第147話

「また行くのか?」


「うん」


2日間の祭りのクライマックス、色々あってまったく関与しなかったが、洋館で戦っている最中も喫茶店でバイトしてる間も山車を引き回すどんちゃん騒ぎは続いていた。蛇がうねるように成長する枝は下層からも観測されていたものの祭りの進行には影響無く、例年と比べて”神楽が非常にあざとかった”という以外にスズらの耳に入ってくる話はなかった。やらなければならない事は終わったし、せめて最後のイベントだけは楽しもうと、日が沈んでから再び集まる予定を付けたがその前に、買い物袋を抱えた七海がおもむろに言う。


「それはお主自身のやりたい事か?」


「どうだろう」


スズ宅の前にはブルーシートが敷かれていた、そして既に2人潰れていた。シートの中央に鎮座するのはダルマみたいな形の黒い瓶、アルコール度数40を超えるブレンデッドウイスキーであり、割られた形跡は一切無く、ふたつの(通常サイズの)グラスだけが転がっている。まさか17歳の野球小僧がそんなワイルド極まりない飲み方を知っている筈もなく、最初に始めたであろう円花もなんか這い回るイモムシみたいな格好で沈黙している点からきっと香菜子ちゃんの真似をしてがぶ飲みしたんだろう、ビールとウイスキーの違いも知らずに。

なおビールは醸造酒、ウイスキーは蒸留酒である。米や麦などを発酵させて微生物の働きによってアルコールを生み出したものが醸造酒だが、微生物は自らが作ったアルコールによって殺菌されてしまい、そのまま放っておいても15〜20%で度数は上がらなくなってしまう。そこで醸造酒を加熱し出てきた蒸気を集める事でアルコールを濃縮したものが蒸留酒、突き詰めてやり続ければ100%近くまで度数は上がり、一般的にそのまま飲む事は少ない、カルピスを原液のまま飲むようなものだ。具体的な例を挙げると、米の醸造酒が日本酒、蒸留酒が米焼酎、日本酒はそのままが当たり前だが焼酎は普通はチューハイにする。「どうせ何かを混ぜるんだったらウイスキーである必要ないだろ」とはもっともな意見だが、それに関しては実際にストレートで飲み下してみれば即時理解できる。つーか舌に付けた時点で気付けよ明らかにヤバい味するだろ。


「無理をする必要はないのだぞ、どんな立場にあろうがお主とて人じゃ、拒む権利もあろう」


「ん……」


「ここに居たいなら居れば良い」


1発目の花火が上がった、海上から発射されたそれは高度600mまで光線を引きつつ上昇し、見事な赤い花を開く。4000m近いここからは遥か下に見下ろす形となり、普通とは一風変わった光景である。そりゃどちらかといえばスズとて見上げる位置から観賞したいが、人ごみにもまれながらでもと言われると疑問符が付く。なにせ最下層は非常に狭い、しかも迷宮構造。


「そうできるならそうしたいとは思ってた、けど…ごめん」


そのまま連続して何発かが開花している間に家のドアが開いてアリシアが出てくる、彼女はフライドポテトと白身魚フライ、それからウイスキーを割る為の水と氷をお盆に乗せていたが、揃って倒れる両者を見て顔をしかめた。


「それじゃたぶん、もう納得できない」


「……そうか、なら構わん」


ブルーシートまで到着、七海が買い物袋からスルメやら何やら出している間にイモムシ状態、要するにうつ伏せで尻突き出してる円花を転がして仰向けにしてやる。


「誰もいないっつったってそのカッコは駄目でしょ」


「いいんなぁ…どうせ私みたいな生きる権利すらない暴力系女子を気にかける男なんていないら……」


「ああめんどくさくなってる……」


「使いたいなら使ってもらってむぐぐぐぐ」


R指定を考えろと口を塞ぐ、同時にそれを聞いて寄ってきた七海の首を掴む。「お母さんこいつらなんとかしてぇ!」なんて叫ぶと七海を羽交い締めにして引き剥がすアリシア。すったもんだやっている間にも花火は続々打ち上がっていくが落ち着いて観賞などできるわけがなく、まぁこれが正しい花火大会の楽しみ方と言ってしまえばそれまでなのだが。


「誰がお母さんですか」


「…うぅ……母さん…水…」


「増えた……」


本人は間違いなく実母に対して言ったのだろうが、七海はそこらに手放して、お盆から水の入ったポットを掴み、アリシアは義龍の上体を引き起こす。未成年のイッキ飲みがどれほど危険かを自らで証明する彼はどこ見てるかわからない目をしており、これはもう致命傷だ、今すぐ自宅に戻すべきである。円花の再沈黙を確認した後、横にあったグラスを取って、アリシアへ見せるとそこに水が注がれる。意図せずチェイサーとなってしまったそれを義龍の右手に掴ませ、しかし握ってくれないのでそのまま開きっぱなしの口へ。


「大丈夫?前見える?」


「天使が……」


「見えてないね」


「見えているような気もしますが、とにかくスズ、彼の家に報告と、バケツの用意を」


少量の水を飲ませ終え、オーケーと言ってスズは立ち上がる。もう少ししたら間違いなく吐く、食べながら飲んでいた訳では無いが、数時間前に少なくない量の米飯を腹に収めている筈なのだから。まずそれを済ませて、終わった後に布団だ。


「どれ、儂が介抱してやろうか、あんな唐変木は放っておくといい」


「いや遠慮しま…やめてぇぇ…………」


入れ替わりでやってきた七海ががさごそし始めたのを見て「そいつの眼鏡を奪え」とアリシアに伝える。一瞬の抵抗もできずに視界を奪われた七海の呻きを背に小走りでお隣さんへ。

平賀邸は明かりが点いていたが一切の物音がしなかった、玄関のベルを鳴らしてもそれは変わらず、声で呼んでみても反応が無いまま。手が離せないのだろうか、いやだとしても返答すら聞こえないのは不自然だ。


「すいませーん?」


もう一度ずつベルと声かけを行い、やはり何も起きないのを見て、さてどうしようかと考える。異変を察知して義龍から手を離すアリシアをちらりと見、次に自宅。ひとまず向こうに移してもいいが、まがりなりにも非常事態故報告だけでもしておきたい、ので、仕方なし、引き戸に手をかけた。


「っ…スズ待って!何かおかしい!」


急に叫んだアリシアへ目を向けるも、左手はそのまま戸を開けてしまい。


「……え?」


灰色のシャツとジーンズを着た、黒髪短髪の男が待っていた。年齢20代後半、身長170cm程度で、特に何の特徴も無い背格好のそいつは戸が開くや素早く近付き、事態を把握しかねているスズへ右手を突き出す。

握っているのは見間違えようのない”あの石”だ、茶色く色付いた透明感のある宝石は一切の不純物を内包せず楕円形のオーバルカット、表面に彫られるのは少しずつ位置をずらして稲穂を表現する3つと、それを囲む9つ、合計12の菱形である。あ、やられる、と感じた時にはもう溢れた何かがスズを覆い尽くして、急速に意識を奪っていく。


「ス…………」


最後に見たのは、自らがやった事に何故か驚く男の顔と、仰向けに倒れていく景色。真っ白な少女が一瞬だけ映ったような気がするが、その頃にはもう暗闇に支配され。


冷たくなっていく感覚の中で、花火の音だけが僅かに響いていた。

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