第176話

戦争から煌きと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーやシーザーやナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことは、もうなくなった。これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて、書記官達に取り囲まれて座る。一方何千という兵士達が、電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。これから先に起こる戦争は、女性や子供や一般市民全体を殺すことになるだろう。やがてそれぞれの国には、大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような破壊の為のシステムを生み出すことになる。人類は初めて自分達を絶滅させることのできる道具を手に入れた。これこそが、人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である。

― ウィンストン・チャーチル
























『ひとつの大樹を異常成長させて地球レベルのポンプとし、吸い上げた水を放出する。以って陸地を復活させ、近い将来訪れるだろう人類の終焉を回避する。その推測は正しい、君の実母は恐らく本気だ』


「うん…」


『その為に必要なエネルギーをどこから調達しているのか不明だった、でも前回の件で目処が付いた。主には絶望、その他ありとあらゆる人間の感情、更には大樹の持つエネルギーまでも”大樹まるごと潰して”収集、変換し大樹の成長に当てる。今は変換器(コンバータ)であるフツノミタマがこちらにあるから停止しているようだけど、奪還、もしくは代替手段を入手すれば再開するだろう。きっと彼女も焦っている、今までのようなゆっくりした成長ではなく、周りの大樹を片端から”殺生石”というので枯らして目的を達成しようとする筈』


「うん……」


『そうなれば起こるのは惨劇だろう、戦争による死者数よりも酷いかもしれない。人類に対して既に悲観しているサクヤは気にも留めないかもしれないけど、これは何としてでも止めなければならない。……でも、僕が今心配してるのは、それよりも大樹の方でね。絶望や悲しみやよくわからないエネルギーを元手に肥大化しているんだ、皇天大樹という樹が健全な状態を保っているなんて絶対にない』


「うん………」



空中に浮遊したまま喋り続けるニニギへその都度元気の無い相槌を返す。実際の所8割方は聞いておらず、身を屈め、両腕を固く組み、全身を震わせるのでスズは精一杯なのだが。



『皇天大樹を治療する為に血清みたいなものを作らなければならない、それには健全な大樹の芽が必要だ。まだ何にも汚されていない、完全に清らかな状態の芽がね。しかし現在の大樹は多かれ少なかれすべて汚れている、憑着した妖魔とか人間の出す有害物質とかで。だから採取する時代を変える必要があった、ここにはそれが絶対にある。正確には、これから出現するんだけど』


「うん…………」


『僕からの説明は以上だ、何か質問はあるかい?』


「………………」


俯いていた顔を上げる。

まず目に入ったのは曇った空だった、想像を絶するほど厚く黒い雲が空一面を覆い尽くしていた。きっと今は昼なのだろうが太陽光は大部分が地表まで届かず、視界は非常に暗くて悪い。足を動かせばジャリジャリ音が鳴り、見てみれば濁った灰色の氷粒がずっと先まで続いている。


「なんでこんな寒い!!?」


黒のシャツ、緑地に黄色のアクセントが入ったパーカージャージ、キャスケット帽、デニムのショートパンツ。腰に巻いたウエスタンベルトにはハンドガン1丁、予備弾倉1本、フォールディングナイフ、符の束が収まり、それから靴下とスニーカーと、後は下着。以上が現在スズが身に付ける衣類、装備のすべてであり、このクソ寒い、明らかにマイナスいってる気候の中、百歩譲って上はいいとして下は、下は。


「寒い!寒いってか痛い!足痛い足!こういうとこ来るなら先に言ってよ!行き先告げずはあんまりだ!」


『それはごめん、配慮不足だったし予定ではもっとマシな場所に出る筈だったんだ。これでも補助してるんだよ?君の周囲だけ暖めたり。とにかく体を動かそう、付いてきてくれ、この方向に熱源がある』


その程度でどうにかなるとは思えないがじっとしてても間違いなく死ぬだけなので、浮遊移動する翡翠玉の後を追って歩を進める。確かにその方向の空だけは妙に明るかったが、盛り上がった丘の先にあり、詳細はわからない。


『終末戦争の前夜、この地球は空からの襲撃に晒された。直径3200キロメートル、質量4.8×10の22乗キログラム、このエウロパと名付けられた木星第2衛星はアルマゲドンのすごい版みたいな人類の抵抗によって”そのままでの”衝突は避けられたけど……アルマゲドン知ってる?知らない、そうか。とにかくこの天体、月ほどの大きさにも関わらず保有していた水の量は地球よりも多く、付け加え降り注いだ無数の破片は地殻を叩き割って。この時点でも陸地は既に失われつつある、今立ってるのも氷の上みたいだし』


「あー…なんか日依が言ってた気がするなぁー……」


ざっしざっしと歩きながら真っ暗な空を見上げる。つまりあれは雲ではなく衝突の際に巻き上がった粉塵、地球を漏れなく覆い尽くし、陽光を塞ぎ、かつて大型爬虫類が味わった地獄を人類に対して再現しているのだ。


「そんで、具体的にはいつのどこなのさ」


『終末戦争が始まる直前、君達が前時代と呼ぶ期間の最期。なんだけど…正確な位置と日付けはちょっと。すまない、ぱっと来てすぐ帰るつもりだったのに、何かから干渉を受けているみたいだ』


「……人はいるの?」


『いるよ、1人もいなかったら現在において君も僕も存在していない。とにかくこの先の熱源まで行ってみて、もし外れでも暖を取るくらいは……ああ、現地人に接触するとなると、浮いてる緑の玉ってまずいね』


確かに、何も考えず普通に接していたが、この浮いて喋る玉っころは魔法魔術が普遍化している現代でさえ目をひん剥かれるレベルのものである。そんなものが存在すらしていないこの時代においては理解不能な超常現象以外の何物でもなく、話しかけた瞬間に悲鳴を上げつつ走り去っていく姿が容易に想像できた。では蹴って転がすか、とか思っていたが、実行する前に翡翠玉はヒーローの変身開始みたいに発光を始め。


『剣は片刃と両刃どっちが好きかい?』


「え、使ってるのは片刃だけど」


言った直後、ニニギは、いや彼の憑依する天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は本来に近い姿を取り戻した。

フツノミタマと同じ、ひとつの塊を削って加工したような、先から先まで翡翠で作られた剣で、リクエスト(?)の通り日本刀を踏襲した形状である。刃渡り50cm程度の刀身は根元が魚の背骨に似た節を持っており、鍔は無く、代わりに柄にはスズの手のひらにジャストフィットする凸凹が付き、余程の事がなければ滑りそうにはない。元々玉になっていたのは腐食や風化を逃れる為、こうなるのはむしろ遅かったと言える。


『収納しておいてくれ、必要ならば振るってくれて構わない』


「あ、うん」


浮かんだままのそれを握って眺める、そののち他の武器と同じく消滅させ、見かけ上は1人となった。

ひとまずは、会った瞬間恐怖される事はない。


『では行こう、そう遠くはない』

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