第166話

「……」


「…………」


ぱっと見、あまりにも頼りなさすぎる見張りであった。外観年齢10歳程度、皇天大樹近衛制服をぐっと小さくしただけという明らかにオーダーメイドな服装の上から黒のコート、今写真撮って10年後に見せたらあまりの恥ずかしさに死に悶えそうな超かっこいいコートを羽織る身長140cmに届かない少年は明らかにアリシアの存在を認識し目線を向けたが、排除すべきとは考えなかったのか、見張りという自らの職務を全うする事なく、やはり身長相応にスケールダウンした短槍の後端を地面に突き立てたまま、やがてアリシアを視界から外してしまった。これは彼が仮想空間上で再現された”見張ってるだけの人”で会話する能力を持たないからか、それとも元から人の往来を止めるよう指示されていないからか。いずれにせよ本人が無口代表とも言える人物であるため結論を出すにも出せず、軽く会釈しながら微動だにしない悠人(はると)の横を通り抜けた。


「いいのでしょうか……」


『よくはないぞ、まったくない。だが結局のところ一から百までスズの記憶が元となっているからな、現実であいつが見た事のない動作はできないし、そもそもアリシア、お前を”本来いてはいけないもの”として認識できるのはスズだけだ』


週末会いに行ける皇女様、などと言われたらどうしようかと思ったが、とにかく他人を気にする必要は無いようだ。監視型、巡回型合わせて3重にもなる防衛網を堂々とすり抜け清涼殿前の庭に達する。そこではいつもの着崩した白和服よりはもうちょっとマシな格好の現役天皇、嘉明(よしあき)が縁側に腰掛けてぼーーーーっとしていた。日の傾きからしてまだ就業時間内、休日という風にも見えないが、仕事があるならあんな有様は許されないはずだし、かといってここまで厳重な見張りを設けられては脱走もままならず、何もやる事が無いからぼーーーーーーっとしている、みたいな印象を感じる。


『ああ…無視していいぞそいつは、葛葉を側室に入れて以降少しずつ政務の肩代わりを求められてって、10年経ってみればその有様だ。事の重大さに気付くのはやはり2ヶ月後、今はただの置物でしかない。見たいのは裏側だ、脇を抜けて藤壺の方に行ってみろ』


このだだっ広い内裏には様々な建物があり少なからず機能が重複するものもあるため、この清涼殿(せいりょうでん)は時代によって用途が変わるが、今の所は天皇のオフィス、及び寝室である。そこに隣接するのが紫宸殿(ししんでん)と藤壺(ふじつぼ)で、紫宸殿は儀式用途、そして内裏後方に広がり皇后や親王、内親王等に住居として割り当てられる建物群のうちのひとつが藤壺だ。階級的には低いらしいが清涼殿に隣接する唯一の住居であり微妙な扱いを受けていて、だからこそかスズが割り当てられているらしい。いや結婚したなら普通は内裏を出るのだが、いかんせん公表をしていないので状態保留というか、『よくよく考えてみりゃあのクソババア、最初からご破算にするつもりで入籍させやがったな』という日依の呟きを聞きつつ歩を再開、ただただ春の陽光を浴びてるだけの嘉明の横をすっと通り過ぎ


「………………かわいい……」


その瞬間、悪寒というものを実体験した。


「殴ってきていいですか?」


『別に構わんが、どうせなら現実世界に戻ってからの方がいい、今の身体じゃ大した威力出ないだろ』


なるほど確かに、良くも悪くも今のアリシアは身長146cmの少女でしかない。つかスズの記憶で再現されたアレがあんな発言するってことはあの野郎まさか娘の前で、とか思いながら迅速に歩いて藤壺へ。

そちらには皇女様がいた、服装、佇まい、溢れ出る気品、すべてにおいて「誰だ?」と言いたくなるほどアリシアのよく知る彼女とかけ離れた少女が、清涼殿と藤壺を繋ぐ渡り廊下のそばで赤の狐耳と立ち話を楽しんでいた。遠目に見ても別人みたいな性格をしているが、黄色と茶色を合わせた、ストレートに言うとアカギツネそのまんまのグラデーションを持つ髪は今よりやや長いくらいで狐耳も斜め上方をピンと向いている。この世の贅を集めて詰め込んだとでも言うべき着物もカラフルな花柄や金糸の装飾こそあれ地の部分は緑色であった。前に立つ少年は神祇官らしい黒の狩衣装束で、日依が男になったらまさにこんな感じだろうという風の赤い髪と耳。両神 直臣(りょうかみ すぐおみ)という名前らしい日依の兄、かつスズの夫は嬉しそうに話をしていて、本来ならここはそちらを注視するべき所であるものの、どうしても、そうどうしても、最低一度は声に出して行っておきたい。


「誰ですかあれ?」


『娘の顔を』


「誰がお母さんですか」


壁に張り付いて目立たないように近付いてみれば声も優雅の極み、夫婦恋人の談笑というよりは弟の話を聞いてやる姉みたいな印象で、最初からわかっていた事ではあるが、ああこれは正真正銘のお姫様だと、ここにきてようやく確信に至る。


「それでな、……あ…ああいや、すまない。会いに来た訳じゃなくてこれから父上の元へ行かねばならないんだ」


「あら、そうなのですか?残念です、ずっと楽しみにしていたのに。でもお仕事を覚えに行かれるのですよね、なら仕方ありません」


「でももう少しだけ、話さなきゃならない事があって、良いか?」


「もちろん、何でしょうか?」


一応言っておくがこれは8歳児の言動である、16から8引くのだから8歳である。普通8歳といえばランドセル背負って学校に通い足し算引き算や簡単な漢字を覚えて先生に褒められはしゃぎ、校庭を走り回ってたら転んでしまって泣きわめき、遊び疲れて家に帰ればご飯食べて寝てしまう、そんな存在だ。だというのにどうだ、あれは間違いなく現実での今より精神年齢が高い。


『なんて事はないさ、そうしろと言われたからそうしてるだけだ。私らがいつも見てるややガサツで天然っぽくて何もなければひたすらだらだらしてる女子高生みたいなのが真のスズ、今お前が見てるそれもたぶん、頭ん中じゃ着物重くて歩きづれーなーとか考えてるよ。つまり何だ、”マナーを完璧に理解した上で無視する奴ほど手に負えないものはない”って話』


正に、と同意しながら彼女らに注意を戻す。直臣くんは微笑むスズから一度目を離し、背後に向かって何か手招き。


「話すというか、紹介したいのだが」


『ん?』


「急な事だったからな、まだ会っていなかったろう?なにぶん内気なやつで……」


『あっ……』


で、清涼殿背後にくっついている後涼殿という施設の影に隠れていたらしいもう1人を連れてくるべく小走りで一度消えて。


「日依(ひより)!こっちだ!大丈夫だぞ!」


『ちょ…!待っ…!ばっ…!ヤメロ!!!!』


仮想世界の兄へと向かって日依は叫ぶ、今まで聞いたこともないくらい必死な声で叫ぶ。うん、便宜的にここは日依(大)と呼称しよう、何せもう1人現れてしまったのだから。

まず目についたのは何といっても仕草と表情、先導する直臣の袖を左手でぎゅっと握り、右手は胸元、兄の体に隠れるようにしながら顔は不安げというか今にも泣きそうというか、どうも知らない場所に連れてこられたせいで怯えてしまっているようで、総合すればスズと同じ、「誰だ?」という感想が第一である。年齢を考えればむしろこれがスタンダードではあるが、いかんせん世界の向こうで大騒ぎしてる現在とのギャップがあまりにでかすぎる為、壁に背中を張り付けた体勢そのままアリシアはフリーズしてしまった。


「妹だ、今年で7つになる。ほら挨拶、お前の義姉になる人だぞ」


『畜生!!ちょっと思い返せばわかる事だった!!見てろよ挨拶なんか一切しねーぞ!!ほら泣くぞもう泣くぞ!!マジで泣き出す5秒前だ!!』


「ぅ…ぇぅ……ーーーーっ!」


『はい泣いたー!!会っただけで泣いたー!!なんで緊張なんかするんかね!!ちぃーっす!とでも言っときゃいいんだよそんな奴!!つかもうこれ飛ばせ!!飛ばせぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』


「あらあら、大丈夫?怖くないよ?」


「あ…んん……!」


『飛ばせって!!』


『いやそれが……』


「初めまして、私は鈴、あなたのお義姉さんになるの」


「……おねえちゃん…?」


「うん、おねえちゃん」


「おねえちゃん!」


『わあ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!わあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』


たぶんこの時点では神祗伯になる予定なんてなく、よくて副長官、並で兄の秘書程度だろうか。赤い髪によく似合う真っ赤な緋袴を着た日依(小)とそれを優しく抱きしめるスズ(聖)、及び微笑ましく見守る直臣という光景を日依(大)が自分の声でかき消そうと絶叫する中お届けするという、ここは天国か地獄か、あるいは両方が介在する有様にフリーズから回復できない中、当人達はこれから勉強だとか偉いねとかいう話で盛り上がり、これをスズ(堕)が見たら同じ反応するのかなとか辛うじて絞り出したあたりで、いい加減時間らしい、2人は手を振って、スズから離れていく。


「また来るぞ、今度はちゃんとな」


「はい、お待ちしています」


「じゃあねおねえちゃん!」


「うん、じゃあね」


かくして猛威は去っていった、耳をつんざく叫びも同時に沈黙した。開いた口はふさがりそうにないが、とにかくこのシーンが記憶として鮮明なのは”日依と初めて出会った”という点に理由があるようで、有り体に言えばハズレ、こちらが求めている記憶ではない。これ以上何も起きないならじき早送りが始まるだろうとそのままじっとしていたが、『やっぱりだ、干渉を受けてる』というニニギの声が聞こえたのみで何も起こらず。


さて、と呟きながら、スズは確実にアリシアへ目を向けた。


「ちょ……見つかりました…!どうすれば…日依…!?」


『すまない、ベッドに顔を埋めたまま動かなくなってしまった。少なくとも彼女の興味が君から逸れるまで緊急退避も出来そうにない、どうにか切り抜けておくれ』


優しげな笑顔を浮かべたまままっすぐアリシアを目指してくるそれに少なからず狼狽え、いや別に攻撃される訳でも無かろうが、信者の数だけ強くなるという点を鑑みればこの聖人みたいなスズは自堕落な方より遥かに高い戦闘能力を持っている筈で、慌てて退路を確認すべく後ろを見、そしたら嘉明が顔だけ出してこっち覗き込んでるのを発見してしまい、睨みつけるとすぐに引っ込んでいった。


「こんにちは」


「はい…こんにちは……」


全身から溢れ出る気品に当てられ緊張というものを初体験しつつ、アリシアはとりあえず壁から離れる。前に立たれてしまったのだ、もはや是非も無い。


「初めまして…ですよね?会った事は無いはず」


「ああ、そうです、現時点においては」


「良かった、失礼な事を言ってしまったかと。でもどうしてか…ずっと貴女を待っていたような気もします」


もう一度言う、これは小学校低学年の女の子である。首を傾げ、頰に指を当て、若干の困惑を表現するスズ。しばらく目を泳がせていたアリシアだったが、やがて落ち着くと改めて彼女を見る。

確かに、何一つ根拠は無いものの無理をしている印象を覚えた。やる事はきっちりやるがやらなくていいとわかるや家事炊事をアリシアにぶん投げてきたおとぼけ女の方が本性というのは真実だろう。とはいえそれが許されないのが彼女の立場、やめたければやめていいものではない。なお付け加えて言うが、彼女は現在8歳である。


「ス……いえ、姫様?」


「良いですよ、好きなように呼んでくださって」


「……ではスズ、今の生活に不満はありますか?ここを出て自由に生きてみたいと思った事はありませんか?」


だからそういう質問をしてみた。目的とも一致しているし、何より自分自身が気になる。行動の自由が無いとはいってもそれ以外のすべてが約束されたこの場所をどうしてあんなに拒絶するようになったのか。しかしそれを聞いたスズは困った顔をやや深め。


「不満と言われても…少しお答えできかねます、私は内裏の外を知りませんから」


「え、一度も、見た事も無いのですか?」


「朝起きて、仕度をして貰ってお勉強をして、日が沈んだら眠る、今のように来客がないのであればそれが私のすべてです。余分がなければ不満は生まれないでしょう?だから今の私に不満は語れません」


答えられないと彼女は言うが、それこそ正に解答だ。通常ならばあり得ない、いや許されない教育方法を彼女の母は強いている。つまり余計な事を一切教えず”それが普通”だとしか思えない環境を作ってしまえば、反抗も拒否もしない人形が出来上がる。それは理解できる、かつてのアリシアもそうだったのだから。


「あ……ごめんなさい、もう戻らないと。お名前、聞かせて頂けますか?」


藤壺の方から大人が数人出てくると彼女はそう言って1歩後退、最後に微笑みを見せた。今聞いた通りの生活に戻るのだろう、何の変化も無い平らな生活に。


「アリシア、アリシアです」


「それは本当の名前?」


「え…いや…わかりません」


「そう……」


そうしてスズは背中を向ける、コツコツと足音を鳴らして離れていく。時間跳躍が可能となった旨をニニギが言ってきているが、その前に数歩前へ出て


「スズ」


「はい?」


思い立っただけの言葉をそのまま口に出し


「待っていてください、必ず助けますから」


「…………ああ、お願いします、待っています」


実現するべく、視界を次へと切り替える。

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