第16話

そうしてそれは動き出す事を強要された。









「おう、どうした」


「魚を買いに」


瑞羽大樹の最下層、最下層というか海の上である。船を繋留するために浮き橋を作って、そしたら船が増えてきたので浮き橋を拡大して、面積が増えたのでついでに店を出して、利益が出たからコンクリで足場作って魚市場を設置して、とかやってたらこうなりました、と言わんばかりの場所だ。きちんとした計画をもって行われた増改築ではないため、主幹外周に沿って蜘蛛の巣状に広がるそこは瑞羽大迷宮と呼ばれても仕方ないくらいの複雑さを誇る。

そこの入り口に立つとまず蜉蝣かげろうに声をかけられた。何をやっているのかと思ったら、エレベーターを降りてから右手側、最下層の端から数百メートルの位置に軍艦が投錨停泊していた。小型のものは港に横付けして繋留されているが、どう見ても横付けは出来そうにないほど巨大な艦が2隻。無理するのは嫌です、というくらいの大きさのものがもう2隻、寄り添うように波に揺られている。

どうもあれらの警備をしているらしい。


「前弩級戦艦ですね」


「何それ?」


「戦艦ドレッドノートの登場以前に建造された戦艦の総称です。主に排水量1万から2万トン、30センチ内外の連装主砲を2基、小口径副砲を複数搭載し、石炭を燃料とします。まぁ一言で言えば時代遅れのロートル艦ですが」


質問にそう答えるアリシア、意味を理解したかは知らないがふーんとそれを眺めるスズ。時代遅れには違いないが主砲の威力は十分過ぎるほど高い、もしこのコンクリートの足場に叩き込んだとしたら1発で木っ端微塵になるくらいに。少なくとも、魚雷艇しか保有しない瑞羽大樹防衛隊にとっては軍神のような存在である。

その戦艦のうち片方には損傷があった。左舷艦尾付近に砲撃を受けた痕にはとても見えない、上から爪を振り下ろして引っ掻いたような抉れ傷が5本。かなり深いように見えるが、浸水にまで至っていないのはさすがというべきか。


「近付くなよ、理由は知らんがピリピリしてる」


「言われなくとも」


蜉蝣にそう返し、スズは場外市場へ向かおうとする。

そういえばこのコンクリート、海底まで届いているのですか?とアリシアが言った直後、足場の端でどよめきが上がった。見ると複数の人間が同じ方向を指差しており、指の先にあるものを見ようとさらに複数人が手すりから身を乗り出している。何が起きたと蜉蝣が駆け寄り、それを一目見てから数秒。


「おいちょっと来てくれ!」


とか言いながら振り返ってスズに手招き。


「ものごっつ面倒事の匂いがする……」


「鬼とお見合いさせる訳じゃねえよ多分、多分な」


寄って見てみると、指の先は海だった。まず大量の海水、さほど深くない海底が見えるほど澄み切った水の中では小魚がいくらか泳いでおり、ずぶっとい瑞羽大樹の根がずっと先まで伸びている。そんな眺めが波に合わせてゆーらゆら。


「うん、あたしもよく思うよ?根腐れしないのかって」


「違う」


ぐいと蜉蝣は魚の群れを指差す。黄色っぽい小型の魚はベラか何かだろう、それが10匹前後。


「……ん…?」


なんか混じってんな、とスズは身を乗り出す。体長20センチ以下の黄色い魚の中に1匹、暗緑色の鱗に覆われた40センチくらいの人型。手足には爪と水かきがあり、それだけ見ると西洋の半魚人のようだが、のっぺりした頭部にはヒレがなくハゲ頭、目元もつり上がるどころかだらしなく垂れ下がっており、口は開きっぱなし。

アホ面、うん、アホ面である。


「海坊主じゃん」


招き寄せるように猫の手でくいくいやるとそのアホ面半魚人は海面から顔を出した。全身が粘液で覆われていて、鳴き声はやぁやぁだった。直で見ると意外にもグロテスクであり、見物客の何人かが悲鳴を上げる。


「有害か?」


「海に浮かんでるもんに抱きつく習性があるね、大きい個体だと小舟くらいは簡単に沈めるよ」


と、説明しながらスズはパーカージャージのファスナーを降ろし、内ポケットに手を入れた。そこから手のひらサイズの紙箱を取り出して、箱の底をトントンと何度か叩いたのち中から紙巻きの棒を出し、紙箱は内ポケットへ戻した。


「月末に船を出すとよく会うって聞くよね。でもごく稀に言葉を話す個体がいて……む」


「……」


直径は小指より細く、全長は中指ほど。白い紙の筒には細かく刻まれた茶ガラみたいなものが詰められている。その筒の端を咥え、次に取り出したのは使い捨てライター。


「俺は恐ろしいかー!って現れて、度肝抜かして悲鳴上げてると、月末に船を出すなー!って消えるそれだけの個体がいるらしいよ」


「…………」


ホイールを回してライターを着火、その火を紙筒に移す。


煙が上がる。


「………………」


「ん?」


その様子を終始見ていた蜉蝣とアリシア、気付けば見物客も海坊主そっちのけでスズを見ている。

とても成人には見えない女の子が、公然と。


「何いきなりお前はタバコなんぞ吸い出してんだ!!」


「それが医学業界のみならずあらゆる方面から袋叩きにされている煙草というものなのですか?初めて見ました!見せて貰ってもよろしいですか?」


「吸いたくて火つけた訳じゃないよ」


細い煙を上げる紙巻きタバコを咥えたまま顔をしかめて言って、それから一気に深呼吸。相応の長さが一瞬にして灰へと代わり、口を細め、海坊主めがけて吹き出した。


「やぁぁぁぁぁ……」


煙の直撃を受けた海坊主、びくりと体を震わせ一目散に沖へと泳いでいった。そう経たないうちに見えなくなる、残されたのは黄色い魚。


「……職業上必須装備なんだよ」


「ああ…そう……」


残ったタバコはアリシアへ。一度だけ煙を嗅いで、すぐにスズの差し出す携帯灰皿へ。


「清々しいほどに有害成分しか入っていません、自傷癖があるのですか?」


「ないよ、狸に吹き付けるくらいにしか使わないよ」


とにかく騒ぎは片付いた。小魚1匹買えるくらいの小銭を対処料として徴収、それじゃ改めて、と場外市場へ足を向ける。



「うおっ……」


ブオオオオオオオオオオオオオ!!と、停泊中の戦艦が咆哮を発した。

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