第34話
「あーぅ……」
「…………」
いやはや危ない所であった。
当時の時刻は午前7時40分頃、いよいよもって斎院突入作戦が開始される直前だった。ゴールデンハインドの乗組員12名からなる救出部隊が斎院正面に、6.5ミリ機関銃の運用部隊4名がその背後に展開を終え、朝になってようやく発光信号を受けた三笠が沖合10kmまで接近していた。後は雪音が合図を出せば襲撃は開始され、場合によっては三笠から30.5センチ砲弾が叩き込まれるはずだったが、結局すべては無駄となった。
狼煙を上げる準備をしている所に現れたのはブラウンの髪を三つ編みにした女性である。黒のインナーにオレンジのパーカーとグレーのスカートを着て、ブランド物っぽい革製のバッグを肩から提げていた。息を荒げてひーひー言いながら走ってきた彼女は丸めて縛った手紙を持っていたが、当然の如くまず銃口を向けられ、なんで私がーーっ!!なんて叫んでいるのを組み伏せた後に手紙を拝読。
そうして救出部隊には作戦中止の指示が出された。
「大雑把なんですよあのひとぉ…細かい部分を気にしないどころか見もしないしぃ……」
「そんな気はします」
「でしょー?」
展開していた全員が帰ってきたのを確認した後、雪音はゴールデンハインドの修復を命令し、スズを待つとばかりに旅館へ向かっていった。大丈夫だから待ってろと手紙に書かれていた以上それが正しいのだが、アリシアはまっすぐ向かわず、手紙を持ってきた香菜子なる人物を引き連れて分幹から伸びる枝のひとつに来ている。
以前、狸種の集合住宅地があったという場所である。建物は全部で50、1件あたり3人が住んでいたとしたら合計150人、それだけの数の獣耳がかつてここにいたという事だ、狐1人と兎1人の瑞羽大樹と比べると圧倒的に多い。
あくまでかつてだが。
「あぅっ……」
「……就業時間中ではないのですか?」
「いいんですぅ…伯様が休みなんじゃ秘書(便宜上)の私も休みなんれすぅ……」
白地に赤い枠がペイントされその中にBudweiserとか書かれたスチール缶を片手にその場でへたり込んでしまった香菜子、目はとろんとしていて頰は赤く、呼気からは大量のアルコール、べろんべろんに酔っ払っているのである。ちなみに現在午前9時。
「休みは飲むもんです……」
「末期症状ですね」
これ以上飲むと間違いなく記憶がトぶだろうがビール缶を離そうとしないので香菜子から住宅地へ注意を戻す。
一言で言えば一帯は焼き払われていた、50件ひとつ残らず。真っ黒に焦げた骨組みの燃えかすと灰の山、回収し損なわれたいくつかの骨、それ以外には金属製の家具や食器がそのまま残されている。程度の違いはあれ、自らの故郷と同じ有様である、故郷と呼べるものかどうかは置いておくとして。
決定的に違うとすれば、それらに付け加えて無数の銃弾が残されている点だろう。いくつか拾い集めて観察すると、潰れて形が崩れてしまっているが重量がすべて同じなので単一種類の銃が使われたようだ。そして銃弾の残されている場所は住宅跡地の内部に集中している、ここで行われたのが戦闘であるなら、敵味方で向かい合って撃ち合いをする都合上、弾痕の残る場所は最低でも2箇所1セットにならなければならない、つまりこれは、住宅にひとつずつ押し入って中にいた人間を撃ち殺して回った跡という事になる。
「ここで虐殺があったのですね?」
「そうですぅ…向こう方はあくまで暴徒鎮圧だとかふざけたこと言ってますけどぉ……」
向こう方、というのは昨日ゴールデンハインドを襲撃した皇天大樹部隊の事だろう。その点について特に疑問は無い、彼らの仕事は恐怖政治を敷き続ける為の人民弾圧、これがメインだ。
「狸の方々が標的となった理由はわかりますか?」
「ぇーと……表向きは現政権への反乱行為を行ったため…本当は……なんだっけ、とんでもなくくだらない理由だったのは覚えてます……」
「では、気にしなくていいという事ですね」
たぶんそぉ、と言ってから持っていたビール缶を口に当てた。顔を上に向けて残りを飲み干し、空になったそれを振り下ろして地面に叩き付ける。
「1人、生き残りがいるのはご存知ですか?」
「知ってまふ……」
状況はわかった、では本題に入ろう、そう思って聞いた途端に、いきなり香菜子はへたり込んだまま体を震わせ。
「うぅ……」
そして泣き出した。
「……彼女は何をしたのですか?」
「何もしてないんです…運良く死ななかっただけです……!」
ではどうしてあんな迫害のされ方をしているのか、と聞こうとしたが口に出す前に自分で気付く。
彼らは面倒と関わり合いになりたくないだけなのだ、集落ひとつを焼き払う大粛清から生き延びてしまった相手なんて、彼らにとっては厄病神でしかない。
きっと今も彼女は命を狙われている、そんな人物と仲良くしたら同罪扱いされて諸共殺されてしまうだろう。
ただそれだけ。
「たった2ヶ月前の事です…!そりゃもう詳細に記録が残ってますよぉ…!あの子は腹部に拳銃弾1発を受けた後燃える家から自力で抜け出してここから520メートル移動しました!そこまでの間に家がいくつあると思います!?直に目撃した人だけでも相当数に上るはずなのに誰も助けてくれなかったんですよ!?」
喚くように話す香菜子の前にしゃがみ込んでそのまま続きを、と思ったが耳が異音を捉えてしまった。人間5人分と、4足歩行の動物1匹の足音。そういえば頭から耳を生やした人間はたくさん見てきたが正真正銘の動物はまだ見た事がない、陸地が無いこの世界では大半が絶滅しているだろうというのは容易に想像できたが。
「香菜子」
「へ…?」
すぐに立ち上がりながら背中のライフルを前に引き出す、初弾を投入しつつ相手の正確な位置を探る。分幹方向から3人と1匹、枝先方向から2人、つくづく挟み撃ちの好きな連中である。
「反逆者をどうして助ける必要があるの?バカじゃない?」
ああ、こいつとは分かり合えない、顔を見た瞬間そう断定した。
その黒髪の女性は袴を着ている、薄いピンク色に大きな花模様の小袖と紫色の袴だ、何らかの階級を表す服装ではなく、ストレートの長髪の上に狐耳が乗っている訳でもない、単なるファッションなのだろう。一応、申し訳程度に階級章が縫い付けてあった、星3つに線1本。
引き連れているのは皇天大樹の制服を着たショットガン装備の兵士2人と、犬、もしくは狼。その動物は生体反応を感じない、体長1メートル程度で、白い毛並みに茶色い隈取り、歌舞伎役者が顔に描く荒々しいラインを全身に施されている。
「あなたが隊長ですね?」
「別になんでもいいでしょ、今から死ぬんだから」
距離30メートルで立ち止まり、嘲笑うように口元を歪ませる。兵士2人のショットガンは既にアリシアと香菜子に銃口を向けていて、生物ではない犬型の何かは唸り声を上げる。背後の2人は接近を続けていた、ライフルを肩から提げ、ハンドガンを腰から引き抜く。
「ぇ…なんで…そんな……」
「心配はなさらず」
一気に酔いを覚ましてしまった香菜子の横に立ち、スリングを解いたライフルを右手だけで持つ。
それを武装解除と勘違いしたのか女性は鼻を鳴らす、もう遅いとばかり。
「邪魔なのよ、余計な詮索しないでくれない?」
「……つまり邪魔だから、という理由だけでゴールデンハインドに攻撃を?」
「なんでもいいって言ったでしょ」
もう一度確認するが、彼女とは絶対に和解できない。
格好、仕草、口調すべてにおいて超自己中心的、砕けた言い方をすればクズの匂いしか感じ取れない。外見から判断する限り雪音と同年代のようだが、雪音は少将、彼女は4つ下の大尉。
世襲制が敷かれている現状、人事の大半は家柄によるものだろうが、そこを加味しても尚、そりゃそうだ、としか言い様が無い。
「じゃあね、あの世で後悔しなよ」
ハンドガンを持った2人がすぐ背後に立った、アリシアと香菜子に1丁ずつそれが突きつけられ。
「…………雰囲気を大事にしたかったのは理解できますが、私達を確実に殺害したいのならば」
が、トリガーが引かれる前に、高周波ノイズのような音がアリシアの左腕から発せられ。
「こんな話をする前に撃つべきでした」
ハンドガンを突きつけていた兵士2人は同時に真っ二つとなった。
「は…?」
左腕を横に振り終えレーザー発振を終了、腰から下を失った彼らは地面に落ちながら天に向かって銃声を鳴らし、直後に絶叫、そう時間を置かずショック死した。右腕のみでショットガン装備の兵士のうち左にライフルを腰だめ照準、引き戻した左手をボルトハンドルへ。
発砲、すぐさま照準をずらし次弾装填、また発砲。
やはり同時に2人が倒れ伏した。
「ガァッ!」
最後に犬っぽいのが襲いかかってきたが、飛び上がった瞬間に左手で首を掴んだ。そのまま焼き殺す事もできたが、彼女は雰囲気を大事にする人物のようなので付き合う事にする。
「ア…ガ…!」
決して小さくないそれを持ち上げ出力の許す限り全力で首を締め上げる。最初こそ苦しそうに足をばたつかせていたが、やがて動かなくなり、長さ15センチ、T字に丸い頭の付く人の形に象られた和紙を残してかき消えた。
「クソ!」
残った袴姿の女性は一目散に逃げていく、最初からそのくらいの速度で撃っていれば良かったのだ。
「……速い」
もう見えなくなった。
「あ…あの…えっ……」
「死体を回収するよう連絡して頂けますか?」
「はいぃ!」
勢いよく立ち上がり最寄の有線電話を探して香菜子は走る、アルコールが消えた訳ではないのですぐ力尽きるだろうが。
さて今のあれが黒幕だと仮定する、あの頭の悪そうなのが元凶だ。その場合、この虐殺を行なった理由は。
「……」
確かに気にする必要無いかもしれない。
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