第163話

「あの…こうなるしかなかった話デスから、提督さんがそんなに落ち込む必要は……はっ!?」


それが終了するにあたって飛ばされる事も引き上げられる事も無かった、ただテレビのチャンネルを切り替えるように視界が変化し、草原のような湿原のようなだだっ広い空間に、気付けは日依は立っていた。

優しげな青空に覆われたどこまでも続く大地は大部分が水に浸かっていて、散りばめられたように蓮が赤い花を咲かせている。見えるものはそれ以外には何も無く、その青と緑と、僅かに混ざった赤色の光景に、体育座りでうずくまる雪音を慰めていた小毬は気付くと同時に驚愕の声を出し、つられて顔を上げた雪音と一緒に唖然としてしまった。


「蓮か、やけに仏教的だな、何か意味は…無いな、趣味だろ」


「えと…ここは一体どこなんで…お……」


「え……?」


「わからん、だが恐らく現実世界から切り離された仮想空間だろう。夢の中みたいなもんだ、創造主の意思がそのまま形になる世界というかまぁ、とりあえず常識は気にするなよ、物理法則の支配が及んでないように見える。わざわざ招き入れたという事はそのうち……ん…?」


先程から3人とも水の上に立ったり座ったりして、動く度に虹色の波紋が立つのを眺めながら日依は話していたが、小毬も雪音もそれそっちのけで日依の顔を凝視していて、なんだよと自分の頰に触れてみれば、何故か指が濡れた。


「…………」


両目から流れてきた涙、それは間違いないのだが、いつからだとか、何のためにとか考えて黙り込んでしまい、そのうち2人が詰め寄ってきたので追い払いながら背中を向ける。


「泣いっ…なんで泣いて!?涙腺あったんデスね!!」


「誰に何されました!?大丈夫ですか!?おっぱい揉みますか!?」


「ぶっとばすぞてめーら!!」


言いたいこと言いながら特にぐいぐい来る雪音の顔を右手で鷲掴みして、左腕の袖で涙を拭き取り、その後2人の頭を交互に叩く、わりと本気で。


「いだ!いだい!待って待って!…って、ちょっと、後ろに誰か」


で、わいわいぎゃーぎゃーやっていたら、気付けば日依の後方に金髪の男性が立っていた。声をかけるタイミングを逸したらしく「ああ……」みたいな顔で手を挙げかけていたが。


「あ、いいですかね……」


「どうぞ」


一番最初に夢で見た男だった。身長170cm程度の痩せぎす、短く切り揃えた髪の色はスズや嘉明を彷彿とさせる黄色で、かつ混じり気なく輝いている。赤と緑の装飾が付いた服、ローブ、いや布を纏い、足元は裸足。聖徳太子が悩み事聞いたり卑弥呼が亀の甲羅焼いたりしてた頃より古代の服装であり、すなわちこの男は日本という国が生まれる前の時代を生きた存在の筈だ。楽しそうな所に割って入って申し訳ないみたいな表情をしているものの、すっきりした輪郭と、絶妙に整った顔のパーツ配置、きめ細かな肌を持つそれは誰がどう見てもイケメンと表現できるレベルの美顔で、もし大通りを歩かせれば周囲の視線を集めきるのは間違いない。実際、一目見た途端に3人揃って「おぉ…」とか言ってしまった。


「まずはお疲れ様、そして我が儘に付き合わせて悪かった。これは君達の目的にも僕の目的にも関係の無い事だったけど、真の歴史においてあの場に居合わせた者としてはどうしても捨て置けなかった、少しくらいは伝え聞かせる必要があるんじゃないかと。君の先祖も、似たような事をしていたよね」


「こっちは幻術使って放映してただけデスて、そっちのは強制サバイバルじゃないデスか」


「うん、ごめん…まさかあんなに時間的誤差が生じるとは、眠っていた間になまったみたいで」


確かに、数万年という跳躍距離を考えれば驚異的な精度での時間遡行だったが、完璧に成功したと言えるのは日依のみで、小毬は1週間の自給自足、雪音は衣食住に困りこそしなかったものの、聞いたところ実に1ヶ月もの間あの島にいたそうな。壇ノ浦終結後四国に住み着いた太三郎狸は自らの眷属に合戦の様子を見せて伝えたとされるが、それはあくまで得意の変化や幻術を用い視覚的に見せただけで、こんな大規模な体験アドベンチャーではない。


「それであなたは誰なんデス?」


「そう、名乗るのが遅れたね。僕は故あって天叢雲剣に取り憑き眠っていた、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命という」


「えっ?」


天邇岐志国(あめにぎしくに)

邇岐志(にぎし)

天津日高日子番能(あまつひこひこほの)

邇邇芸命(ににぎのみこと)


「……えっ?」


「うん簡単に予想できた反応だ、ニニギでいいよ、みんなそう呼ぶ」


ニニギ、と聞いてようやく思い当たった、天皇の歴史を語る上でどうしても欠かせない1人、いや1柱である。とはいってもさほどエピソードがある訳でなく、重要なのは1点、彼の孫こそが初代天皇、神武天皇であるというところ。


「ああ!」


「思い当たってくれて何より……」


「「「日本最古の面食い男!」」」


「ぶっ!?いやいやそれはちょっとおかしいよ、何かの間違いだよ……」


彼が登場するのは神代末期、オオクニヌシが造った葦原中津国(あしわらなかつくに)を子供の駄々みたいな理由でアマテラス御一行がぶん取った後、そこを統治する為に送り込まれたアマテラスの孫である。彼は地上に降り立ったその日にコノハナサクヤという女神と出会い、一目惚れし、求婚し、両親への挨拶まで済ませて、翌日には子をもうけるというとんでもないスピード婚をしたがその際、「天孫に我が子が気に入られたのは嬉しい、しかし花の儚さを象徴するサクヤだけを娶られては子供の寿命はたいへん短いものになるだろう」と考えた彼女の父によって石の不変さを象徴する姉のイワナガも送られてきた。それを見た彼の台詞がこれだ




故ここにその姉は甚凶醜きによりて、見化畏みて返し送りて


意訳:すっげーブスだから突っ返したわ!




古事記にもそう書かれている。


「いや僕はね!サクヤに惚れただけなんだよ!それなのにあの人はなんか宴会のお土産みたいなノリでお姉さんまで差し出してくるもんだから…だからってわーありがとうございまーす!とか言って2人とも娶るのは……どうかと思うなぼかぁ」


「…………」


「ぅ……っていうかそんなのはどうでもいいんだよ!僕が話さなきゃならないのは!」


3人で渾身のジト目を送ってやるとその神様はすっげー焦る、浮気がバレた旦那みたいに。

とにかく神様、神である。何万何億という人の感情を寄せ集めて形を成す、人が創ったものでありながら人を遥かに凌駕する力の持ち主。基本的に善神としてイメージされる者であるならそのイメージ通りに顕現する為、少なくとも彼が人に危害を加える事は絶対に無い。名前を聞いただけで信用できるかできないか判断できるというのはとても便利なものだとひとまず思う。

しかしどうも彼は、その根本的な機構における例外の話をしたがっているようで。


「神が人の善意を集めたものであるように悪意を集めたものもいる、君達が邪神とか悪魔と呼んでいる存在だ。そして神であっても、何らかの原因で堕ちてしまう事がある。僕と、この天叢雲が君達に協力するのは構わない、でもその代わり僕にも協力して欲しい」


「……あーなんだ、その話の流れから察するに、堕ちた神が1柱あって、どうにかしなきゃならないが助けがいる」


「そう、そうなんだ。僕は既にこの剣と同化してしまっていてね、”誰かに使われないと戦えない”。引き上げて助けろとは言わないよ、偽物ではない純然たる神と人間を戦わせようとしてるんだからね。こんな提案をしたのは先程の君の戦いぶりに可能性を感じたからだけど、人間を蹴飛ばすのとはわけが違うし、助けるのと殺すのどちらが楽かは理解している。できるかい?」


「不可能ではないさ、似たような物語はいくつもあって、そのことごとくが成功してるしな。付け加えこちらには今、人が神に抗う手段ともいえる神器が合計3つある」


んで誰が堕ちたんだ?と日依が聞いた途端に彼は少し黙り、僅かに何かで迷ったようだが、すぐ思い直して、顔を引き締め。

言う。


「コノハナサクヤ」

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