第154話

安徳天皇、史上2番目の若さで即位し、史上1番目の若さで崩御した天皇である。第81代、名は言仁ときひと、現職についていた期間のすべてを戦争の中に過ごし、やったこと、いややらされたことと言えば平氏と共に都落ちして、後は西日本を西へ西へ追い回された程度。在位していたのはたった5年、そのうち2年間は後鳥羽天皇の在位期間と重なり、1185年5月2日の壇ノ浦合戦を最後に現職を終える。その先は無い、無いのだ。


「……」


無論本人はそれを知らない、戦争の理由、優劣、まして死という概念すら理解できない年齢なのだから。対し日依は知ってしまっているからだろうか、改めて彼を探そうとした時、この場所から脱出させる方法をシュミレートして、しかしすぐに考えるのを止める。

これは既に終わった事だ、途方もなく長い歴史のごく一部を切り取って再生しているに過ぎない。明日の決戦において平氏が勝利しようが彼が落ち延びようが結果は同じ、何もかもが海へと沈む。

それに泥水啜ってでも生きたいか潔く死にたいかなんて本人に聞かなければわからない、まぁそれができる年齢にないから面倒なのだが。


「今戻ったぞぉ!」


なんて考えながら森をじっと見つめる日依だったが、聞こえてきた野太い男の声に背後を振り向く。


「あら、知盛とももり様」


雪音が応えた相手はさっきまでいなかった、庶民と同じような地味な服装の男だった。どうやらその格好で敵にばれないよう本州へ渡っていたようで、となると目的は偵察か、もしくは補給。


「どうでしたか?」


「まずまずだな。ひとまず彼奴は松屋を拠点にしているようだ、100騎ほどをこの目で見てきた」


平知盛は宗盛の弟、副将だが、兄とは違い戦争にも能があるため実質的には大将として振る舞っている。彼奴とは義経の事だろう、自ら居場所を調べてきたようだ。彼によると壇ノ浦東部では源氏軍舟艇が集結を終えており、その大半が近くで雇った水軍(≒海賊)で、ならば調略で離反させる事も可能ではないかと一瞬思ったが、この状況において平氏に味方したがる輩はいなかろう。

とにかく、総合すると明日彼らが攻めてくるという証明である。数は830艘、こちらにあるのは500艘。


「兄者はどこだ?報告をせねばな」


「宗盛様……惜しい人をなくしました……」


「ああ…禁忌に触れさえしなければ……」


彼は平氏棟梁、宗盛を探して左右を見回したが、雪音と日依が共に目を逸らして俯くと血相を変え、本部の建物内へと走っていった。


「兄者!?いったい何が!」


「コケーッ!コッコッコッコッコッコケコッ!」


「兄者ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



では改めて天皇探しを始めよう、既にタイムリミットは近い、早急に見つけ出して風呂、違う決戦準備を進めなければ。



「決めてくれ、連れ帰るってのは本人の意思に関係なくか?」


「気は乗りませんけれど…見つけてくれるだけで構いませんよ、そのあたりは私が」


「悪役に回るのは慣れてるさ、アルビレオ出すぞ」


「え、ここで!?」


言って、一切の迷いなく歩き出す。雪音謹製ツバキ油石鹸をまじまじ観察する小毬の肩をつついて逃げ道を塞ぐよう指示、ドロンと消えたのを確認して、その直後、小毬がいた場所にアルビレオを呼び出した。見たこともない暗緑色の巨大トカゲに当然ながら見た者は一様に悲鳴を上げるが、すぐに雪音が慌てて落ち着かせ、説明を彼女に任せて飛び上がる。

このままここにいても滅びを待つのみ、ならば持てる力を出し切るべき、上空から目に入った兵達の雰囲気はそんな感じだった。戦わずに終わらせる事はできない、戦争をやめるには一目でそうとわかる結果が必要だ、兵士1人1人の考えは別として、この軍は明日、自らの滅亡をもって戦争を終わらせる。彼らの様子を眺めながらやはり色々考える事はあったが、何も口出ししようとはせずアルビレオは北西の森へ達した。限界まで減速、できるだけ音を立てないように着地を行い、藪へ再び踏み入れる。着地の瞬間ほどじゃないがそれでもある程度はガサガサと足音が鳴り、耳を澄ませていれば簡単に気付けるそれに呼応するような形で森の奥でも似たような音が響く。だが長くは続かず、更に奥でなんかヘビの呻き声が聞こえるや停止してしまった。そしたら後は歩き続けるだけだ、間も無く豪奢な赤い着物が見えてくる。

長めの黒髪は先程ちらりと見た時と同じだったものの、服はあちこちにひっかけてしまったようで見るも無残にボロボロであった。そもそも子供にあんなものを常装させるのが間違いで、そのへん、そういう時代だったという理由だけで飲み込むにはちと厳しいが、まぁ今はいい。


「うわ…!」


「おっと!」


彼の退路を塞ぐ赤ぶち模様の大蛇は今にも飛びかからんと体を上下させていて、耐えきれなくなった言仁は日依の胸に飛び込んできた。受け止めきれず押し倒され、もつれるようにしてその場に転がる。壁に頭をぶつけたが如く痛がっているのがやや気に食わないが、背中に手を回して、それで捕獲完了、大蛇に手を振るとその長い巨体は煙に消えた。


「自由時間は終わりだとさ」


「だっ誰じゃ…いやそれよりも蛇が…!…え……」


「蛇?ふふ、そこらの枝葉を見間違えたんじゃないか?」


言仁の小さい体を乗せたまま上体を起こして、狐につままれたような狸に化かされたような顔をする彼の背中を何度か叩く。

三又に分かれた、上から見ればY字に近い彦島の北西にある半島の頂点だった。最初鉢合わせした時は南側にいたが、それからぐるっと回り込んでここまで来たのだろうか、ボロボロなのは服だけではない。


「海を見てたのか?」


「ぅ…いいや。この先には高麗こうらいがあるのじゃろ?ここからなら見えるかと思ったのじゃが……」


確かに、今いるここは西の端で、目の前はもう海岸だった。高麗とは要するに朝鮮半島の事で、ひいては海外の事である。高度と気候条件さえ揃えば十分に視認できるもので、確かに彦島からはすぐ北西、空はすっきりと晴れていたが、あいにく高度がまったく足りておらず、さらに眼前には竹の子島という小島が立ち塞がっていた。


「海の向こうには高麗があって、もっと先には宋があると尼が言っておった。そんなに遠くまでこの世は続いているのか?」


「ああ。宋の先にはインド、シリア、もっと先にはヨーロッパだ。今は…そうだな、エルサレムって場所を奪い合ってる」


「そうなのか、どこまで行っても戦なのだな」


「うん、まぁ……」


明らかに話題を間違えた、12世紀ルネサンスがどうとか言っとけは良かった。ただ間違いではない、この時代は戦争状態に無い国の方が少ないのだ。


「行ってみたいのう、戦が終わればできるだろうか」


「あー……」


どうすればいいかわからなくなってくる、歴史を変えても仕方ない、とは思っていたが。

第74代天皇 宗仁むねひとの妃である得子なりこ皇后、それが白面金毛九尾の狐こと玉藻の前のモデルとなった人物である。この言仁はそれより7代後、実際には想像を絶するほどの時代の隔たりがあるが、それでも九尾の末裔たる日依にとって否が応でも頭に引っかかる。

言仁を乗せたまま言い淀んでいると、いつの間にか彼は日依の服装へ興味を移していた。マントをさすって自分の絹織物と手触りを比べ、次に着物の振袖と下半分を切り落としたような上衣をつまむ。実際問題、着ている本人にもこれが何なのかわかっていない、しかし構造だけ見ればジャケットに分類されるか。


「これは絹なのか?」


「木綿っていう植物だ、ワタみたいなやつ」


シルク並に肌触りが良く、汗をよく吸い、何より保温性が高い。紡績産業の決定版ともいえるその素材は日本では江戸時代より庶民へ普及し、ポリエステルやナイロンが台頭した今も服といえば木綿コットンである。思いきり抱きついてきた言仁に「おいおい」と言いながらも引き剥がしはせず、右手は背中に置いたまま。


「暖かいな」


「そりゃ服じゃないだろ」


「皆私には触ろうとせぬ、遠くからかしこまってばかりで楽しくない」


「……大事にされてんだ」


それを聞いてまた黙ってしまう。辛うじて定例文だけひり出したが、やはり何もかもが不自由だ、思い通りになるものがひとつもない。


「すべて戦が悪いのか?」


「いや…………戦争は結果だ、原因じゃない。避けられない戦争なんてないぞ、問題なのはいつ道を踏み外したか、どこで選択を誤ったか。それを決めるのは政治家だ、許容しがたい不利益が発生した時、連中がちょいと目を眩ませれば、あっけないくらい簡単に戦争は始まっちまう。戦争が悪いなんて言葉は、結局は罪をなすりつける言い訳でしかないのさ。…まぁ今の私に、連中を非難する権利はないが……ん?」


と、話している間に言仁は顔を上げた。それからじっと日依を見つめ、細い指で頰に触れてくる。


「どうした、悲しそうな目をしている」


表情を変えたつもりは無かったのだが、言われてみればどうもそうらしい、少なくとも笑顔は消えていた。


「……心配ない、取るに足らん事さ、私は泣き虫だからな」


どうにも子供は騙せないなと、最後に両手で軽く抱きしめ、ようやく日依は立ち上がった。言仁を離し、自分で立たせ、ちらりと背後を確認、アルビレオはそのまま待機している。


「遠くに行ってみたいと言ったな、それは何にも勝る事か?近くにいるすべての人、例えば母親とかを見捨ててでもやってみたいか?」


「……母や尼を悲しませるのは嫌だな…」


「…そうか……」


耳元へ口を近付けて、小さな声で言ってみたが、返ってきた言葉はそれだった。であれば日依にできる事は無い。少し沈黙、目を閉じて、息を吐き出し、その後無理くり笑みを取り戻す。


「じゃあ帰るぞ。だが、まぁ、そうだな…空を飛ぶ夢を見た事は?」


「飛ぶ?人は空を飛べぬであろう」


「人は、な」


高度さえ取れば視界にだけは収められる、それくらいはいいだろう、”すぐに”連れ戻せとは言われていない。

誰でも許してやれる筈だ。


「見せてやるよ、この海の先」

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