第17話
-瑞羽大樹沖西500m地点、戦艦
カンカンカンと警鐘が鳴る、石炭が燃えた事で発生する真っ黒い煤煙が煙突から噴き上がる。艦上を乗組員が走り回り、上甲板外周にずらりと並べられた7.6センチ砲、マスト上の4.7センチ砲に操作要員が取り付いた。
前部甲板に鎮座する30.5センチ砲が最大仰角に向けていた2本の砲身を水平位置に戻すのを見ながら階段を登って司令塔の上にある艦橋へ辿り着く。
「状況は!?」
「北北東25km地点にて発見、高速で瑞羽大樹へ向かうとのこと。第12航空船が目下爆撃中です。おそらく同一個体かと」
来てしまったか、雪音は舌打ちした。残り25km、奴なら10分で泳ぎきる。幸いボイラーは温まっている、動けないまま蹂躙なんて事態にはならない。問題はここが海原の真ん中ではなく大樹の根元、市街地に隣接している事だ。ここで安易に主砲斉射でもやってみろ、奴以上の大破壊を自らで引き起こす事になる。
「ただちに抜錨し大樹から離れなさい!汽笛を鳴らせ!」
緊急事態が発生している、そういう意味を込めて三笠自身を喚き立たせる。ガラガラと錨が回収され、スクリューが急速に動き出した事で艦が前進し始めた。排水量300トン程度と身軽な駆逐艦はすぐに離脱したが、三笠と、その背後の
『水平線上に敵を発見!』
「速い……!
三笠の左前方を航行していた巡洋艦サイズ、後部に飛行船の繋留装置を付けた特殊艦は舵を大きく切って戦闘領域外へ。あれも軍艦ではあるのだが戦闘力は皆無である、敷島型の装甲を切り裂くような怪物と相対させる必要はないだろう。
壁にかかっていた双眼鏡を掴んで右舷側に駆け寄り北を見る。遥か先に飛行船、その真下に爆撃による水柱、噴き上がる水に隠れかけながらも暗緑色の巨体を確認できた。
海坊主だ、かつてないほど巨大な。全速飛行する飛行船と同じくらいの速度が出ているのではないか、爆撃をものともせずそいつはまっすぐこちらへ……
いや違う。
「第12航空船より入電!海坊主は瑞羽大樹へ向かう!」
「何ですって…!?」
そもそも海坊主はあんな活発な動きをする妖怪ではない、前回襲撃を受けたのは孔雀石に引き寄せられた結果だった。今回はどうだろう、少なくとも三笠艦上には緑色の石なんて見当たらない。
奴は石へと寄っていくというなら、石があるのは大樹の上。
「第1駆逐隊を進路上に割り込ませろ!全艦面舵一斉回頭!」
壁に守られた艦橋を飛び出しその上の最上段へ、艦長を含め複数人が付いてきた。
「まもなく射程圏内です」
あんな高速移動する物体に最大射程で命中弾を得られるとは到底思えないが、駆逐艦が蹂躙される様を黙って眺めるのも耐えがたい。
とにかく全力で火力を投射する。
「主砲斉射用意!」
-瑞羽大樹標高50m北の枝
ガン!と音を立てて孔雀石が砕け散る、不規則な縞模様を持った緑色の石は効力を失った。
「ち……」
これでどうだと北のパーティー会場を見る。たった今、一番サイズの小さい船4隻のうち1隻が接触され、特大海坊主の両腕叩き下ろしを喰らってスクラップみたいに折れ曲がる所だった。あれで50人は死んだ。
既に興奮状態、気が済むまで大人しく帰る事はないだろう。以前にも交戦した事があるのか、その海坊主は右脇腹が大きく抉れている。少し離れた場所にいる一番大きいのは当たれば勝てると確信しているのだろうが、味方が格闘戦を始めてしまったために発砲をやめている。
残った3隻は距離を取りつつ到底ダメージを与えられそうにない豆鉄砲をこれでもかと撃ちまくる。海坊主が突進してくれば身をよじってかわし、しかし大樹に向かおうとすれば進路に割り込む。何か海中へ撃ち出し、海に飛行機雲みたいな白い線が引かれ出す。海坊主は直撃を嫌がって進撃を中断した。
増援が到着、小さい船は9隻になった。うち何隻かがさっきのと同じ白線を撃ち出す、当たったかと思ったが、暗緑色の巨体は命中寸前で海中に姿を消し。
十数秒の沈黙ののち、急浮上するクジラの如く現れた。直上にいた1隻を天高く打ち上げ、くの字に折り曲げながら。
これでまた50人。
「スズ」
どうしてそんな事をするのか。
奴は瑞羽大樹へ乗り込もうとしていて、艦隊はそれを邪魔しているに過ぎない。攻撃を中止し沖合に退避すればそれだけで安全は確保される、だというのにそれを考えようともしない。
民間人の保護は最優先事項です、彼らは退きません。背後でアリシアが言う。主幹表面のエレベーターはフル稼動、階段にも人が群がっている。大混乱を起こした民衆は我先にと上層へ避難しようとふたつしかない逃げ道へ押し寄せていて、避難は遅々として進まない、1人もいなくなるまでどれだけかかるか。
追い打ちをかけるように、重量に耐えられなくなった金属製の階段が大きく沈み込み、ガリガリと音を立てながら。
悲鳴はここまで聞こえてきた。
「スズ」
このままでは彼らは全滅だ、大砲も魚雷も当たる事はない。自分ではなく他人の為に全員死ぬ、このままでは。
大きい船が突進する、発砲を再開する。途端に体当たりを喰らった、大きく仰け反りつつも転覆する事はなく、大量に積み込んだ砲を乱射して追い払う。あの巨体ではロクな回避もできない、いくら装甲が厚くともいずれボコボコになって動かなくなる。戦うのが2度目ならわかっているだろうに。
どうしてそんな事をできるのだろう。
「スズ!」
「あ……」
腕を掴まれる、途端に膝ががくんと崩れかける。背後からアリシアに支えられながら目が覚めたように視界が広くなった。息が荒い、心臓は暴れている。
自分の足で踏ん張り直すと、正面に回ってきたアリシアは肩に手を添え。
「自信をしっかり持ってください、今あなたは正しい事をしようとしています」
「自信…て……」
そんなものどうやって。
「概要は把握しています。あそこに行ったらかつて居た場所へ戻る事になると考えているのでしょう?明日の命もわからないような体験をした場所へ。まずそれは有り得ません、”私達”はあなたを裏切りなどしない」
肩を掴む両手の力を強めつつ彼女は話す。
いつもの淡々とした口調ではない。
しっかりと感情を持ったように。
「そして権利が無いと思い込んでいる、逃げた自らが、逃げない彼らを助ける権利など無いと。過去など無意味です、眼前で散っていく命を見捨てる理由足り得ません。少なくとも過去の責を理由に棒立ちしていては、衛生兵たる私は存在意義を失ってしまう」
訴えるように、その顔は僅かに表情を変える。
役割を思い出したかの如く、常に固まっていたその顔が。
「あなたが自分自身で決めるのです。願いがあるなら叶えてください、後悔があるなら取り払ってください。もし彼らの命などどうでもいいと考えるならば、彼らの全滅を待ってからあの生物ではない何かを倒せばいい。ですがあなたが命を、敵味方の区別無くすべての人を助けたいと”願える”のならば」
そう言って肩を離して
彼女は傍に退いた
「行ってください、一生後悔し続けなければならない事が増えてしまいます」
「…………」
正直、頭の中がどうなっているかわからない、考えはまとまらない。
だが足は動こうとする。
「……ごめん…ちょっと行ってくる。後、お願い」
「はい、夕飯の材料は確保しておきます」
「できれば味付け濃い目でね」
「善処しましょう」
キン、と、空間が震える。
カツンと下駄が鳴る。
見送るように立つ白い少女を残し。
尻尾4本を従える緑の装束を纏った狐の少女はそこから飛び降りた。
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