第15話
夜が明ける直前になって雨は止んだ。
瑞羽大樹最上層。いや実際にはこれよりもずっと上まで樹は伸びているのだが、これ以上は空気が薄すぎて住めたものではない。生身で成層圏とか行きたくないだろう。
人が住む家屋が建っているうち一番上にある枝、位の高い者は高い場所に居を構えるべきという考えは捨てた方がいい、とアリシアは酸素濃度を計測しながら思う。空は明るみ出したばかりで太陽はまだ顔を見せていない、バサバサと葉を揺らす風を受けつつ地平線の向こうまで続く雲海を少し見てから視線を枝先へ。
そこには教会があった。ほとんどの建物が木造に土壁で、僅かにコンクリート製が混ざる程度という中、瑞羽大樹で唯一と言ってもいいレンガ造り。茶色い外壁の上には角度の付いた白い屋根、そのてっぺんに十字架が掲げられている。教会の横には平屋建ての木造家屋が寄り添うように建っているが、大樹の最高責任者が住む家としてはあまりにも質素すぎる。やはり宗教的な都合なのだろうか。
大樹表皮の溝に沿ってできた水たまりを避けつつ教会の前まで歩いていく、辿り着くと、待ち兼ねていたように日の出が始まった。光が差し込み、雲海は一斉に黄金色へと染まる。
「…………」
青い髪の狐は教会の反対側、枝端でその輝き出す世界を眺めていた。羽織は半脱ぎ、これでもかというくらい肩が露出している。表情は険しい、この世の終わりに立ち向かえと命令されたように。
コツコツと足音を立てて背後からアリシアが近付くとゆっくり振り返った。足首に届こうかという長髪は半分で折り返し後頭部に留められているが、それでも風に吹かれて暴れ回っている。右手で髪を押さえつつ視線をこちらへ。
「あら、姫様の世話人の」
「同居人です、焼きますよ」
「あ、はい、ごめんなさい」
横に並ぶ、太陽が目に入る。
「知りたい事があって来ました。スズはかつて皇天大樹に住んでいて、政権を左右できるほどの地位にいた。間違っていませんね?」
「ええ」
「彼女は家出と言っていましたが、なぜすべての権力を放棄してここに来たのですか?」
「…………詳しい事を知っている人はいないわ、けど大方の予想は簡単につく。腐ってるのよ、今の大内裏は」
雪音は睨み付けるように前を見る、太陽ではない何かを見据えて。
「利益横領に収賄、政官はほぼ完全に世襲となって民が政治に関与する余地は無いわ。世襲に関しては私が何か言う権利はないけれど。話し合いの場を持てば朝から晩まで罵りあってばかり、責任のなすりつけに終始して結局何も決まらない。その中でも内裏は特に悲惨、たった1人の女が話をこじらせたおかげで陛下の後継者争いという名の殺し合いが始まって……当時姫様はその中心に」
よくある事だとアリシアは思った、陸地があった頃も政府の話はそればかりだった。自然と元に戻るのを待った場合、どれだけ早く事が進んでもおおよそ100年、それだけの時間を無駄にしてしまう。
もっと早急に、20年か30年のうちに腐食を止め正常な政府へと戻したい場合、取るべき手段はひとつだけ。
雪音はそれを考えている、そのためにスズの協力が要る。
「……このままここで静かに暮らしていた方が幸せかもしれない、あの方は酷い目に遭いすぎてる」
「…………そうですか、ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀してアリシアは反転する、教会の前を通り過ぎて主幹方向へ。
だがすぐに立ち止まった、教会横の家屋の前に修道服姿の老婆が微笑みながら立っているのを見つけてしまった。いつからいたのかは不明だが、雪音の話が終わるのを待っていたのだろう。視線が合ってすぐ、老婆は足を動かし始める。
「シスター」
ゆっくり歩いてきてアリシアの横へ、微笑んだままやはり太陽を。
「あなたは最初からすべて知っていたのですね」
「うふふ。……生まれた時から見てきたもの、わからないはずが無いわ」
セディは顔を寄せる、隠し事を話すように。
「何もする気はなかったけれど、既に事は動き出してしまった。もしその時が来たら伝えてね、瑞羽は裏切らない、決めるのはあなただと」
アリシアの耳元でそう言って、こちらの返答を待たずセディは家へ戻っていった。
「……」
歩を再開する。
自分は衛生兵、命を救うことが存在意義だ。
だがそれ以前に兵器でもある、倒すべき敵に容赦はしない。
そういう思考を埋め込まれている。
だとするなら
まだずっと先だと考えていたが、今使う事になるかもしれない。
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