第8話

もう嫌だ、と言った途端にこれか。


「チクショウメェーーーーッ!!!!」


昼頃にも同じ場所で同じ事を叫んだが割とどうでもいいので気にしない、滑車にしがみつくスズは猛スピードで枝先に向け突撃していく。問題の枝を横切るよう上層と下層に渡された長大なジップラインの4分の1に差し掛かったあたりで複葉単発機が2機左から現れ、旋回したのちスズを追い抜いた。ジップラインが目的地に達し、滑車を離して飛び降りる。滑車はそのまま終端のある下層の枝へ、1回前転、すぐ立ち上がったスズは瘴気に覆われる枝先へ。


単発機から薬瓶がばら撒かれた


「しゃおらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


パリンパリンと瓶は割れ、周囲の瘴気は瞬時に消し飛ぶ。投下地点の狂いはほとんど無く、僅かな間だけながら、枯れ果てくすんだ色になってしまった枝先が露わとなった。そのうち一箇所からは狼煙のように新しい瘴気が立ち上がっていて、薬瓶を取り出しつつそこへ向かって走り込む。


瓶を投げる、狼煙が消える。


そこにはやはり殺生石があった。千羽大樹と同じ楕円形の黒曜石に稲穂を表す合計12個の菱形、手に入れたサンプルと違うのは活性状態にあって瘴気と紫の光を放っている事のみ。樹に埋め込まれたそれに左手を押し当て、思い切り力を流し込む。

金槌で叩いたように、ガン!と音を立てて殺生石は細かく砕け散った。


「…………はぁー……」


ナイフとして再利用もできないくらいバラバラになった黒曜石をあらかた拾い上げ、枝の先端、非常に細くなっている場所から投げ捨てた。夕日を反射しキラキラ光りながら海へと落ちていく。それから、蜉蝣に渡された無線機を取り出して口元に当てる。


「片付いたよー、枯れた部分は切り落とすしかなさそうだね。…………おーい?聞いてるー?」


蜉蝣からの返事はない。送信と受信は同時にはできないとかなんとか訳わからん事を言っていたが、まあいいやと無線機をしまう。これでひとまず最大の問題は取り除いた。


「……で…」


後は目の前の怪物を処分すれば、今回の騒動は完結する。


「グ…ウウゥゥ……」


殺生石を破壊しても鬼は荒神のままだった、むしろ実体化が進んでいた。雲のようにおぼろげだった黒い体は完全な肉体を持ち、どこから持ってきたのか金棒を装備し、身に纏っているのは虎柄のパンツ1枚。5メートルある体長と同じくらい巨大なその金棒は全面に無数の鋲を打たれている、あれに潰されて原型を保てる生き物はおそらくいないだろう。そして前回はよく確認できなかった頭部、見事な黒い一本角を持ち、表情は怒り狂っているようにも見えるが苦しんでいるようにも感じる。ギシリギシリと、獲物(スズ)を仕留めようとする本能を必死に押さえつけるような体の痙攣。


「助けて欲しいの!?」


頭の上のキャスケット帽を持ち上げ、左手でひらひらさせつつスズは言った。

一瞬、ノイズが走ったように、彼女の姿が別のものに変わる。


「ゴ……ゼ…………」


ザザ、ザザ、と、明緑色のパーカージャージは消え、同じく緑ながら着物のような。


「ゴロセェェェェェェェェェェェェ!!!!」


大鬼が咆哮した瞬間、スズはキャスケット帽を振り下ろし。



キン、と、その姿は完全に転身を終えた。



肩の大きく開いた緑の着物は足首近くまであるものの、下部には大きなスリットが入り、足袋を履いた足を上げると太ももまで露出する。それを黄色の帯で縛り、右側に太刀を1本吊り下げ、短刀を1本帯に差し込んで、背後の結び目は帯の端を大きく残し垂れ下がっている。小ぶりな振袖の付く腕部分は根元、肩の地肌を見せるように切り離されかけており、僅かに裏側だけで着物本体と繋がっている。そして帯の結び目より後ろ、黄色い光を放つ水晶のような菱形の物体が4本、腰のあたりから尻尾のように後上方を向いて浮遊している。


「そう……」


足を動かすと下駄がカロンと音を立てる、右側の狐耳に着けられた装飾品も一拍遅れてシャラリと鳴る。カロンカロンと続けつつ、左手で太刀の柄を掴んで引き抜いた。

銀色の刃が姿を見せると、黄色い光の玉が尻尾と同じく4つ、スズの周囲を取り囲むように現れる。


「ッ!」


ガチリと踏み込む、玉がスズから離れる。


「ガアアアアアァァァァァァァァ!!」


理性が途切れたように大鬼も走り出し、金棒を片手で振り上げ、そのまま振り下ろした。その巨大な鉄塊を遥かに小さく細い太刀で受け止めるように応じ、刃が当たった瞬間、鐘をついたような轟音が鳴る。


「グゥゥゥゥ…!」


打ち合う度に轟音と、空間を揺さぶるような振動が発生する。太刀は折れるどころか刃こぼれすら起こさず、ゴォンゴォンと武器を重ねるごとに、後退していくのは大鬼の方。


「ウ……!!」


やがて金棒は追いつかなくなった。

はね飛ばされた金棒が家屋に突き刺さった一瞬、大鬼の左腕が宙を舞う。切り落とされたそれは黒い霧となって消え、しかし怯むことなく、右腕だけで金棒を振り回す。


「ふっ!」


受け止めず、後ろに跳んだ。縦回転して10メートルほど後方に着地、追撃をかけようと足を踏み出した大鬼だったが、その眼前に玉が4つ、立ち塞がるようにふわりと現れ。


撃った。


「オオオオグァァァァ!!」


自身と同じ黄色の光を発射し、着弾する度にやはり空間ごと揺さぶられる。4つ合わせてかなりの連射数になる光弾を全身に受け大鬼は釘付けに。


「だぁぁぁぁぁぁ!!」


連射が止む、スズが飛び込む。

まず右腕が金棒ごと吹き飛び。


「オオオオォォォォォォォォッ!!!!」


返す刀で大胸筋を切りさばいて。


「ガ…………」


心臓に刃を突き立てた。


「…………」


太刀とスズを乗せたまま仰向けに倒れ伏し、ズズン、と地響きを立てる。腕はもう無く、足も動く気配は無い。

唯一、首だけがスズへと向き。


「……御身は神武の血を引く者か」


呻くように言葉を発する。


「芽吹きよりこの樹を守護してきた我が何もできぬとは……いや…今の我は悪鬼であったか……」


鬼は足先から消え始め、僅か数秒。


「礼を言う……」


何も残さず、霧散して消えた。


「………………」


しばしそのまま、太刀を突き立てたままの姿勢でいたが、やがて引き抜き、視線を前へ。

目に入ったのは夕焼けだ、高さ3000mの位置から眺めるそれは、漂う雲を眼下に見下ろし、空と同色に染まる海と、撫でるような風音と相まって宙に浮いている気分を与えてくる。そこでまた動きを止めて、振袖と垂れ下がる帯の端が揺らめく中たっぷり数十秒、やや目を細めながら水平線を見つめ、目を伏せ、左手で握る太刀の切っ先を鞘へ。


「っし!」


刃を鞘に納めた瞬間に、スズの姿は元に戻った。緑の着物は緑のパーカージャージへ、柄を持っていた左手にはキャスケット帽。気合いを入れ直すが如く声を出し、帽子をかぶって狐耳を隠したあたりで、主幹の方から防衛隊の服着た連中が20人ばかし走ってきた。焦っている、特に先頭のヒゲオヤジは。


「喋り終わったらボタン離せっつったろうが!!」


「ボタンってどれよ」


「一番でかいやつだよ!握った時に勝手に押したとでも言うつもりか!」


ばたばたやってきた蜉蝣率いる1個小隊、全員がライフル装備で、取り出した無線機を見つめて顔をしかめるスズを守るよう円形に展開する。


「鬼は!?」


「消えた」


「……消えた?マジで?」


「マジマジ」


できたばかりの防御陣形が崩れ出し、そしてスズはポーチから符、ではなく請求書を取り出した。金額は記入済なので渡すだけ。


「上の人に渡しといて」


「…………俺が渡すのか!?」


当然こうなる、という価格なのだが、数字を見た途端に目ん玉ひん剥いた蜉蝣を置いて歩き出す。日はたった今沈み、夕焼けは紫色のトワイライト、そして夜へ向かっていく。ぽつりぽつりと星が見え。


「帰ろう……」


そうして、長い一日は終わりを告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る