、胸につけたボタンを押せば味方と双方向通信で会話でき、今のように人の声や足音は増幅するが、一定以上の音量、例えば銃声なんかはむしろ減殺するというハイテクすぎて理解できないマイク付きヘッドホンである。「これ耳に付けてね、…耳?…耳!?あ、なんだ……いや耳が邪魔!?」とか言われたがそれはいいとして。
『核戦争を始めるつもり、って事なんだろうな。元々こんな有様で、欧米露に攻め込まれて国土はメチャクチャ、そこに放射能汚染が追加されたって大したことじゃない。むしろ我慢した方だと思うよ俺は』
『おいおいどうしてそんな冷静なんだよお前、このままだと俺ら死ぬんだぞ』
『スタンバイ』
『冷静っつーか、もうどうにでもなれって感じ?』
枯れ果てた木々の合間、1丁の重機関銃が設置されたその陣地には8人の兵士がいるが、彼らの任務は包囲網の内側にいる米軍部隊の監視であり、外側からの攻撃は想定していない。重機関銃はスズとは反対方向へ設置され、6人がそれの周囲で伏せたり白い布を被ったりしていて、外側を見ているのはアサルトライフルを携えながら会話する2人だけである。既に片方はサブマシンガンのホロサイトが投影するサークルドット越しに視界中央へ捉えていて、その状態を維持しつつ、木の影で足を曲げやや横向きに寝そべる体を身じろぎさせる。
「んっ……」
『スタンバイ』
白い息が出る、サイトの向こうの彼らは突っ立ったまま。
『外に出てたら絶対死ぬって訳じゃないだろうさ、ヒロシマナガサキにも生存者はいるし、そもそも、我が国の数少ない核シェルターに俺らの席はない』
『あぁ…そうだよなぁ……バーベキューもハンバーガーも全然羨ましくないけどそこだけはアメリカがなぁ……あ、そうだ。戦局が悪いから核攻撃に踏み切るんだよな、だったら俺ら通常軍がさっさと奴らを片付けちまえばミサイル撃つ意味なくなるんじゃねえ?』
『やめとけ、戦場で焦ったら終わりだ。昨日の第5機甲隊も、それが敗因なんだろ?』
『レディ』
ずらしていた人差し指を元に戻す、手袋越しにトリガーに触れて。
『なるようにしかなんないよ、というか、例えシェルターに引きこもったとして、何もかも無くなった世界に放り出されるなんて、それも嫌だぞ俺は……』
『ファイア』
ほんの一瞬、トリガーの先のシアーを解放しただけで5発の弾薬が撃発された。薬室に投入された小口径尖頭弾の薬莢後端を撃針がぶっ叩き、そこにあった雷管が火花を放出、火薬に引火するや急速に薬莢内部の気圧が上がっていって、押し出された弾頭はライフリングに食い込みつつ銃身を直進、高速回転を伴って飛び出していく。
『だっ……』
『…は?』
サプレッサーはしっかり機能したが、この至近距離ではあまり実感できないバシン!という音が5回鳴って、歩兵の片割れがつんのめった。何が起きたか理解される前にほんの少し照準をずらし、今度はもっと短くトリガーに触れる。
『なに……!』
『敵襲!ぜんいっ!』
『エイチきゅ!……』
追加した3発でもう片方も倒せばスズの分担は終わり、彼らとは反対側にいた残り6人の兵士達は、スズが何かせずとも次々に沈黙していく。銃声も無く、絶命した兵士の転倒する音だけを響かせながら。
見たことのある、いややったことのある光景である、一番反応の良さそうな奴を背後から一撃で仕留め、気付かれる前に手近な所から斬れるだけ斬り、その後は悲鳴を上げようとする者、この場合は通信機に手をかけた者を優先して、できれば即死させていく。あの時と全く同じ事だ、ただスズは、あれほど淡々と、雑草でも刈り取るかの如く殺して回る事はしなかった。
必要最低限の斬撃である、首を狙うにしても胸を狙うにしても深く斬りつける事はしない、余計な部分に一切触れず頸椎(けいつい)を断ち、胸骨の隙間から心臓を穿つ。そのような正確無比な攻撃を彼女は、まったくの感情を見せず、殺す事しか考えていない鋭く冷たい目で敵を捉え繰り返していく。全滅までそうかからなかった、実時間的には6秒か7秒程度だったろう。まだ生きている兵士が1人もいなくなった後、異様に出血の少ない死体が散らばる中彼女は停止し、黒い刀身のコンバットソードを鞘へ納めながらスズの隠れている方向へと、その貫くような目線を向けた。
「ッ……」
『クリア、出てきていいよー』
見間違いかとも思ってしまうほんの一瞬だけだ、全身が痙攣し、咄嗟にトリガーから指を離した直後には、フェルトはさっきまでのふんわりした口調と表情を取り戻し、その場でぴょこぴょこ跳ねながら手を振っていた。
「ふ…ぅ……」
立ち上がり、50m先へと歩いていく、そうすれば目に入ってくるのはやはり死体、特にスズ自らが射殺し、灰色の雪を赤く塗り替えている2人の。どうという事はない、自分で手にかけるのは久しぶりだというだけで、ここ最近、スズの存在を理由に死んでいった人間はもはや数え切れない。記憶に蓋をして閉じこもるのをやめるのなら、どうしても通らなければならない道。今はただ、こんな潜入行動をピクニック感覚で、しかも誰1人傷付けずこなす小毬に敬服するのみ。
「大丈夫…?」
いくらかの機材と土嚢、重機関銃、テントの張られた陣地にトレッキングブーツを踏み入れれば、まず心配そうにスズの顔を覗き込むフェルトがそう言ってきた。ここまでの防御陣地、監視点はすべて避けてきて、交戦を行なったのはこれが初めてである。察知されないように、というのが第一だろうが、スズを気遣う意味もあったようだ。
「無理しなくていいよ?辛いなら今からでも」
「気にしないで、すぐに慣れるから」
重機関銃の横に立つとそこから先はなだらかな傾斜になっており、ストライカー旅団の立てこもる市街地が一望できた。状態は昨日の燃える街とだいたい同じ、爆撃を受けた部分は崩壊し、いくつかのビルが根元からぽっきり折れている。
「慣れちゃだめだよ?」
「え…?」
「人を殺すのに慣れたら、私みたいになっちゃう……」
詳しい観察に移る前に、背後からのフェルトの声に振り返った。ジャケットの裾をつまむ彼女は自分の事でもなかろうに泣きそうな顔で、今見せたばかりの冷め切った姿はどこかへ行ってしまっている。「あぁ…うん…」と頷き、思わず空色の髪に左手を乗せた。
「ごめんね、気をつける」
髪をとかすように何度か撫でて、フェルトが笑顔を取り戻し、交戦前に手放していたアサルトライフルを取ってきたら改めて街の観察に戻る。ここから見た限りそこに動体は無い、包囲されている以上隠れるのは当然だろうが、これでは健在が確認できない。
「チームアルファ、目標地点到着。でも陣地ひとつ潰しちゃったからそう長居はできないかなぁ」
『あー構わねーっすよー、チームブラボーは敵巡回兵を根絶やしにしつつ順調に進撃中、それもかなり派手に』
「うわぁ……」
彼女らもフェルトと同じくスズを心配して意図的に目立ってくれているのだろうか、『人選間違えたわーステルスとかちょー苦手ぇー』などとシオンは言うが、主な仕事が拉致である彼女が隠密行動を苦手とするなど考えにくく、きっと嘘に違いない、うん、嘘という事にしておこう。
『あんたらもお祭り好きねぇー。チャーリー、敵本隊の監視地点に到着』
『動きは?』
『複数の新しいタイヤ痕が見える、車両に乗った歩兵小隊が2個ほど出撃してった、かしら?』
『おけおけ、その轍(わだち)はもう確認してるよ、どっか行っちゃった後だから大丈夫』
『ワダチて何?』
『あーはいはい、スズちゃん?まだ生きてる?』
シオンとメルとヒナによる通信機越しの会話から急に呼ばれ、咄嗟に大丈夫と言うもトークボタンを押していなかったため届かず、フェルトに指摘されながら胸元のPTTスイッチをプッシュしてようやく会話に参加する。
「生きてるよ」
『それは何より、思ってた以上に即戦力みたいだね。されど油断はしないこと、生物が移動すると必ず痕跡が残る、君の背後にある足跡がそれだ。一定間隔で雪を被せながら進む、後ろ向きに歩く、3歩進んで2歩退がる等々、あらゆる欺瞞を尽くして追跡されないようにね。でないと余計な面倒を引き寄せる事になっ…っとこんな感じにぃーー!!』
と、そこで銃声があたり一帯に響き渡った。
『ギマンて何よ』
『ヒナちゃん黙って!ブラボー敵と交戦中!狙撃を受けてる!……ってか偵察兵さん!?まさかそれマジで言ってんの!?』
続けて2発3発とサプレッサー無しの銃声が響く。そう遠くはない、どうやら向こうもゴール直前だったらしく、直線距離でおよそ500m程度。助けに行くべきかとフェルトを見たが、彼女は市街地方向へ目線を合わせ
「動きがないなぁ……」
すごい冷静にストライカー旅団を観察していた。
「アルファ、そちらの目標地点へ急行するよ。急ぐから、隠れるのやめるけど」
『それでいい!じゃあスズちゃん!君の分担はストライカー旅団への連絡だ!懇願恐喝色仕掛けなんでもいいから支援を要請して欲しい!通信機の周波数をチャンネル2に!』
「あ、うん、わかった、説得すればいいのね。…………ちゃんねるつーってなに?」
『ブルゥゥタスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!』
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