第60話

2日目の午後、クレーンで吊り上げられた内火艇(エンジンボート)が三笠の横に着水する、ワイヤーとの接続を切り自走を始めたそれは雪音を乗せ三笠から離れていく。

ワイルドハントの接近に伴い荒れ始めた海へ錨を落とし、4隻の艦隊は瑞羽大樹のすぐそばに停泊していた。眼前に広がるのは行き当たりばったりの増築を繰り返し無秩序に広がった港湾施設、通称瑞羽大迷宮。我々のような部外者が地図も持たずに入るのは愚かな行為であり、実際、半泣きになりながら民間人に道案内される人間がどれだけ出た事か。


「いよいよもって近付いてきましたな」


「ええ」


二又に分かれる鳳天大樹と違い1本の太い幹がまっすぐ伸びるスタンダードな形状の瑞羽大樹はその全容のほとんどを雲によって覆い隠されていた、見える箇所には機関銃陣地やバリケードがお互いをフォローし合えるよう設置され、固定式砲台も臨戦態勢を取っている、ここはワイルドハントの進路外だが、万が一という事だろう。

ここに寄った理由は装備の増強を行う為だ、相手が人間ほどの大きさで、かつ波に揉まれてマトモに照準が付けられない状況では動きの遅い主砲と副砲は役に立たない可能性が高い。数に物を言わせて群がってくるだろう敵に対処するため乗組員全員分、とは言わないまでも、ありったけの小火器を積み、至る所に機関銃を置いておきたい。


「それで目録は?」


「小銃100丁、短機関銃50丁、重機関銃8丁、及びそれらの弾薬と、あと医薬品です」


操縦手の背後に立つ艦長が言う。今挙げられた武器を三笠と日進で分け合う事になる、もともと三笠には対空機銃に仕立て上げたものが8基、前後のミリタリーマスト上にあった4.7センチ砲を置き換える形で装備されているため、8丁の機関銃を日進とで4ずつ分け合った場合、全長131.7メートルの船体に12丁が乗る訳だ、自分が歩兵だったら近付きたくもない。乗組員の動き回る通路に据え付ける事になるので、あくまで一時的にだが。


「それからもうひとつ…聞き間違いでないようなので報告しますが……民間人1名」


「はい?」


なんとかなるだろうと考えていた最中にそんなことを言われ、内火艇後部で雪音は素っ頓狂な声を上げた。

いま民間人と言ったか?


「え、それ、どういう?」


「自分に聞かれてもわかりかねます。事前に送られてきた情報によると、和名倉 七海(わなくら ななみ)、19歳女性の喫茶店勤務。それだけ聞くと本当にただの民間人なのですが、何故か強調してきた点がひとつありまして」


言いながら艦長は軍帽の乗った自分の頭を手で叩く、次に指を摘むような形にして手を上下させ、頭から何か生えているという感じのジェスチャー。


「兎耳だそうで」


「ウサギかぁーー……!」


聞いた瞬間、座席に座ったまま雪音は考える人のポーズ、厄介な事になったとばかりに呻く。


「狸みたいに毛嫌いしてるなんて言うんじゃないでしょうね」


「そうじゃないのよ、狐と兎の接点なんてほとんどないし、食物連鎖的に言えば私は捕食する側だもの。でもほんとあいつら…何考えてるかわかんないのよぉ…!」


内火艇はエンジン音を緩め減速、間も無く到着という風に接舷体勢を取った。


「役に立つのですか?」


「戦闘能力としては狐と同じ実情で、何もできない人がほとんどよ、でもわざわざ名乗り出るなら自信があるのでしょう。宗教世界において兎は神、特に月読(ツクヨミ)の使いであり、懲罰者であり、献身者よ、その生涯は原則として人を助けるためにある。……まぁ、無差別の愛ほど信用できないものもないわ」


雪音の視界に埠頭が映る、すぐにロープが投げられ、待っていた港湾要員がそれを引っ張って内火艇を引き寄せていく。


「全員に伝えなさい、決して気を許すなと。艦長あなたもよ、妻子いるんでしょう?」


「え…?」


エンジン音が完全に止んだのを確認してから雪音は立ち上がった。屋根付きの座席を出て、艦長の横を通り抜けながら。


「兎は万年発情期、そしてなおかつ見境がない」


「は……肝に命じます!」


接舷作業を終えた内火艇を降りコンクリ製の埠頭へ、そこでは既に蜉蝣(かげろう)が待機していた、いつも通りの制服と無精髭、背後には補給品の木箱を従えている。これらは内火艇やカッターボートに乗せられて三笠と日進に積み込み、しかるべき場所に設置される。作業完了は1時間後を予定していて、その後少しだけ休息を取り夜間出発、駆逐艦を残して北東の千羽大樹へ布陣する。


「ごめんなさい、用件が済み次第と言っていたのに」


「どうってことはないさ、ちょうど暇だった所だ。さっそく積み込みを始めても?」


「ええ、取りかかって頂戴。それで、話にあった兎っていうのは……」


「ああ、あれ」


それは木箱のひとつに座り、こちらに向かって笑んでいた。

スズ以外で瑞羽大樹に住んでいた唯一の獣耳は巫女、っぽい格好をしていた。振袖が付き、重ね着しているように見える、裾と肩の切れ込みに赤い布を当てられた白衣風の上着で、下は逆に白い紐を装飾された緋袴、のようなスカート。それらの上から千早と呼ばれる白い羽織を着ているのだが、赤い花模様の入った薄い生地は羽織の形をしているとは言えず、なんと言うか、ポンチョ、そう千早風のポンチョである。

そんな奇妙な、一言で言えばコスプレみたいな服を着る彼女は軽い外ハネのある桃色の髪を腰まで伸ばし、そして聞いた通りの兎耳だった。頭頂部の両脇、それぞれ左右を向いてひとつずつある細長い耳は根元近くで下に向かって折れ曲がり、髪と同化するように垂れ下がっていた。フレンチロップ的なその垂れ耳は長さおよそ60センチ、上機嫌を表すようにぴこりぴこりと羽ばたき中。


「お……」


服装に関しての言及はひとまず後にしよう、奇妙さに関してなら雪音とて負けてはいない。西洋種っぽい垂れ耳もまぁいいだろう、国際結婚が禁止されている訳でなし、垂れ耳の東洋種がいても不思議ではない。

ただひとつどうしても放っておけないのは、彼女は厳密には木箱に座っているのではなく、木箱に座る大霧船長の膝の上に座っているという事であり。


「大霧ィィィィィィィィィィィィッ!!!!」


「ちが!!気付いたら座られていたというか!!断じて自らこんなキャバクラみたいなもんを望んだ訳ではないのであります!!神に誓います!!」


ゴールデンハインドは三笠より先に到着しており、戦闘には加わらずここで台風をやり過ごす予定である。気を許すなと言った途端のこの有様に雪音は絶叫し、艦長の溜息と、蜉蝣の乾いた笑いを受けながらどすどす歩み寄る。

近付いてから気付いたが、彼らの座る木箱には弓が1張立てかけてあった。全長2メートルを超える通常の和弓と違い1メートルも無い梓弓(あずさゆみ)、弦を鳴らして悪霊祓いをする為の道具である。梓の木から作ったものだから梓弓と名付けられたものの定まった定義がある訳でなく、古代に梓と呼ばれた木は現在ではミズメと名乗っており、また鳴弦(めいげん)の儀に使う弓なら素材が何であれ梓弓と呼ばれる事がある。なお周囲に矢は1本も無い、儀礼用の弓であるので矢があるとむしろ不自然なのだが。

しかし、改めて見ると兎耳は弓懸(ゆがけ)という指3本だけの手袋みたいなものを右手に装着していた。矢を持って、弦を引く際に指を守る為の保護具だ、つまり弓で戦闘を行うという事になる。


「自分は何もやっておりません!ただここに来た途端引っ張られて座らせられて座られて……」


「いいから早く立ちなさい!」


「はいぃ!」


大霧は勢いよく立ち上がり、膝に乗っていたピンクの兎も振り落とされる形で大霧から離れた。身長は雪音とほぼ同じくらいか、おっとっとと転びそうになったものの表情は笑顔のまま。


「ずいぶん怒っておるの、少しばかりスキンシップしただけだというに」


「あんたらの少しは世間一般で言う過剰だって事を自覚なさい!だいたいそのカッコ何!?」


「これか?中層の巫女さんカフェ”しだれやなぎ”の制服じゃ」


あ、喫茶店勤務ってそういう…、なんて雰囲気を受けながら服を見せるように1回転、髪と、耳と、千早ポンチョがふわりと舞い上がった。


「一大事と聞いて馳せ参じた、しだれやなぎ巫女長、七海(ななみ)である。これより事態が収束を見るまで同行させて頂くが、儂とて修業中の身、姫御子(ひめみこ)ほど多芸でないからの、あまり期待はするでない」


まず巫女長と言ったが、それはバイトリーダーと同義である。

そして何故バイトしてるかと言えば、単純に生活の為である。

喋り方だけなら貫禄たっぷりのフリーターは笑みを一切崩さず梓弓を持ち上げ、やはり矢の無いまま左腕を通して肩にかける。


「じゃがやるからには全力を尽くそう、戦さ場はどこになるかの?」

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