第6話 I am here.  (文学・現代)

 ユウタくんのお母さんが亡くなったと、佐々木さんから聞いた。

 佐々木さんのママ友が、ユウタくんのお母さんと幼なじみだったからだ。体調不良から病気が分かり、その一年後には末期を迎えてしまったのだと。

 ユウタくんは今日もお迎えを待っている。

 毎週、火曜と金曜に近所の塾に通っているらしく、勉強が終わってから図書館でおうちの人が来るまで本を眺めているのが常だ。

 僕は抱えた絵本を作者のアイウエオ順に棚に戻しながら、ユウタくんの小さな背中を見ていた。

 時間はもう七時を回っている。秋の陽はとうに落ちた。図書館はサービス向上のために八時まで開いている。とはいえ、来館者は仕事帰りの大人ばかりで児童室にはユウタくんしかいない。

 古参の佐々木さんから聞いた話しでは、ユウタくんは母子家庭であったこと。高校生のお姉さんと中学生のお兄さんがいること、母方の祖父母と暮らしていること。

 ユウタくんは子ども用の丸いテーブルで、小さなイスに体をあずけて絵本をめくっていた。

 珍しいな。いつもならミステリーや歴史ものを読んでいるのに。

 僕は本を戻すふりして、彼の手元を覗いた。

 小ぶりな版型の絵本だった。白っぽい表紙に抽象的な狼? そんなイラストが描かれてあって、タイトルは……『死』。

 ぎくん、とした。

 その絵本は僕も知っている。高名な詩人が文章を書いてることでも話題になったから。

 ユウタくんは、真剣というよりは、ぼんやりと眺めるようにして頬杖をついてページをゆっくりとめくっていた。

 僕は何か見てはいけないものを見たような気がして、彼から静かに離れた。


 お葬式は、あちこちですすり泣く声がして……。

 お姉さんとお兄さんは気丈に立って参列者に挨拶をしてたけど、いちばん下のユウタくんは、まだよく分かってないのかポカンとした顔をしていて、それがぎゃくに切なくて大人たちの涙を誘っていた。


 まだ若く、幼いきょうだいを残しての旅立ちだ。どれほど多くの人が涙を流しただろう。

 人はいつか死ぬ。親のほうが先に死ぬ。それは自然の摂理かもしれないけれど、あまりに早いお別れはどんなにか淋しく悲しいだろう。

 ましてや、小学校低学年のユウタくんにとっては。まだまだ母親が恋しい年齢だ。

 もし、自分が同じように幼くて、なすすべもなく世界でいちばん大好きな人が日々弱っていくのを見ているしかないとしたら。

 僕は唇をかんで目が熱くなっていくのをこらえた。


 本を全部戻してカウンターへ入ると、佐々木さんがいた。

「ユウタくん、絵本読んでました。『死』って絵本」

「うん」

 知ってる、と佐々木さんは小さくつけくわえた。

「なんていうか、かける言葉もなくて。自分の無力さをつきつけられたような気がして」

 佐々木さんは児童室のほうへ視線を向けた。

「いいのよ、ここは自分で考える場所だもの。自分の心と向き合って、ゆっくりゆっくりする所なんだから。私たちは尋ねられたら答えたらいい。困っていたら話しかければいい。じゃなかったら、そのまま見守ればいいのよ」

 たぶん佐々木さんはユウタくんがあの本を何度も手に取るのを見ていたんだろう。

 僕が子どもの時から働いているだけある。とてもかなわない。

 僕も佐々木さんみたいに、どんと構えていられたらいいのに。

「でも、そんなふうに「何か力になってあげたい」って思う気持ちは大切にしておこうね。そのためには……」

「日々、勉強ですね」

 司書の仕事は、本を知ること、利用者を知ること、その二つを結びつけること。

「分かってるじゃない」

 佐々木さんは、にやりと笑った。

 静かな海の底のような館内に、閉館十五分前のお知らせが流れた。

「おねがいします」

 ユウタくんがカウンターに本を持ってきた。

 星新一のショートシート集、岡田淳の「こそあどの森」シリーズ二冊。あの絵本は本棚に戻したらしい。

 貸し出しの手続きをしていると、お迎えが来た。

 今日はおじいちゃんだった。

 ユウタくんは本を手縫いの鞄に入れた。おそらくはお母さんが書いたのだろう。鞄の内側にマジックで「うちむら ゆうた」と丁寧に書かれた文字があった。

 ユウタくんは、おじいちゃんと手をつないだ。

 そして、ちょっと振り返って手を振った。

 僕と佐々木さんも手を振る。

「私たちの誰かがいて、ユウタくんが手を振ったら振りかえす。それだけしかできないかもしれないけどね」

 佐々木さんはどこか悲しげに笑った。

「お医者さんになりたいんだって」

 佐々木さんは立ち上がり、利用者のいなくなった児童室の整理にとりかかった。

 僕は駆け込みのお客さんの貸し出し手続きをした。

 さっきまでのんびりと居眠りしていたお客さんも帰り支度をしている。みんなそれぞれの場所に帰るのだ。

 閉館五分前の放送。

 みなさん、今日もご利用ありがとうございます。

 また、いらしてください。

 僕たちはここにいます。ここに、います。


終わり

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