第11話
すべて終わらせて外に出ると空には厚い雲が張っていた。湿度も上昇しつつあるし、昼過ぎには雨になるかもしれない。観測衛星があれば、と考えながらアリシアはリアカーを引く。研究所に残ったものはこれで最後、核分裂炉の中身も海に落っことすというかなりアレな手段ながら処分に成功したし、これでもうあの施設に行く理由はない。
「…………」
「終わったか?」
立ち止まり、さびれたコンクリートの建物を眺めていると蜉蝣がやってきた。戦闘になる可能性は皆無なものの最低限ボルトアクションライフルを背負っている彼はリアカーの積載物を一瞥し、引くのを代わると言ってきたのでひとまず手を離す。代わって貰ったからといってもスズの家の電気代が僅かに安くなるだけなのだが。当のスズは…ひとつ下層で木の枝を振り回している。
「これはロビーに飾ってあったもんだな、長距離通信機?」
「通信機としても使用できますが、これは主に無線傍受を目的としたものです。早い話が盗聴機ですね」
「大丈夫なのかそれ…?」
「必要になる事もあります」
どこかと戦争にでもならない限り使う事はないだろうが、だからといって稼働可能なものを放置するのももったいない、防衛隊本部の倉庫にでもしまっておけばいいだろう。リアカーにはその無線傍受機と、コンクリ製の容器がひとつ。
「これは?」
「濃縮ウランです」
「聞いたことないな、何に使うんだ?」
「今知る必要はありません」
と、話した所で、耳が航空機のエンジン音を捉えた。
「30年もすれば意味を知りますし、ごくありふれたものとなるでしょう」
北東、瑞羽大樹とは反対方向から近付いてくる、姿が見えないので雲より高い高度を飛んでいるのだろう。といってもこの雨雲は高くても6000m、千羽大樹は全高8400mあるので大した高さではない、とはいってもこの世界の技術レベルでそんな高さまで上がれる航空機を作るとなるとそれなりの苦労が必要になるのだが。シュターケンと比べるとかなり馬力が高そうな音、推定されるエンジンサイズはかなり大きくシュターケンの倍以上、あの巨鳥自体も生まれる時代を20年間違えたような巨大さを誇るため、それより大きいという事はつまり固定翼機ではない。
「……話が変わりますが、この世界において飛行船は実用化されていますね?」
「ん?ああ、うちでも建造中だ」
速度が高い、みるみるうちに音が大きくなる。ようやく蜉蝣も気付き、視線を上へ向けながらリアカーを急いて引き出す。音源は瑞羽大樹へ向かっていく、それ自体は問題ではないのだが、固定翼機がようやく実用化されたばかりのこの時代、飛行船の任務といえば偵察と爆撃だ、まさか広告を見せに来た訳じゃないだろう。
そうこうしている内に、それは雲の上から降りてきた。
「通信できるか?」
「可能です、シュターケンの電源をお貸しください」
爆撃機のそばにリアカーを停め、蜉蝣が部下に電源コードを持ってこさせる。それを無線傍受機に接続しながら千羽大樹のすぐそばを掠めるように飛ぶ頭上の飛行船を視界に収めた。巨鳥巨鳥と連呼していたシュターケンがヒヨコに見えるくらいの船体、おそらく200メートルは超えているだろう。先の尖った白い円筒形の船体の下にゴンドラ、その後ろには何かハッチのようなものが見える。後部、安定翼の後ろには大型のメインエンジンがひとつ、左右全体にかけて補助エンジンが左右3つずつの計6つ。ゴンドラには機銃が取り付けてあり、どう贔屓目に見ても貨客船ではない。船体の横腹にはエンブレムが描かれていて、瑞羽大樹と比べて縦に細く長い樹の意匠、その右下に
「私にやらせて頂けますか?」
「ああ任せる、俺より慣れてそうだ」
「では直上の飛行船と通信を試みます。……ああ、大変です、スズが腰を抜かしました」
「極めて容易に予想できた事だ、驚くに値せん」
ダイヤルをぐるぐる回してノイズの出ない周波数を探す。そう経たないうちに見つかり、発信側の周波数をそれに合わせた。マイクのコードを引き出して口元へ当てトークボタンをプッシュ。
「枯れた大樹直近を飛行する飛行船へ、こちら瑞羽大樹防衛隊、現在貴船の直下にいます。貴船は瑞羽大樹の支配領域に接近しつつあります、行動目的を明らかにしてください」
ボタンを話して数秒、向こうがトークボタンを押したらしきプツッという音がして、それからさらに数秒。
『こちら皇天大樹第6艦隊所属、第12航空船。派遣部隊に話す事はありませんわ、今からそちらに行くと上に伝えなさい』
切れた
「…………新たな感情エラーが発生しました、これは何という感情なのですか?」
「それはな、苛立ちっていうんだ」
「これが苛立ち……」
一瞬で役目を終えた無線傍受機を片付けつつ改めて飛行船を見る。今すぐこのエラーをやっつけたいが、残念な事にここには高角砲が無い。電源コードを元に戻し、蜉蝣は機内で休んでいた最高責任者の前へ。
「聞いてましたか?」
「もちろん」
目を伏せたままセディは言う。
「皇天大樹というと、例の事件の……」
1週間前に発生した瘴気と鬼、その元凶となる石に刻まれていた紋章は皇天大樹に座する今上天皇のものである。実行犯は殺生石を枝に埋め込んだ時点でおそらく死亡しているし、例え生きていても何も知らないだろう。紋章があったからといって陛下本人の仕業とは到底断定できないのではあるが、現状手掛かりとなるのはそれだけだ、タイミングを考えても身構えてしまうのは仕方ない。落ち着きを失っているように見える蜉蝣に対し、セディは極めて落ち着いて。
「第6艦隊は老朽艦を集めた末端の警備部隊よ、きっと何も知らないわ。陛下自身が調査を命令されたなら第1か第2艦隊が赴くはずだから、噂を聞きつけて独自に調べに来たんじゃないかしら」
「詳しいのですね」
「瑞羽の責任者になるまではあそこに住んでいたからね。とってもいい樹よ、アカシアちゃんもきっと気に入るわ」
「アリシアです」
出入り口から顔だけ出して飛行船を見る、もうだいぶ離れてしまった。100km/h以上で高速飛行、明らかに急いでいる。
「何にせよまだ味方よ、拒む事はできないわ」
「まだ、なのですか?」
「ずっと味方でいたいと思ってるのよ?でも瑞羽は民主主義を敷いている、例えばエクレアちゃんが……」
「もはや原型がありません」
あらあら、と牧師は微笑む。その間に蜉蝣が部下に向かって指を回す、部下はそれを見てプロペラを回す。
とにかく戻って、話はそれから。
「決めるのは私じゃないわ、私じゃあね」
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