第7話
「もう嫌だ……」
瑞羽大樹の滑走路に着陸し停止した直後、例によってスズは魂が抜けたようにうなだれた。座席に座ったままだらーんとしている彼女の横をまず薬瓶入りバッグを提げた蜉蝣が通り抜け、それに2リットルペットボトルくらいのアルミ容器をふたつ抱えたアリシアが続く。
「ありえないよねぇこんなの飛ばすなんて……」
「同意します」
「だよね!そう思うよね!」
「70km/hを下回った時点で失速の危機に晒されるにも関わらず最高速度が130km/hしか出せないエンジンで飛行するなんて。零戦でも533km/h出るというのに」
「え…あ……んん…?」
混乱するスズを置き去りに機体側面のハッチを通り、コンクリート舗装の滑走路へ降り立った。日が傾き、オレンジ色に染まりつつある空を背景に、活力を保つ鮮やかな茶色の幹、それを覆う深緑の葉、風が吹くたびにさらさらと音を立てる。放射状に伸びる枝の隅々にまで家屋が据え付けられ、耳をすませばそこかしこから話し声が聞こえてきた。もっとも、今は瘴気に対する不安しか話されていないが。
「……あそこもかつてはこのような場所だったのでしょうか」
「そうよ。ここより少し小さいけれど、科学研究の名門だったって聞いてるわ」
巨鳥の横には60、70代くらいの年老いた、修道服の女性が待っていた。トゥニカと呼ばれる黒いワンピース、頭部の半分以上を覆う頭巾、首からは十字架の付いたロザリオ。両手以外に肌の露出する唯一の場所である顔は年相応のシワを蓄え、穏やかに微笑みながらアリシアを見つめている。
「あー、紹介する。こちらセディ牧師、この樹の最高責任者だ」
と、両者の傍にいる蜉蝣が言った。よろしくね、と牧師は続ける。
「シスターって呼んで。牧師にはなりたてでね、慣れてないの」
「ではシスター、この度は私を受け入れて頂きありがとうございます。私は……」
「報告は聞いてるわ。あなたがアカシアちゃん?お花みたいな名前ねえ」
「アリシアです」
カツンと後ろで音が鳴る。見るとスズが降りてきていた、ふらつきながら。あらあら、なんて言っているセディへ視線を戻す。
「牧師という事はキリスト教徒なのですね」
「そうよ、プロテスタントだけどね。この樹にカトリックはいないの」
「ではこれを」
アルミ容器を左手で抱えたまま、右手で錆びたバッジを差し出す。やはり事情を聞いているのか、無言で受け取って、手のひらに乗せたそれを慈しむように眺め出した。
「確かに、私が責任をもって鎮めさせて頂きます。もうすぐ僧侶の方も到着するわ、その遺骨はそちらに渡して頂戴」
「はい、お願いします」
「それじゃあ何もない所だけど、ゆっくりしていってね、アカシアちゃん」
「アリシアです」
それを受け取るためだけに待っていてくれたのか、牧師は身を翻して去っていった。さて、て呟いた蜉蝣、コンクリにへたり込んで夕日を眺めているスズの肩をつつく。
黄昏れている時間は残念ながら無い。
「状況をまとめよう。現在瘴気をまとっているあの枝にはこの黒曜石、仮名殺生石があり、これが瘴気を噴いている」
「うん」
「これに接触するためには2つの障害を乗り越える必要がある。まず大鬼、俺達が出払っている間にバリケードを3度襲撃し、その度にお前の符が爆発を起こして退却させたが、目立ったダメージは与えられなかったように見える、とのことだ。これはどうする」
「無視、もしくは瘴気を止めた後に対処する。あれがこの樹自体の守護霊だったなら、樹を正常に戻せば落ち着く可能性が残されてない訳でもないし」
「なるほど……ではもうひとつ、触れた瞬間に体が溶ける瘴気だが。この薬品で9割を無効化できる」
「はい。毒素成分と接触すると中和反応を起こし、水と塩に化合します。常温の空気中で気化するようになっているので、急を要するのならば薬瓶のまま空中投下が最適かと」
「残りの1割は?」
「邪術的なものでしょ?すぐにダメージを受ける類のもんじゃないよ、自分で喰らうぶんならいくらでも祓えるし」
「……じゃあ最後に、最大の問題となるこの伊和の紋。世界最強の防御力なんだって?あそこまで行けたとして、実際に止められるのか?」
「辿り着けさえすれば壊せるよ、絶対に」
「…………わかった。ジップラインを用意してある、ひとつ上層の枝まで行け」
バッグに入っている薬瓶のうちいくつかをスズに渡す、残りは巨鳥の横で待機する、巨鳥よりずっと小さい単発飛行機2機に分けて搭載、パイロットが乗ってすぐにプロペラが回り出した。
「ジップラインって何?」
「ん?なんだ知らないのか」
スズからの質問に対して、同じもんがそこにあると蜉蝣は飛行場に隣接した防衛隊訓練施設のうち上方を指差す。あったのは金属のポールと、それに結ばれたロープ1本と。
滑車。
「空を飛ぶんだよ」
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