第35話

「あづい……」


「7月も終わるってのにそんなカッコするから」


基本的に気圧が下がると温度も下がる、海水の熱吸収や風による体感温度もあるが単純に考えて高度100メートルごとに0.7度だ。現在4000メートル近いので相応の気温なのだが、もうひとつ、太陽に近いという特徴がある、気温そのものは低いものの、枝葉の少ない上層では直射日光を遮る影が無いのだ。

上側のロープウェイ乗り場でゴンドラが来るのを待つ日依(ひより)は着ているマントの端をぱたぱたと動かして内部に新鮮な空気を取り入れようとする。その下はノースリーブとミニスカートであるが、彼女の全身を覆う真っ黒いマントは太陽熱をたっぷり溜め込み、隣に立つスズにも放射熱を伝えてきている。下に行って帽子とサングラスを手に入れるのと限界に達して脱ぎ捨てるのどちらが早いか。


「陸地があった頃は今より平均気温がずっと低かったらしいぞ…どうしてこうなっちまったんだ…流氷とか見てみたいよ……」


「そんなこと言ってもあたしこの暑さしか知らないし。影に入れば少しは冷めるでしょ」


ガタンガタンと図太いワイヤーが回転してゴンドラを引き寄せていく、政府施設の密集地と居住地、もしくは貴族街と平民街を結ぶ渡し船と表現されるこのロープウェイはそもそも利用客が多くない。低地に住む政官の通勤路、物資運搬、小遣い稼ぎの為に護符やら何やらの開運グッズ販売を斎院周辺で行っているというので一般市民も僅かに利用するがそれも休日の話。よそ者に過剰な拒否感を示すというモラルブレイクの発生によって観光という最大の売り文句を失った現在、周囲にいる人間は2人の他には安全確認をする従業員のみだ、その従業員ですら、こんな時間に酔狂だねぇ乗るなら勝手にしなよ、という態度。


「降りたら降りたで蒸し地獄だぞ?酸素濃度とか知らんね…わたしゃ高い所に住みたいよ……」


ゴンドラが到着、U字型のホームを移動しながらドアを開く。まず乗客を降ろし、一番奥で反転してから乗り込むのだが、そもそも乗客がいなかったので降り場に動きはなく、乗り場を無視してU字の頂点近くから日依は乗り込んでしまった。ドアが閉まり、ホームを抜けたゴンドラが宙に浮く。


「ちくしょーめ!!」


案の定マントを脱ぎ捨てる、赤い狐耳が現れ白キャミソールと赤スカートだけという季節相応の服装になった。落下事故を起こさないよう小さく作られた窓も開け放って、一息ついたように座席に座る。


「それで狸の話は?」


「ああうん。いいかぁ?気を確かにして聞けよぉ」


頭を指でトントン叩きながら念を押すように日依が言った。次いで窓の外に目を移し、何かを探すように下を見ながら。


「まず皇天大樹部隊の隊長、登谷 秋菜(とや あきな)っていう生ゴミがいる」


「な…生ゴミ……」


「幼稚園児並の知能を持った生ゴミだ、24歳、大尉、お前んとこの青いのとは同期だな。世襲があるとはいえこのご時世、あの若さで将官入りして人間らしい思想を保ってるのはすごい事だぞ、大事にしろよ」


「来歴だけなら文句の付けようもないのは知ってるよ、来歴だけならねぇ」


あのぐいぐい来るのを知らないからそういう事言えるんだ、呟くように付け加えつつ続きを早く話せと促す。その間に日依は目当てのものを見つけたように視線を固定。


「まずこの秋菜ちゃんがとある青年に恋をした」


「待て待て待て待て待て待て待て待て!!」


「なんだ早くしろとか待てだとか」


「その入り方はなんだ!どうやったってロクな結末が見えないその入り方は!」


「言ったろうが、幼稚園児並で、ドン引きするほどくだらない話だ」


暑さから解放された日依はニヤけ面を取り戻していた、あれを見ろとばかりに窓の向こうを指差すので引きつった笑みを浮かべながらそっちを見る。


「だがこの青年、既に好きな人がいた、幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた相手だ。三角関係ってやつだよ、甘酸っぱいねぇ」


「ヤメロ……」


「ふふ、まぁ普通ならマンガみたいなラブコメが展開される所だ、押したり引いたり取ったり取られたりな。だが残念な事に生ゴミちゃんには権力があった、自分に付き従う1個中隊と、恐怖政治の根幹を成す、反乱疑惑をでっち上げて粛清するという手段があった」


「………………」


「気をしっかり持て、あれを見ろ」


もはや見る必要が無いが指の先を見てみる、黒く焼け焦げた区画があった。あれが狸の住んでいた場所、日依の言う生ゴミが産んだ犠牲。


「邪魔な人間は消しちゃえばいいじゃん、つって奴はあれをやった。人数にして189、恋敵をぶち殺すために。……あの白いの、お前んとこの人形さんじゃね?アリシアとかいう」


言われて見れば確かに人影がある、肉眼では点のようにしか見えないが。スズにはわからないものの日依には見えているらしく、そもそも肉眼ではないアリシアは手を振っていた、とりあえず振り返しておく。


「ありゃ一悶着あったな、あーあー香菜子ちゃん出来上がっちゃって」


「……んで、そのコイバナの行方は?」


「ああ、ともかく狸は粛清された、青年の想い人も一緒くたに殺されたはずだった。だがもうわかるよな、”一番消えて欲しかった相手だけが生き残っちまった”、そしてなおかつ青年が助けちまった。その名を高指 小毬(たかさし こまり)、デスマス調で喋るあの狸だ」


アリシアの周囲では複数の人影が動き回っている。せわしなく移動しているのがほとんどだが、ピクリとも動かないのもいくつか。一旦窓を覗くのをやめ視線を日依へ、予想以上のくだらない話にスズは溜息をつき、頭に手を当てた。


「偶然だけで生き残った訳でもないぞ、あいつもあいつですごい奴なんだ、太三郎(たざぶろう)って狸の末裔でな」


「住民から嫌われてるのは?」


「そりゃ自然発生だ、生ゴミが意図した事じゃない。ほくそ笑んではいるだろうが」


そもそもこんな状況になったのはあいつが当たりどころ構わず弾圧しまくったせいだから意図せずとも元凶ではあるが、と付け加え。

そこで日依はピクリと狐耳を震わせた。何かを捉えたように窓の外へ目を戻し、今度は下ではなく上を見る。


「だったらあの子、他の樹に移るべきじゃない?なんでここに留まって、私達にちょっかいを……」


「ちょっと待て。……ああクソ、まずい事になった」


「?」


突然、真顔になって慌て出した。ゴンドラの内壁に貼り付いている非常脱出用のハシゴを登り、天井のハッチを開放、身を乗り出してやはり上を凝視する。

何が起きた、と聞く前に、それはスズの視界にも映り込んだ。ハシゴの下に行き、日依の背中越しに上を仰ぐと、鳥のような物体が飛行しているのが見えた。


「天狗(てんぐ)…?」


鳥のようではあるが絶対に鳥ではない、それは人型をしている。黒い髪と、山籠もりする山伏(やまぶし)や仏教の僧侶と同じ白の法衣姿だ、かなりゆとりのある布をはためかせ、背中に付属する翼で飛んでいた。その翼は黒く、光のような輝く物体で、スズの尻尾と同じ種類のものである。そしてそれは武器を持っていた、右手に刃渡り60センチほどの刀を、左腰にも脇差(わきさし)を帯刀。ゴンドラの上空をゆっくり旋回しながら高度を下げつつある。


鴉天狗(からすてんぐ)、そう呼ばれる人種だ。神道の中では狐と同等の最高格ながら悪役とされる事の方が多い、一応、三大悪妖怪には1体ずつのランクインだが。


「珍しいね、集落があるの?」


「ある、いやあった」


「……その言いようはまさか…」


「話は後だ、あいつは今……まずい、まずい!こっちに来やがる!」


鴉天狗は180度ロール、上下を反転させ、緩降下から直角降下へ移行した。刀を上段に構えつつまっすぐゴンドラの右横まで降りてきて、そこから再び直角に頭を上げ。


「えっ、何?」


「狂ってんだよ!」


「んぎゃっ!!」


日依はハシゴから飛び降りる、スズを押し倒すようにそこから離れる。


直後、ゴンドラの端から1メートルが輪切りにされた。


「な…ななな…!」


日依を上に乗せ、尻餅をついたような体勢のままそれを見る。ゴンドラは急に風通しが良くなってしまっていた、4つある壁のうち正面を失い、衝撃によって大きく揺れ動く。


「なんぞ!?」


「戦闘準備!また来るぞ!ああでも殺すな!」


一刀の下に壁を斬り落とした鴉天狗は急速右旋回を行い、270度回って壁の無くなった面へ。

日依が上から退くと同時に膝を床についた体勢に直し、ホルスターからガバメントを引き抜いた。スライドを引っ張って初段装填、ガシャリと金属音が鳴る。


「え?武器それだけ?他には?」


「海坊主と一緒に海に沈んだ!」


「はぁ!?お前アレと殴り合ったの!?正面から!?あははは度胸あるぅーー!!」


「笑ってないでアンタも準備せえ!!」


床に転がって両足をばたばたさせる日依に怒鳴りながらそれを構える。左手でグリップを握り、包み込むように右手を添え、肘を曲げ切らないように腕を伸ばす。

バスン!と銃声が鳴ると同時にスライドが後退して反動が減殺され、残りがスズの両肘を僅かに曲げる。スライドは薬莢を排出、次弾を薬室に投入しつつ元の位置へと戻り、薬莢が床へと落着、短く高い音が鳴った。


「うそぉ……」


その過程によって発射された11.42ミリ弾を奴は刀の腹で弾き飛ばした。半ばヤケクソ気味に続けて4発撃ち込み、すべて同じ結果となるもこちらに突進しつつあった鴉天狗の進路を曲げる事には成功した。半回転宙返り(インメルマンターン)で180度反転、離れていく背中に2回発砲、当たらなかったのを確認してからスライドが後退したままストップしたガバメントのマガジンリリースボタンを押す。


「これじゃ駄目だ!なんか他に武器ない!?」


「はい」


「お……」


空の弾倉がゴトリと落ち、ポーチから取り出した予備弾倉を装着してからスライドを前進させる。それが終わってからスズの前に棒が差し出された。

金属製の、赤い塗装が成された棒だった。長さは約140センチ程度、上端に丸い輪っかが貫かれるように付いていて、それに通されるように6つの輪っか、動かすとジャラジャラと音を立てる。

錫杖(しゃくじょう)、お坊さんが持っている杖のような道具である。有名どころだと西遊記でおなじみ三蔵法師が持ち歩いていた。


「どうしろっつーんじゃい!!」


鈍器くらいにしかなりそうもないそれを受け取り、鴉天狗が逆半回転宙返り(スプリットS)をしてまた突進し始めたのを見てからスズは叫んだ。それに対して日依は笑いながら右手をそれに添え。


「こうするんだよ」


瞬間的に、辺りの空間が大きく揺さぶられた。


「マ…!」


壁ひとつ失い既に強度不足となっていたゴンドラを巻き込むように発生した衝撃波は窓ガラスを漏れなく粉微塵と化し、ネジやボルトなどありとあらゆる留め具に損傷を与えた。急速接近中だった鴉天狗とて例外ではなく、猟銃で撃たれた鳥のように動きを止める。だが運動エネルギーをすべて殺し切る事はできず、慣性でそいつはゴンドラの中へ。


「ジかよぉ!!」


咄嗟に錫杖でぶん殴る、流れるように横にして袈裟斬りに振るわれた刀を受け止める。そしたら後は単純だ、力の限り押し合うのみ。


「痛い…痛い…!」


「なに…!?」


一目見ただけでイケメンと判断できるほど顔の整った男性だった。混じり気の無い黒髪、美しさを感じるようなライン。昨日、小毬とかいう例の狸が化けていた男にかなり近い、というか髪型以外はまったくの同一である。ただ残念ながら、彼はそのイケメンが最も引き立つだろう微笑みの表情を浮かべてなどいない。

鴉天狗は喚いていた、目を見開き、顔を歪ませ、荒い息を立てながら。



「苦しいんだ!身体中が焼けてるみたいに!助けて!助けて助けて!!」


訳がわからず、錫杖を握る両手が思わず緩む。間髪入れずに日依も左手でそれを握り、スズの顔面にめり込みそうになった刃を押し戻した。


「コイツなんなの!?」


「今は考えるな!」


腰のポーチに手を突っ込まれる感触がした、ギチギチと押し合いを続けている所に符が1枚宙を舞うように放られ、日依の右手と交代で自分の右手を手放し、ひらひら落ちる途中の符を掴む。


「しゃらぁ!!」


鴉天狗の顔面に叩き付ける、キョンシーみたいに符を貼り付けたそいつを両足で押し出すように蹴り飛ばし。


「なんで!誰も!なんでぇ!!」


その山伏姿はゴンドラの外に出た瞬間。

ゴォン!と大きく鐘が鳴って、遥か遠くへ吹っ飛んでいった。


「……ノックダウンには程遠いか」


「だろうな。まぁしかし……」


錫杖を持って日依は立ち上がる。

じゃらりと遊環が鳴る。

ボゴン!とゴンドラも鳴る。


「少なくともコイツにはトドメになったようだ」


「…………ぁ…」


引き剥がされるように床が傾いていく、ボルトが次々弾け飛び、いつの間にか手放していたガバメントが滑る。慌てて引き止めホルスターへ。


「どどどどどどうすんの!?」


「だいじょぶだいじょぶ」


「どこが!どのへんが!!……ひゃっ…」


意外にあっけない、トタンを叩くような音を最後に。

2人の体は推定高度3500メートルに放り出された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る