第153話
「では伯様…あぁいや……今更ですけれど、何とお呼びすればいいでしょう?」
「ひよひよ、ひよひよで」
「では日依さん、案内しますのでついて来てください」
眉ひとつ動かさずにスルーかよなんて呟きつつも、隠れる必要の無くなった日依は藪を出る。その後すぐにあさっての方向から小毬が走り寄ってきたので人差し指で額を何度も突き倒し、その後平氏本陣中心部へ向かう雪音に追従する。
彼女は拘束されるどころか尊崇されていた、すれ違う者全員が立ち止まってお辞儀をし、場合によっては指示を求めていく。現在本陣はかなりの混乱状態にあるようで、原因は平氏側の天皇陛下、言仁(ときひと)様が脱走した事にあるのだが、6歳児に大人しく座っていろという方が無理な話、確かに居なくなられては困るものの、この彦島から出れる訳も無し、捜索に協力する必要性は感じられなかった。特に、彼の末路を知る日依にとっては。
「……指揮官代行してるのか?」
「成り行き上仕方なくというか…目が覚めたらここにいて、最初は捕縛されたのですけど、その…あんまりにも動きがのろいものだから……」
やっぱり、といった所、それで大将に説教食らわせてこういう状況に陥ったという話であろう。確かにタイムスリップしてきた側から見れば連中の動きは効率が悪く、また技術レベルも低い。まともにやったって勝てっこない状況に何でも知ってる狐耳が現れて瞬く間に態勢を整えたもんだから、すがりつきたくなるのも当然と言える。
「まずかったでしょうか」
「構わんさ、勝てば帰れるって訳でもなさそうだしな、やりたい事をやればいい。……そんで戦況は?」
「実際に戦う方々の前で口に出したくはありませんわね」
少し歩いて辿り着いたのは島内で一番大きな建物だった。急造したものなのかそれとも必要最低限にまとめたのか、大きいとはいっても天皇を収容するにはあまりに小さく清涼殿の半分以下、雪音が戸を開くと木材の質感を活かしたモダンな内装が現れる、要するに”建てただけ”なのだが。
「そのあたりの話は後でまとめて致しましょう、風呂を沸かさせますから、まず休息して頂いて」
「え、お、風呂あんの!?サウナじゃないぞ!浸かるやつだぞ!」
「当然です、私は戦艦の艦底部に檜風呂置いた女ですよ?流石に全員は不可能ですが周囲の人間にはそのあたり徹底させてますのでご安心ください」
日依と小毬を招き入れながら雪音は自慢げにふんぞり返る。やっほいとか言いながら玄関口でマントに付いていた埃や葉を落とし、ブーツを脱いで上がるとまずギシリと床が鳴った。最初から屋内にいた人間はその音で気付き、音量を元にする体重の推測から逃げ出した言仁が帰ってきたと勘違いしたのか、奥の方の戸を開けて偉そうな黒衣と袴姿の男が飛び出してくる。
「私の客人です、
「あ…左様か……」
ちょんまげを収納する為に奇妙な形をしている
「どうだ?陛下はおられたか?」
「未だ捜索を続けています。森の中に入られたようで、確かに範囲は狭いですけれど」
「……日暮れまで遊ばせとく訳にはいかんの?」
「状況が許せばそうしています、ですが今日は元暦2年3月23日、グレゴリオ暦で1185年5月1日なのです、わかりますよね?」
わかる。明日、すべてが終わると言いたいのだ。
困ったように外を眺める雪音は溜息をついたのち、何かに気付いて日依をじっと見つめる。必要無いとは思っているが、わかったわかったとブーツを履き直し、風呂の用意が終わる前に済ませてしまおうとまた外へ。
「ん…?」
と、そこで急に法螺貝の音が鳴り響いた。
「また来た……」
雪音がうんざりげに呟き、なんだと思って音の方向に小走りで行ってみれば、彦島と本州の間、海上に1艘の船が浮かんでおり、船上には漕ぎ手と、何人かの配下、及び赤色の鎧を纏った青年が立っていた。あれは源義経、日依がこの時代に来てから最初に接触した源氏の大将、未来からの目線で見れば現状況における”主役”である。また来た、という事は今日が初めてという訳ではなく、なるほど昨日はこれの帰り際だったのかと、まずは納得。
彼は彦島の海岸から300mの距離まで接近している。たった1艘、護衛は無いに等しいが、和弓の有効射程をしっかり読んでいて、当てられない距離ではないが命中率は極端に低く、兵器不足に苦しむ平氏軍には彼1人の為に射る矢は無い。こちらも船を出して接近するなら後退、本州へ戻り、潜ませている部隊で殲滅、といった所だろうか。これは今から300年後に始まる戦国時代に相当する戦術だ、平氏軍は迎え撃とうと戦闘準備を始めるが、そのあたりきっちり理解している雪音は一切を制止。釣られてなお勝利できる戦力が無いなら無視するしかないのである。
「…………」
海岸まで出て行くと、船上の彼はすぐに気付いた。一目で判断できる赤い髪と黒の衣装を捉えて僅かに不快感を示したが、日依が意地悪そうに笑う中、昨日と同じ無表情を取り戻した義経が息を大きく吸い込み、そして叫ぶ。
「聞かれよ!我らは明日総攻撃を行う!これが最後の通告である!死が惜しい者は我が軍門へ降りよ!その者は助命を約束する!」
他にもいくらか言葉を使ったが、一番言いたいのはその部分だろう。これ以上近付けば攻撃されるという距離を掠めながら何度か同じ事を繰り返し、それが終われば彼は帰っていった。挑発には乗らず、自らを囮にした作戦は失敗した、かと思えば、そういう訳でも無いらしく。
「ああやって毎日やってきてはこちらの士気をへし折って行くのです、しかもこんな良い時間を選ぶものだから仕事をぱったり止められるし、意地の悪い男……」
雪音のぼやきに曖昧な返事をしながら日依は去っていく義経の背中を眺める。その姿に対して、何かが魔女の琴線に触れたのか、日依は笑ったまま、明日が決戦と聞いて落ち着きを失っている平氏大将、宗盛をちらりと見。
「そりゃあ、仲良くなりたいのは宗盛サマだぁな、上司にしたいかは別として」
「言わないでください、本人気にしてるんです」
「ふふ…それで雪音ちん、お前はどうしたいんだ?あれに勝ちたいのか?」
「私1人に事態をひっくり返す能力がないのは知ってるでしょうに」
確かに、それは指揮官を変えた程度ではどうにもならない。日依も同じ、何万の軍勢を相手にしていてはさすがに疲れる。
結局は成り行き、可哀想だったからという理由だけでの加勢だ、勝算があったから、という訳ではない。
「まぁいい、雪音ちんがこっち側に居るなら私もそうしよう。という訳で宗盛サマ、世話になるぞ、つっても明日までだろうが。何か知りたい事はあるか?」
「あ、あぁ…かたじけない。……知りたい事とは…」
「なんでもいいぞ?相手の戦力、取ってくる戦法。何なら私の好みとかでも構わん」
「む…それでは、気になっていた事があってだな」
笑いながら宗盛へと歩み寄り、慌てる彼へそう言う。指揮官として役立たずでも大将は大将だ、こっちが知っている情報は吐き出してやるべき、もちろん最後のは冗談だが。つまり未来を教えてやろう、と思ったのだが、どうも彼は冗談が通じないタイプであるらしく。
「実際に音を捉えるのは、どっちの耳なのだ?」
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