第108話

武川 忠吉(たけがわ ただきち)陸軍大佐は戦闘指揮所へ辿り着いた瞬間に固まった、その場の全員が床に転がって寝息を立てているのもそうであるが、大急ぎで階段を駆け上がり廊下を通り抜けドアを開けたらまず目に入ったのが狸の信楽焼(しがらきやき)だったのだ。武川の身長より少し小さい程度の巨大な置物は入口すぐの部屋の隅に鎮座しており、右手に徳利、左手に通帳、どっしりとした玉袋を垂れ下がらせ、編み笠をかぶった特徴的なボケ面で武川を出迎えてくれた。この信楽焼の代名詞と呼べる狸は現在では縁起物で、タヌキが”他を抜く”とかかる事から商売繁盛を祈って店先に置かれる事が多い。この酒買い小僧と呼ばれるタイプは信楽焼の八相縁起になぞらえて…いやそんな事はどうでもいい。


「は……おい!起きろ!」


あまりの意味のわからなさに立ち尽くしてしまうも、すぐ立ち直っていびきをかく副隊長を激しく揺さぶった。首をがっくんがっくんしながらいびきを止め、呻きながら目を開けると、すぐさま窓の外の様子が飛び込んできたらしく寝ぼけ眼を吹き飛ばして絶句する。

巨大なヘビが首をもたげて暴れている状況は変わりないのだが、今はそれに追加して体長200mに届く人型をした半透明の何かが出現、ウワバミの頭を掴んで叩き伏せようとしていた。そりゃウワバミに比べれば小さいもんだが足踏みするだけで地面が揺れ、司令部の壁は軋む。何がどうしてこうなったかはまるで不明ながら、少なくとも巨人が取っ組み合いを始めたおかげで後退には成功した。


「連隊長…この光景映画で見た事あります!」


「知るかそんなもん!!早く立て!隊をまとめるんだ!」


他の要員も急いで起こす、無線機をフル稼働させて場内の全隊を連携させる。頭脳を取り戻した教導隊が急速に戦闘準備を整えている間にも巨人は司令部に背を向けその場に踏みとどまって、しかしじりじりと後退していく。


「海軍の様子はどうだ?」


「まだ動きありません」


「なら上に砲撃要請しろ、連中が動かないならアレしか無い」


「あんなものを撃ったら我々もただでは……」


「どっちにしたってこのままじゃ全滅する!それにどうせ海軍は撃つぞ!軍人が死ぬのと民間人が死ぬのでは重みが違うからだ!」


一際大きく建物が揺れた、何が起きたと窓を見れば巨人の背中がすぐそこまで迫っており、よく見ると首筋に大蛇の牙が突き刺さっている、もう持たない。


「脱出する!持てるものだけ持っていけ!」


ズン、ズンと立て続けに後ずさり、そのまま3歩目の後退をしたが、そこで足音は消え、半透明だった体が更に薄くなっていく。完全に消え去る前に武川は床に落ちていた誰かのライフルを拾い上げスリングで肩に担ぎ、6.5mm弾の弾薬箱に手を伸ばす。


「ぐ…!」


しかし遅い、何も持たずにすぐさま逃げ出すべきであった。最初から何も無かったかのように巨人は消え、全力で押し合いしていたウワバミが勢い余って頭を突っ込ませ、それによって建物の半分が瞬時に崩壊、衝撃でよろめいた各々は壁や機材に掴まってやり過ごす。武川も例外ではなく、揺れが収まった時その左手は信楽狸の肩を抱く形になっていた。もはや半秒のロスも許されない、脱出経路は…少なくとも階段は木っ端微塵である。


「窓から飛び降りろ!急げ!」


下が砂とはいえここは3階、飛び降りるには勇気がいる、が、どう考えたってそうする以外に道が無いのも確かであるため、全員が速やかに窓に取り付く。それに続こうと狸の首から腕を離すも、1人目が飛び降りたかどうかという所でウワバミが動いた。


「がぁっ!づぅ…!」


その瞬間に何が起きたかはわからない、轟音と共に床が崩れたまでは理解する事ができたものの、それ以降は全身に走る激痛と空を飛ぶ感覚のみ。かなり長い間空中にいた気がするが実際はせいぜい2、3秒で、多数の瓦礫と共に砂浜へと叩きつけられ、そこで意識が飛びかけた。今気絶はできない、頭脳を失った部隊などに価値は無いのだ。幸いまだ生きている、意識が朦朧としながらも両腕に精一杯の力を込めうつ伏せの体を無理矢理起こし、歯をくいしばりながらむにゅりと砂を握りしめて、いや。

これは砂の感触ではない。


「ひ…ひ…!」


なんだこれはと目を開ける、そして状況を理解する。

四つん這いになる武川の下には茶色い髪をサイドテールにし、ほぼ同色の大きなTシャツ、黒の短パンを着た今にも泣き出しそうな顔の女の子がいた。誰だこの子はとまず思ったが、解答を導き出す前に先程からむにゅむにゅしている右手の先。


胸である。


「うわああああああああああああああ!!?」


「なんでこんなのばっかりぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」


即時飛び退く、そして土下座。


「申し訳ありませんでしたああああああ!!」


「えぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」


ウワバミの存在を思い出したのはその後だ、まだ背中にあったライフルを引き出し、謎の少女はひとまず忘れて、瓦礫の山と成り果てた司令部と頭を引き戻すウワバミ、そして口をあんぐり開け立ち尽くす副隊長を視界に収めた。


「羨まし過ぎますよ隊長ぅ!!」


「バカ言ってねぇで奴をどうにかしろ!撃て!撃ちまくれ!」



「撃つな」


ここまでやってもまだ恐怖すら覚えていない大物なんだかバカなんだか判断に困る副隊長と、土下座から復帰したばかりの武川の横を


「へ……」


白い着物を着たくすんだ金髪の男が通り抜けながら


「せっかく時間稼いだんだ、さっさと逃げろ」


その右腕を大蛇へかざし


「陛下!?」


「え゛っ!!」


最後に、少女がいきなり泣き止んだ。

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