記憶の残滓

第164話

世界が一度滅んだあの時、我々は突如としてこの世に生まれた。それが人々の嘆きによるものか、この世の摂理の働きによるものかはわからないけれど、実際その瞬間には膨大な負の感情がこの惑星を取り巻いていた、人がいなければ成り立たない存在でありながら、次の瞬間には人は死に絶えようとしていたんだ。

我々は考えた、どうすれば人を生き延びさせ、そして我々が存続できるのか。文明崩壊はいい、命がある限りいくらでも発展し直せるからね、でも大地の消失は致命的だった。

その問題に対して我々の出した解答は君達の知っている通り。どのような形でもいいから大地を代替する何かを創りそれをもって人を存続させる、ないし大地が復活するまでの繋ぎとする。そうして我々は手当たり次第に樹の芽を植えていった、君達が大樹と呼んで生活の依代としているものだ。これは今の所、神が人に対して明確に手を差し伸べた最初にして最後の事例になる。

ただ当初我々は、生き延びた人類がまた戦争を始めるなんて思ってもいなかった。自らを死に至らしめる手段を手に入れ、実際に使用した者が再び武器を手に取る筈がないと考えていた。生まれたばかりとはいえ浅はかな考えだったね、人という総称は個体ではなく群体なのだから。せっかく助けたのにまたすぐ自らを殺し始めたんだ、我々の落胆は酷いものだった。特にサクヤは、彼女は桜の化身でもある、世界中に点在する大樹は彼女の分身と言ってもいい、悲観したとしても仕方ないだろう?

そうして堕ちていってしまった、人に望みをかけるのをやめてしまった。今のサクヤを支えているのは”あの時”人々から集めた絶望の感情だ、近付くものを呪い殺す悪神に他ならない。今の所はそれだけだけど、いつ分身である大樹に影響が出るかもわからない。手遅れとなる前に僕は止めようとした、しかし逆に呑み込まれて、気が付いたら天叢雲の中にいた。昔のよしみで助けてくれたのかもしれない。

サクヤを止める、これを果たしてくれるならどんな協力でもする。少なからず目的は重複してるからね、

なんといったって彼女の居場所は























「よし押せ!」


中身をすべて降ろした後、ふたつある本棚のうち左を日依(ひより)とアリシアが、右を義龍(よしたつ)と蜉蝣(かげろう)が移動させる。空とはいえかなり巨大なそれは相応の重量があり一苦労するかと思ったが、日依が引っ張り出す前にアリシア1人の力で本棚は押し出された。

スズの自宅の地下室の棚をどかしたら現れたのはドアだった、たっぷりと埃をかぶり、鍵がかかった状態でドアノブを取り外されており、明らかに他者の侵入を拒もうとしている。それに対してアリシアは目配せし、日依は頷き、蜉蝣は眉を寄せつつ無言、義龍は狼狽えている。


「アリシア、気付いてたか?」


「空洞が存在する可能性は感じていました」


普通であれば鍵を探すところではあるが、アリシアはどこからか持ち出してきたバールを取って、躊躇いなくドアと壁の隙間に差し込み入れる。バキバキという音と共にドアは強制開放されていき、やがて隠し部屋の内部は恐らく数年ぶりに姿を現した。


「いくらなんでも陰気が過ぎるとは思ってたが、まぁ見方によっては宝の山とも言えるな」


黒魔術師の儀式場を想像して欲しい、床に大きな魔法陣が描かれ、壁には山羊の化け物みたいな骨、ロウソクで照らされた薄暗い部屋にローブ姿の人物がいて、よくわからない呪文を唱えながら羊や犬、場合によっては人間を殺し、中身を引きずり出し、悪魔に捧げようとする、大多数が思い浮かべるのはそんな光景だろう。幸い8畳間ほどある空間の床は綺麗だった、バフォメットを信仰してもいなかった。日依の鼻には明らかな血生臭さが漂ってくるものの、恐らくスズ自身によるものか、大きくても鶏か鴨程度だろう。懐中電灯を使って照らせば僅かに消し損ねた魔法陣、銀の燭台が4つ立ち、隅の机には無数の本がうず高く積まれている。ここで何をしていたかと聞かれても、説明の必要は感じられない。


「保護者代理に聞こう。不審な行動を見かけたり、様子がおかしかったりした事は?」


「何日も引きこもる時がままあったのは認める、でもこんなことやってるとは……」


蜉蝣は渋い顔をしているが問題なのはそこではないのだ。ぱっと見た感じ悪魔を召喚した形跡は無く、すべての魔術師呪術師が必ず行う敵対存在の研究行為を延長しただけにも見える。しかしだったら隠す理由が見当たらず、さらなる情報を求めて日依は机へ歩み寄って本を1冊手に取った。茶色い装丁を施されたそれはわざわざ革のベルトを巻きつけて不用意に開かないよう締められており、嫌な予感がしつつも慎重に開封してちらりと1ページ目を目に入れ、舌打ちしながらぱらぱらと流していく。


「おいおいおいおい勘弁してくれよ、17世紀版ネクロノミコン、まさか本物とか言うつもりじゃないだろうな」


「ネクロノミコンって…漫画とかに出てくるアレか?」


「死者の書、和訳されるとだいたいそんな名前になる。記されているものは多岐に渡るがもっとも有名なのはやはり死霊降霊術(ネクロマンシー)だろう。あまりに危険な内容から幾度となく焚書となって、現存する完全な写本は世界中どこ探しても5冊は無いと……いや待て来るな、目に入れるな、精神の安全が保障できん」


血生臭いとか陰気だとか言ったところでそんなものは日依くらいにしか感じる事はできず、過半数にとってここは薄暗い部屋でしかない。不用意に近付いてきた義龍の為に本のベルトをきつく締め直して机へ戻し、全員を室外へ押し出す。


「……ではそうだな、総合しよう。お前達が考えてるようなのとは少し違う、ここで行われてたのがキリスト教的な黒ミサだったらこんな程度じゃ済まないからな。部屋の状況と、本の内容と、過去の話を鑑みてスズがやっていたのは死者を生き返らせる研究に間違いない、今使ってる符術は副産物でしかないんだろう。実る筈が無いんだがな、そんな技術がまかり通っていたら世の中はとっくに破綻している。誰かの黄泉がえりを願うものの結末なんてどこも似たようなもんだ」


隠し部屋から出て左に見える鉄製コンテナをおもむろに開け、和紙のストックや祭事に使う道具の中から長らく陽の目を浴びていなさそうな木箱を見つけて蓋をずらす。やはりあった、中国神話やメソポタミアで肉体を作ったとされる、粘土だ。


「誰をですか?やはりあなたの兄を?」


「リストに名前は載ってるだろうな。確かに両神 直臣(りょうかみ すぐおみ)は犠牲者の1人に数えられる、だが問題なのはそこじゃあない」


これはもういい、話を戻そう。言いながら日依は階段を上がる。地下室からダイニング、リビングへと順に通過し、その過程で不安げにおろおろする小毬(こまり)と、正座したまま俯き微動だにしない円花(まどか)、及び円花が変な事、特に自殺とかしないよう見張る七海(ななみ)と順に眺めていく。雪音(ゆきね)は瑞羽大樹防衛隊本部だ、何かしてないとどうしようもなくなりそうだったのでゴールデンハインドの修理作業に立ち会わせている。


「まず医学的な面から、容体は?」


「脈拍正常、その他血圧呼吸等あらゆるバイタルが安定しています。特に脳は非常に活発な動きをしていて、恐らく、夢を見ているのでしょう」


目を開けなくなってしまったスズは中二階のベッドで仰向けに寝かされていた。あの後すぐに運び込まれ、できる限りの努力が払われたが意識が戻る事は無く、適当な部屋着に着替えさせた以外はまったくのそのままである。正直なところ眠っているだけにしか見えない、顔色も呼吸による胸の上下も、穏やかな表情にも異常は見られず、ひっぱたけば飛び起きるのではないかとさえ思えるが、日依との連絡回復があと1日遅ければ点滴を打っていたという。というか用意がある、病院でよく見るアレがベッドの横に一式。


「七海、それ見せろ」


「ほれ」


中二階から下方のリビングへ声を飛ばし、代わりに茶色い透明な宝石が投げ渡される。いい加減見飽きてきたオーバルカットと菱形12個、全長5cmで、石の名は珪線石(ファイブロライト)。とりあえず見ては見たがこれから日依が引き出せる情報は無く、力を放出し切ってしまってもいるのでもはやただの宝石である。これを持ってきた男は防衛隊によって拘留されているが、どこからどう見たって金を握らされただけの一般人であるので絞ったところで何も起きない、義龍の家に浸入して家族を縛った罪くらいしか問えるものは無いのである。


「腐っちまったら元には戻らんってのは話したな」


「ええ」


「だがケースが特殊すぎる、皇族の術式を皇族が喰らうなんて聞いた事ないからな。まったくの受け身を取らなかったとしてもこの様子を見る限り自己防衛が働いた可能性は高い。少なくとも最新の前例は喰らった瞬間心臓を止めていたし、それから単に憶測だが、こいつの石言葉的に言っても大した攻撃力を持っていたようには思えん。であればむしろどうして意識が戻らないかが……」


『眠り続けていい訳はない、でも心に何かが引っかかっている。どうしても、といった強い理由が無いんだろう』


耳を介さず脳に直接響く声が上がる、目線を宝石からずらしてもうひとつあるベッドに移して見れば、大ぶりのスイカほどもある翡翠(ひすい)の塊がシーツをへこませていた。


「これは何なのですか?」


「詳しく説明するのは後にしたいな、喋る玉ころだ」


『酷い…神なのに……』


回収に成功した天叢雲剣の成れの果てと、それに憑依するニニギノミコト。血統図だけ見れば日依にとってもスズにとっても遥か遥か昔の先祖、始祖と言ってもいい。要するに専門家だ、見ただけで分析できるのだろう。いや目は無いが。


「それで具体的にはどういう意味かね?」


『見たところ陰陽道のアレンジが加えられているね、意識を奪って強制的に夢を見させる、効力としてはそんなものだろう。彼女を殺すつもりは元よりなかったようだし、何より影響を及ぼしてから半刻以内には自浄されている。しかし皆知っての通り、我々の根幹にあるのは感情による力だ、呪いを打ち破って目を覚まそうという意思が、弱すぎるんじゃないかな。心当たりある?』


「……ありすぎて困ってるよ、兎にも角にもこいつがここまで来ちまった理由は他人の為だ、自分じゃない」


『なら少し厳しい話になるね、そういう人間は心が折れた時非常に弱い。精神を壊すような起こし方は避けたいけど、とはいってもこのままでは生命にも支障があるか……』


ニニギが黙って考え込んでいるうちに状況を整理する。

スズは葛葉の攻撃によって昏倒したが手遅れには至っておらず、いつ目を覚ましてもおかしくない状態である。しかしそれでも目覚めないのは少なからず”起きたくない”という意思があるからで、自分の内側に閉じこもったまま、少し前にアリシアが見させられたような幻術による夢を延々と見ていると思われる。絶対に起きなければならないとスズ自身が思わない限り、彼女が戻ってくる事はない。

その明確な理由については地下室の有様が語る通り。当時スズはすべてを失う体験をした、死者蘇生なんて結果のわかりきってる研究に手を出してしまうあたり精神的にも追い込まれた筈であり、実際、内裏という存在に対して最初から強烈に拒否感を表していた。

内裏で何が起きたか、というのは、今のところ日依しか事実を知る者はいないが。


『入ってみようか、夢の中』


「は?」


んで、唐突にニニギは言い出した。


『時間遡行じゃない、僕に与えられた唯一の取り柄は”世界に干渉する事”だ。夢であれ何であれそこに世界があるなら入り込める。女性の夢を覗くなんて褒められたもんじゃないけど』


「本気か?」


『本気だよ、疑ってるならもう一度飛ばしてあげるけど』


「やめろやめろ!」


もうたくさんだとばかりに手をひらひらさせて拒否、その後しばし考える。主に、アレに陽の目を見せるのかという点について。

できれば避けたい、墓まで持っていくつもりだった。だが他に案も無し、それに誰かが言っていた、いつまでも変わらないままではいられない。


「どうすればいい?」


『そこに立っていてくれればいい、魂を転写して押し入れよう。ただ僕が何もかも直接行うのは都合が悪いかな、彼女の過去や思考を何一つ知らないからね。できれば仲介役が』


「なら私がやろう、送り込むのは……おい誰かこいつの夢ん中見たい奴いるか!?」


『いや人数の指定はないけど…全員で試せば?』


「あっそ……じゃあ全員、全員準備しろ。雪音ちんにも電話しとけ。アリシア、お前もそのへんに」


手招きしながら言ったが、アリシアは明らかに躊躇った。やりたくない、というよりは、魂を転写するというあたりに問題を感じたらしく。


「いえ…私に魂は……」


「あるよ、気付いてなかったのか?」


ので、すぐに取り払ってやった。


「え……」


「機械だとかそういうもんはどうでもいいんだ、持つべきものは持つ、それが魂だ。付喪神なんてものもある、茶碗や釜にも魂が宿るのにお前に無いなんてむしろおかしいだろうさ。さあわかったらこっちに来い、覚悟を決めろ」

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