第61話

「火事場泥棒かぁ…もっと早く気付くべきでした」


一夜明けた早朝、現場に着いてすぐ香菜子はぽつりと呟く。

家主のいなくなった高級住宅は荒らされていたが、結果的には何も奪われていなかった。円花捜索の為に偶然通りかかった警官が異臭に気付いて踏み込んでみたところ、骨董品らしき壺を抱きかかえるように倒れる女性。さらにその隣の家では人間2人ぶんの炭、これは2日以上前に殺されたものだろう。


「モラルブレイク真っ只中ね」


「面目ありません……」


よくよく考えたら1日1件以上の犯罪行為が行われ続けている事になる、弾圧する人間がいなくなったからか、いよいよ500kmまで迫ったワイルドハントの混乱に乗じたものか。


「遺体はここ?」


「はい、そこで横向きに倒れて、胸に穴が」


荒らされた家屋のダイニングにスズは立ち、血痕の残る床をじっと見つめる。起きてしまったものは仕方ない、後悔している時間があるなら一刻も早く円花を止める為の事を進めるべきだ。

最初の死人が出た際、日依は鬼の匂い以外に感情がこびりついていると言った、彼女は特別な術も無くその場に立っただけで判断していたが、何が残っていたか明かす事無く斎院に引きこもってしまい、だからといってスズ自身はそんな能力を持たない。実際、こうやって現場に立ったところで何も伝わって来なかった。しかし本気で知りたいとなればやりようはある。

そもそも感情とは女の鬼にとって存在の根幹を成すものである、安達ヶ原の鬼婆しかり、都での暮らしにただ焦がれた紅葉、愛する人のついた嘘をひたすら憎んだ清姫、その力のすべてが感情によって成り立っているのだ。鬼になった理由をまず知らなければ、そこから何も進めることはできない。


「じゃ、そこ立って」


「いやあの…何やるのかまだ聞いてないんデスけど」


「いいから」


心に関するものを扱う場合、自分自身に術をかけるのは都合が悪い。最初からどんな目的で何をするのか知っている以上、実行する前から先入観が生まれてしまう、左右が釣り合っていない天秤で物の重さを測ろうとしても正確な値が出るはずも無いだろう。公正をかける為にはまず瞑想をして心を無にする必要があるのだが、せっかく絶対中立的な性格の狸がいるのだ、何も知らない他人を使うのが一番である。


「香菜子ちゃんちょっと離れててね」


「え、ちょっと?」


なんて事はない、空間中の残り香をこそぎ落として頭に叩き込むだけだ。そこにある感情のうち円花のものだけをどうやって抽出するかには苦悩したが、おそらくフィルターは機能してくれるだろう。要は人を殺す際に発するほど強力な感情を探せばいいのだ、まったく同時に被害者の方も恐怖で絶叫しているだろうが、顔も知らない親の為にこんな事をする鬼と、自棄になってしょうもない罪を犯す泥棒の感情である、張りが違う、張りが。


「だから何するんデス…?」


「大丈夫大丈夫」


現場に立たせた小毬をなだめつつポーチから符を出した、漢字と英数字の混ざったハイブリッドな感じの術式が書かれたそれを見て間違いが無いのを改めて確かめ、不安げな表情をする小毬の額に貼り付けた。


「何デスかこの外道臭い符…何でキョンシーみたいな貼り方するんデス……」


「外道臭いは余計だよ、せっかく親和性があるのにどうして別々に考えるかねぇ」


なお額に貼る事に意味はない。


「はい5、4、3……」


「えっ、えっ?」


狼狽える小毬を置いてスズも離れ、有無を言わさずカウントを始めた。

今の小毬の状態は不安である、どちらかと言えばマイナスに偏っているが、事を終えて意味がわかれば消え去るはずだ。

出るのは怒りか、それとも。


「2、1、始め!」


「え……」


何が起きたかといえば、外観上は何も起きなかった。

ただ発動した瞬間に小毬は凍りついたように動きを止め、少しそのまま立ち尽くした後、支えを失ったように崩れて床にへたり込み、額の符がはらりと落ちる。


「……どう?」


「ぇ…ぅ……」


聞こえていない、駆け寄ってしゃがみ込み肩を掴むもやはり反応は無く、しかし失敗して気を失った、という訳ではなさそうだ、目の焦点は定まっている。


「だ…だいじょぶ?小毬?」


「ぅぅ……」


そういえば確かに精神崩壊のリスクが無かった訳ではない、普通は気にする必要すらない、言うなれば人間のアルビノが生まれる確率より低いリスクだったが、相手は感情の爆発だけで人の理から外れた存在、残りカスとはいえ希釈するべきだったのだろうか。


が、そういう訳でもなく。


「だい…じょぶ…でもこれぇ……」


集めた感情の残り香を叩き込まれた小毬はようやくスズの声に反応しながらも徐々に顔を歪ませ、両眼から大粒の涙を流し。


「えうううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」


そして盛大に泣き出した。

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