第155話

少しばかりの空中散歩ののち、何事もなかったように拠点まで戻ってきた。年相応にはしゃぐ言仁を落ち着かせるのに苦労したが、それだけの事だ。

それが終わればようやく風呂、全身の汚れを洗い流してキャミソールとスカートの普段着に着替え、桶に張った水へ着ていたマントとかを放り込んで石鹸擦り付けたり揉んだり踏んだりの洗濯を始める。強めの風を自力で起こして強制乾燥を終えればツバキの香り漂ういーい感じになっていて、雪音にこの石鹸の製法を聞いていたらもう夕飯時、重鎮の食事に同席する。



「それで明日はどうすんだ?」


「小細工などもう必要なかろう!後は正面から仕掛けるのみよ!」


「知盛様はしばらく黙っててくださいね」


素材の味を活かした、というよりはなんというか、紅茶っぽい感じの夕食だった。世界中で高評価を得る日本食とて最初から完成されていた訳ではなく、まず醤油と味噌が発明されていない。両者の原型となる大豆を発酵させた醤(ひしお)というペーストがあって、後は塩、酢、酒、この4つが調味料のすべてである。それだけならまだいいが、なんといっても出汁の概念すら生まれておらず、鮮度の良くない食材を加熱して食えるようにし、何の味付けもしないまま出されたそれをお好みで塩や醤を付けて腹に収めるという、そうイギリスの伝統料理そのものなのだ。

ついでにあの紳士の料理について弁明を述べておくと、この通りスタートラインは皆同じ、しかしブリテン島は日本列島より遥かに農業に適さぬ気候と土壌で痩せこけた野菜しか採れず、さらに伝統を重んじすぎる性格から、料理は丁稚奉公で雇った子供に作らせる、美味しさを求めるのは下賎な庶民のやる事、食事中は会話厳禁、上流階級はコレを食べるもの、そして以上を守らなければ冷ややかな目で見られるという思想に染まっていた。上の人間が料理を保護、研究しなければ美味くなる筈がなく、追い討ちをかけるように産業革命を引き起こし、比較的マトモな思考を持っていた庶民が工場で1日20時間労働をするようになると数少ない民族料理すら断絶してしまい、結果残されたのが今のアレである。ただこのあたり現代イギリス人も自覚していて、少なくともこれ以上マズくなる事はない、と思われる。


「事前にやれる事はすべてやっています、といっても相手の布陣を確認して、一部の兵船に盾を取り付けたくらいですが」


「兵法的には?勝つ自信あるか?」


「正直ありません、あの男は異常です、生まれる時代を500年は間違えています。知盛様(コレ)が一般的な考え扱いされる時代に側面迂回→縦深突破を仕掛けてくるのですから」


「小心者のやる事よ、正面からぶつかるのが怖いからそんな外道な戦いをだな」


「知盛様、お口にチャック」


なるほどこんな感じでしばらく操縦してたんだな、思いながらメインの汁物に口をつけてみる。仏教の影響により獣肉食が忌避される中ではあったが、腹が減っては云々の精神なのかネギと共にしっかり肉が入っていた。ただ調味料の有様は上述の通りである、何の肉だか知らんが非常に獣臭く、汁っつーかお湯、煮ただけ、マジで。既に俯いて閉口してしまっている小毬と同じく日依も絶句、引きつった笑顔で小皿の塩をつまむ。


「東から攻めてくる敵軍の横を抜けてもう少し広い海域まで出れれば機動戦闘に持ち込めるでしょうが、あんまり南に行きすぎると九州の範頼軍に攻撃されるし、何より矢が足りない、戦闘を継続できるのは2時間ほどです。一矢報いるだけでいいならご期待に応えて見せますが……」


「コケ…………」


「宗盛様」


「は…おぉ……その、どうにかならんか?」


「私の力ではどうにも」


その他食膳に並べられているのはイワシの干物と、カブと、何らかのおひたし、すべて等しく味付けが無い。唯一現代と何も変わらないのが白米だ、箸を突き立てるのが正式なマナーだったりするが、これさえあればひとまずは安心である。


「このお肉何なんデスかねぇ……」


「わからん…イノシシとか…?」


だとしたってこの汁物は常軌を逸している、臭みを取る努力は払われたようには感じるが、それでもなお顔を近付けただけで襲ってくる獣臭、口に入れれば何とも言えない、名状しがたき食肉のような、どうにか例えるならば牛肉を煮込んで煮込んで煮込んで煮込んで旨味の染み出したスープを流しに全部捨てた後残った搾りカスを頂いてる感じっつーか、うん、臭いだけ残したダシガラ。


「必要であれば、落ち延びる準備を致しますが」


「それは…上に立つ者として良いものなのか?」


「良くはありませんわね、でも人の生存本能は何にも勝りますから」


「そ、そうか?いやでも…ううむ……」


「兄者は後ろで立っておればいい!私がすべて請け負うでな!」


「知盛様……」


帰ったらうどん作ろうな、味噌煮込みやりたい……などと会話するこちらをよそに雪音達は話し続け、間にちょいちょい食べ物を口に運ぶ。そのうち雪音もこの謎肉を箸で取り、1度噛んだかどうかという所で両目を見開いた。


「はは、まぁ冗談はこのくらいにしておくとして…幸い大型の唐船がひとつある、本来言仁様をお乗せするべきものだが、これに兵を潜ませておびき寄せるのはどうか?いささか卑怯なやり口だが三度の飯より奇襲が好きな彼奴が相手だ、文句は言わんだろうよ」


不意に固まる雪音に気付かず、ようやくマトモな事を言い出した知盛も肉汁を一気に平らげる。日依達はげんなりしたが本来の住人には普通らしく、うむと頷いただけで感想を終えた。


「知盛様、この肉まさか……」


「これか?偵察の際に運よく出くわしてな、これ幸いと狩ってきた……」


「あ、ちょっと待って!口に出しては…!」


と、急に慌てる雪音を置いて、

とても自慢げに彼は言う。


「狸だ!」


簡潔に説明しよう、たぬき汁には2種類ある。味噌汁にコンニャク入れた精進料理と、読んで字の如くタヌキぶち込んだ汁である。狸肉の歴史は非常に古く縄文時代の遺構からも骨が度々出土していて、臭いがキツいためニンニクなどで処理するか、味噌の発明後はそれと合わされるのが普通だった。やがて仏教が広まり肉食が忌避されると食感の似たコンニャク等で代替する料理が生まれ、それが精進料理としてのたぬき汁となる。

改めてこれを見てみよう、まず味噌汁ではない、コンニャクも入っていない、あるのはただ何らかの肉のみだ。まずい、と思った時には1膳の箸がかちゃーんと落下して、次いでぷるぷる震え出す。


「よし小毬私を見ろ!違うお前じゃない!なんだかんだ言った所で私達は人間!人間なんだ!」


「あぁ…ああぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁ…!」


「駄目だ!!小毬!!戻ってこい!!」


狸耳を隠し続けたのが仇となったか、1D6+4くらいのSANチェックをやっちゃった小毬は両肩を掴んで激しく揺らすも目の焦点が合う事は無く、さらに激しく過呼吸を始めてしまい、このままでは手遅れになる、そう思って右拳をぎゅっと握り。


「しゃらあ!!」


「けびゃっ!!」


「うわああああ!?」


命中する右ストレート、鳴り響く鐘の音、屋外に繋がる障子はいとも簡単に破れ去り、他3人の絶叫がそれに続く。


「お…おお…見かけによらず怪力であるな……」


夕日に染まる外へ吹っ飛んでった小毬を追って障子の残骸を越え、裸足のまま縁側から降りる。口をあんぐり開いて仰向けに転がる小毬の上体を引き落としてまた揺らす、すぐに目を覚ましてくれた。


「小毬!」


「はっ……い、今いったいナニが…?」


「いいんだ、思い出さなくていい」


なるほどここをこう殴れば人の記憶は消えるのかと確信を持ちながら小毬を立ち上がらせ、その間にそそくさとお椀を回収する雪音。足を拭く布まで用意してくれたが、ちょうどいい、そこ置いといてくれと言って、彼女らから見えない位置へ移動、しゃがみこんで小声で話す。


「なぁ、源義経は松屋って場所に駐留してるそうだな、位置わかるか?」


「だいたいは、山陽道沿いに長府より先デス」


「会って話す必要がある、忍び込むのを手伝ってくれ」


「いいデスけど…まさか暗殺?」


「その程度でひっくり返るほど安い話じゃない、話したいだけだよ。飯食い終えたら気付かれないよう出発、日付けが変わる前には帰ってくる。そしたら小毬、お前は変な事に巻き込まれる前にここを離れておけ」


「ん…でも、他に何か、手伝うものないデスか?ここまで来たんだからやれる事はしますけど」


「気持ちは嬉しいが、あんまり考えなしに口を動かすな、戦争を手伝うって事はつまりそういう事だ。他人の命に関してどう思ってるかは知らんけど、少なくとも私は、お前の手を汚す必要はないと考えてる」


「あぁぅ……」


「ふふふ。役に立たない訳ではないぞ、たったひとつの存在を消す事で組織そのものを瓦解させる、そういう点では1人の暗殺者は数万の軍隊に匹敵する。あくまでお前に人を殺す気があればだが…まぁ要するに、自分の能力を安売りするな、あらゆるものが不幸になる」


隅っこの方でぼそぼそ話し続け、小毬を困り切った表情にさせる事でそれを終える。実際どうかと聞かれればそれは必要なものだ、殺人に慣れるという意味でも今以上の練習場は無い。だがそれでも、おそらくやめておいた方がいいだろう。縁側まで戻って、足を拭き、ついでにちらりと夕焼けを眺め。


「悔いは残すな、今から24時間以内には向こうへ帰るんだ。多分、多分な」

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