第146話
とりあえず、七海が絶えず気にしていた妙な男性は周囲のほとんど全員と同じようにおにぎりセットを注文したものの、「巫女のご指名はできない事になっておりまーす♡」とでも言わんばかりの彼女にゴリ押しされ、実際そんな事はまったくなかったのだが、結局スズと接触できずに1時間で帰って、ああいや、外出していった、最後まで居心地悪そうにしていた。
それが終われば後はひたすら米飯との戦いだ、ただでさえバカ高い通常おにぎりの倍近い値段設定ながら来る者全員が注文していく。あっちで頼まれこっちで握ってをひたすら繰り返し、しかし店長に提供された薄いビニール手袋に熱を遮断する能力は無く(むしろバイトリーダーは「素手で握らんでどうする」とか言ってる)、幸いにして小毬から聞かされていた体験談と比べればある程度冷まされていたが、客足が途絶えた頃には両手は赤くなっていた。これで時給1350円、高いか低いかよくわからん。
「三笠の烹炊室に自動おにぎり製造機を導入しよう、一番いいやつ、うん」
「……まぁ伝えてはおきましょう」
そうして閉店間際の午後4時30分、最後の客がやってきた。ボックスカメラを抱えて入店した彼女はまず部屋の隅で丸まって眠るリコの前でしゃがみこみ、烏帽子の位置を直したらカメラを構えてじーこじーこやりだした。出会った当初は機械相応の無機質な性格だったのにリコが来て以降日に日に壊れていくアリシアを見て僅かな悲しさを覚え、つーかオマエ直観像記憶なんて目じゃないレベルで完全記憶できるだろと思いながらしばらく。満足したのか玄関口で唖然としていた義龍を連れて着席し、すました顔で「どうですか」などと聞いてくるのでそう返した次第である。
「それで折り合いは付いたの?」
「あ、はい!先ほど決着致しまして!」
「誰に何を吹き込まれた」
あの爺さんか、発言を許されるまで口を開くなとでも言われてんのか。急に敬語になっちゃったりしている義龍はどうやらスズの素性を知ったようだ、七海が姫御子姫御子連発する上誰も隠そうとすらしていなかったから当然の帰結なのだが、こんな萎縮してしまうようなら隠しておくべきだった。
なお今更ながら
「いきなり改まっても仕方ないでしょうに、あたしはあたしだ、何も変わってない」
「あんまり敬いたくなる感じでも無いしの」
「ふふ…それは聞き捨てならんな下郎、直ちに撤回しろ」
お茶とおしぼりを持ってきた七海の横槍に対して苦笑いしながらもそれっぽく返答、こんな感じでいいんだよという風に彼女は義龍へウインクし、「じゃあ…今まで通りに」と目を泳がせつつ呟く。ラストオーダーを過ぎたからか七海はその後すぐに店頭の看板と暖簾を片付けてしまい、数人いた他の巫女さんに撤収指示、スズと七海、及び瞬く間に消費される食材をひたすら走って買い出し続けた為に精魂尽き果ててる店長を残してバックヤードへ引っ込んでいった。
そして最後に持ってきたのが米びつ、注文受ける前に用意すんなよって感じではあるが、伝票を書いていない、要は残り物処理という事だ。だったら思いっきりどでかく作ってやろうと海軍の規定に従って1個1合のおにぎりを2個(計700g)、だいたいこのくらいだろうと持ち上げる。途端に「いやちょ…ただの野球坊主にそれは無理…!」なんて言い出したが、「構わん握れ」とバイトリーダーがおっしゃるので、ちょっと悪い顔しながら三角形に成形。これに鬼の形にカットした海苔を貼って沢庵と白玉ぜんざいを添えるのがしだれやなぎ流だが、七海は海苔の代わりにゴマを振りかけ、おみやげ用なのか竹皮っぽい模様の紙包みを皿代わりにして、沢庵だけを付けた。
義龍限定メニュー、戦艦大和最期の食事である。何の比喩でもなく、勝利など欠片も望めず、生還すら絶望視される戦いに赴いた4月7日のあの日、乗組員に提供された戦闘糧食を生存者の記憶を元に再現したものだ。とはいってももはや遥か昔の出来事、先週の夕飯を思い出すにも苦労する我々人間から正確な情報を得られる筈も無く、握り飯は真っ白だったとか、3つだったとか、いや付け合わせはゆで卵だとか諸説あり、また大和の乗組員3000名全員がまったく同じ食事を取った可能性も薄い。
「俺にはちょっと重すぎるかなー…色んな意味で」
「ファイト」
「義龍、ファイト」
「…………ウッス!」
高校球児、インドア派よりは絶対食べるだろうがそれでも茶碗6杯半、おかずは沢庵数切れのみ。そもそも米100%の銀シャリ自体がご馳走であった当時ならいざ知らず、肉体的にも精神的にも厳しい戦いとなるだろうそれに対して、スズとアリシアに背中を押された彼はファーストベースに向かうが如く突撃を始めた。
押されたというよりは突き落とされたと言う方が正しい気もする。
「……そんで報酬は?」
「内緒です」
「えぇ……」
米の塊と格闘する義龍の正面に座るアリシアは口元で人差し指を立てて一言、しかし本当に何も言わないのもどうかと思ったらしく、続けてこう言う。
近いうちに始まるであろう最終決戦において、相手に嫌がらせを加える約束を取り付けた。
「詳細は後ほどとなりますが、鳳天大樹へ移動する必要が生じました、しばらくここには帰ってこれないと思ってください」
「おや」
「ですので言いたい事があるなら今の間に」
言った瞬間義龍はピシリと固まり、続けてアリシアに促されるとひとまずおにぎりを置く。急に汗をだらだら流し始めた彼はスズを見て、次にアリシアを見る。
「今です」
どうやら何か話があるらしい、だが声に出して言うには勇気のいる話のようだ、見るからに挙動を乱して息を荒げている。このままでは何も起きずに終わるだろうがどうしても言わせたいアリシアは構わず突き飛ばした、それで何らかの意を決したか、口に付いていた米粒を取り、椅子から立ち上がり、決意の眼差しでスズへと向き直って。
そして言う。
「こっ……この後一緒に花火見ませんか!?」
「え、なんで?」
え、なんで?
え、なんで?
「姫御子、そこに直れ」
「え?へ?」
「いいから直れ。よいか、第一前提として”無知は罪”じゃ」
どうしてそうなったかわからないがとりあえず七海は説教を始め、アリシアは何も言わず食べかけおにぎりを竹皮シートで包んでお持ち帰り準備、義龍はというと、部屋の隅で体育座りしてリコをつついている。
「家の前にブルーシートを用意しましょう、後ほど合流してください」
「ああ、必ず行こう、ツマミは儂が見繕っておく」
「いや今何が起きたの?」
「「お前は黙れ」」
「ハイ……」
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