第162話

「は…ふ……!」


全身の熱が失われていく感覚に襲われながら、それでも義経は海岸まで辿り着いた。厳密に言えば津波で押し流されたと言う方が正しいだろうが、岩礁に打ち上がり、立ち上がれず這って進んで、雑草を握る感触がしたあたりで力尽きる。

胸の傷は明らかに致命傷だ、まだ意識があるなら心臓は止まっていない筈だが、ここに来るまでに流した血は生存を諦めるに十分な量で、実際、指先から徐々に冷たく、動かなくなっていく。兜の緒を解き、脱ぎ捨て、海上へ目をやるも、視界はうすらぼやけて何も見えず、荒い息を吐きながらどうにか立ち上がろうと腕と足に残された力を込める。が、体重を支えられるだけの余力は無いらしい、すぐにがしゃんと鎧を鳴らして転がってしまった。


「ぬぅ…ぐ……あぐ…!?」


もう一度、死にかけの体に鞭打って、せめて上体だけでも起こそうとしたが、仰向けの体勢から肘を立てて、少しだけ背中が地面から離れた所で何者かに上から押さえつけられた。それでまた地面に戻ってしまうも、後頭部には土以外の、何か柔らかい感触。


「無理して動くな、もう全部終わった」


ぼやける視界に映ったのは赤い、燃えるような色の髪である。こんなに至近距離にいる人間の顔すら判別できないほど視力は低下しているが、それさえわかれば他に情報はいらないだろう。ついさっきまで敵だった相手、一方的に奪われる恐怖を突きつけてきた妖狐だ、もっとも向こうは手加減していたが。外見年齢相応の、高く綺麗な声を聞いて何故か安心を覚えてしまい、「そうか」とだけ呟いて全身から力を抜いた。


「ここでの役目も…すべて終わりか?」


「ああ、ここにはもう用が無い。でも、まぁ……目、閉じるまではいてやるよ」


「……世話を、かけるな…」


張りつめた気を解くと胸の傷も少しは苦痛が和らいだ気がする。失われ続ける血液によって足先から動かなく、冷たくなっていくが、頰に触れる指と頭の下の、恐らく彼女の膝だろう感触だけは暖かく、これなら気持ち良く逝けるなと、やはり働かなくなっていく脳で思う。


「教えてくれ、未来を知る者として。…この戦いに…意味はあったか?」


「そのへんに疑いは無いさ、指揮系統の違うふたつの組織が同時に存在する事はできないからな、許容できないなら滅びるしかなかろう。だが……それも向こう数百年までの話だ、戦争はまた起こるし、際限無く進化し続ける武器兵器は戦争以外のすべてを滅ぼしていく、最終的に文明さえも。その先の未来から来た私が戦争という言葉を知ってるんだから、人が争いをやめる日はまだやってきていない、たぶん、1日たりとも。その点で考えればまったくの無意味とも言える」


心地良い耳触りの優しい声で彼女は話す。どんな表情でいるかはもうわからなかったが、人をからかうようないつもの笑みとはきっと違う。


「すまんな、こんな未来にしちまって」


「そなたの責では、ないだろうに……」


手の感覚はもう無い、しかしまだ動いてくれた。


「確かに、戦うことこそ人の生きる意味なのかもしれぬ、人がある限り争いが絶える日は来ぬかもしれぬ。しかし、そうだとしても、そなたのような者が生まれ出ずるのなら、その未来も…捨てたものではない」


ゆっくり持ち上がった右手は彼女の右手によって包まれ、もう少し上がって胸の高さへ。


「最後に、名を聞かせて欲しい」


「ん…?あぁ…日依(ひより)」


「では日依、そなたは自らの目的を果たす為にこれからも戦い続けるだろう、なれば絶対に、こうはなるな」


終わりが近い、ぼやけた視界も消えていく。


「現実に悲観しても望みは果たせぬ、私は、気付くのが遅すぎた。だからそなたは……」


「…死ぬ前に気付いたんだ、遅くはない」


すべてが暗闇にのまれても、最後まで聞こえる耳でそれを聞いて。


「私が保証する、お前は英雄だ。胸張っていけ」


「……そうか…」


僅かに笑んで。


「そう…か……」


そうして意識は、消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る