第5話
高度な知能を持った人型の物体はぱっと見じゃ人間と大差ないからアリシア=人間でいいよね、という話をしたら特に疑問も抱かずスズは落ち着きを取り戻した。
「千羽大樹が死滅を始めたのは2512年5月19日とされています、その時私は千羽大樹沖海底の遺跡より発掘された状態のまま機能停止していましたが」
研究所を出、アリシアの誘導に従い主幹へ向かっていく。事の顛末を話し始めながら歩く彼女は鬼火の近くを横切る度に目をそちらに向ける、見えているらしい。
「現在の日付をお聞きしてよろしいですか?時計を止めていたもので」
「2630年6月20日」
「では118年間の事ですね」
なんかさらっとすごい事言ったぞと蜉蝣は呟いたが、今度は逆にスズが即時納得する。人型とはいえ彼女も狐だ、普通のヒト種とは時間の概念が違うのかもしれない。
「お二人が言う所の瘴気が大樹全体を包み込むのに要した時間は約24時間、当時航空機は実用化されていませんでしたので、極めて短時間で脱出を完了できる港湾施設関係者を除き、5月20日時点で生存者は3名となりました。幸い研究所には必要な機材が揃っていたので、彼らは科学的な観点から瘴気に対抗しようとしました。それが2512年6月から、責任者が死亡する2514年4月までの出来事」
「ちょっと待って、その3人は2年近くもあの中に閉じ籠ってたの?想像つかないんだけど」
「原子力発電機を始動させ、実験動物を主食としていました。データベースに残されていた僅かな情報と比較しても明らかに異常な環境でした、地獄、と表現しても差し支えない程度に。……当時の私に、それを認識できる程の思考能力はありませんでしたが」
主幹に辿り着き、ギシリギシリと音を立てる錆びた階段を降りていく。アリシア、スズと問題なく階段の上に乗ったものの、蜉蝣が片足を乗せた途端にバゴンと沈んだ。さっきのスズみたいな顔になる。
「後は頼んだ……俺はここで待つ……」
「それがいいと思う」
薬瓶のみっちり入ったバッグを抱えた蜉蝣、そろーっと足を戻して、そのあと膝から崩れた。
「……それで、その2年の成果があの薬って事ね」
「はい、瘴気の持つ毒素成分のうち科学的に解明できるもののみですが、日向博士が開発を始めた試験薬は2534年10月に完成しました」
「ちょっと待って、22年かかってるんだけど」
「私は機材ですので、そう表現するよりありません」
最下層まで延々と伸びる階段に衝撃を与えないようひとつ下の枝まで行き、そこから幹沿いに少し歩いた所でアリシアは立ち止まる。その場所は明らかに劣化の様子が違った、他の場所が辛うじてながら茶色を保っているのに対し、限界まで腐りきったかの如く灰色。軽く指でつついてみると砂のようにボロボロ崩れる。
「ここが噴出口と予想される場所」
「それは間違いないだろうね、なるほど主幹から噴いたか……ん?」
枝先に症状が現れた瑞羽大樹は運が良かったらしい。なんて考えながら急にスズはあさっての方向に目を向ける。何もない空を睨んだ後、灰色になっている一帯の中央へ。噴出口に隣接する枝も侵食されているので、中心部に行くには足を踏み入れなければならないが。
「灰色に変質している部分は中心部が深さ約2メートル、半径は平均9メートルです。この事から瘴気の発生源は表皮近くにあったと推測されますが」
「実際の噴き出し方はわからないよね」
「はい、目撃者がいませんので」
それは現在進行形で噴出している瑞羽大樹で観察するしかないか、と呟き、再び視線を関係ない方へ。やはり同じ場所を睨み付け、すぐに目を戻した。
「……ま、とりあえず自然に起きた事ではないね。呪いの匂いがする」
「呪いかどうかわかるのですか?ということはあなたはジュジュツシなのですね」
「ああ、うん、たぶん」
人為的に起こされた超自然現象という事がわかった、わかった所で手詰まりを起こした。ここに何らかの術が施されていたとしてもすべては既に灰の中だ、どういう性質のものが使われたかわからなければ対抗のしようがない。
「…………ちっ……」
「先程からどうしたのですか?」
できれば無視したかったのに、と言いながらスズは反転、4歩歩いて立ち止まる。そこでポーチ(大)から符を1枚選び出して置き、次にポーチ(小)からフォールディングナイフを出した。
「当事者に聞こう」
「何を言い出します?生きているとは思えませんが」
「生きてないけどここにいるの」
符には極小サイズの魔法陣といくらかの英語という明らかに場違いなものが描かれており、その前に立ったスズはナイフの刃を引き出して自分の指に傷をつけた。当然血が出て、指先から滴り落ちる。
「え……」
符に血が落ちた瞬間、キン、と音のような衝撃波のようなものが発生し。
それは符の直上に可視化した。
「……気付いとるんなら最初からやっておれ…」
その幽霊には足があった、三角の白い布を付けている訳でもなかった、ただし浮いてはいた。小豆色の着物を着、手にはキセル、死んだ瞬間の格好なのだろう。外見年齢にして30歳くらいのそれがあぐらをかいた体勢で宙に浮き、スズに顔だけずいと寄せる。
「しかもネクロマンシーのアレンジなんぞ使いおってド外道が……」
「考え方が古くせえから没落すんだよぉ」
会話ができるようになったその女性とスズはいきなり額を押し付け合わんばかりに顔を寄せ合ってメンチ合戦を始めてしまい、置いてけぼりとなったアリシアはとりあえず空気を読んで沈黙。事前に申し合わせたように仲が悪いが、その原因は主に頭の上にある。ばらつかぬよう先端を結んだ灰褐色の長髪、その頭の左右に付いているのは丸く、やや小さい動物の耳。
狸耳なのである。
「暇さえあれば人に化け釜に化け馬に化け、それで何するかと思えばイタズラして楽しむだけ?そりゃ神格も剥奪されますわぁー」
「自惚れるなよ家畜同然の分際で……」
彼女らにとって、いがみ合う理由はそれで十分なのである。
「職務放棄の野良天狐が狸の長たる儂に喧嘩を売るとはなぁ……」
「はぁーん?年長者が死ぬのを待ってるだけでなれるもんに何の価値があるんすかぁー?」
「いい加減にせえよクソギツネ!人に尻尾振って油揚げでもねだっとれぇぇ!!」
「狐は肉食じゃ大豆なんぞ食えるかぁぁぁぁ!!」
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