五章⑦ 再生

 いまより二時間ほど前。アキの遺書を読み意を決したサクヤは、自宅裏にある建具店へ向かった。門が開け放たれた作業場に忍びこむのは容易だった。


 円盤状のノコギリの一部が出ている金属の机──材木を切る機械だ──の前で車椅子を止める。木くずを周囲に散らしたギザギザの刃が、西日を浴びてギラリと光った。

 

 赤いスイッチを押すと、ギザギザの円盤が回りはじめる。

 たったそれだけで涙が出てきた。

 キィンと軽快に回る刃の音を耳にしたときには、奥歯ががちがちと踊った。


 とうに覚悟は終えたのだ。恐怖に震える歯を押さえこむように食いしばる。

 回転する刃に決死の思いで腕を近づける。ほんのちょっと触れただけでブラウスの袖が一瞬ではじけ、サクヤは思わず腕を引いた。


 作ったばかりの小さな傷を押さえて、サクヤはぼろぼろ泣いた。かすっただけの痛みに、固めたはずの決意が消し飛んでいた。


 アキがどれほど強かったのか身に染みてわかった。自分というものを丸ごと捧げたククリの行為に、気の遠くなりそうな勇気が必要ことを知った。自ら手足を切り落とした桜木カナイの遺伝子を継いでいることを、まるで信じられなくなった。

 彼女たちの気高き精神は、すべてから逃げだした者にはあまりに遠かったのだ。

 

 だから助けを呼んだ。

 何度も呼んだ。

 サクヤの頬にひときわ大粒の雫が流れる。ヴィーナの涙だった。

 あれほど強い彼女が泣いた。異街の中で己を突き通し、彼女を見下していたサクヤをも勇気づけ、救ってくれたヴィーナが泣いた。サクヤにすがって号泣した。

 泣いてもいいのだと教えてくれた。支え合えばいいと言われた気がした。

 ハンカチをくわえて目をつむる。


――腕を棒のように真横に伸ばして、まっすぐ……。


 回転する刃は、空気ではない別のものを切断する音を奏ではじめた。

 ハンカチを噛み切った口から、轢き潰される獣の叫びが出た。刃こぼれしたナイフを持った百人が腕を押さえつけ、目にも止まらぬ速さでなぞっているのかと思った。


 切断音がひときわ高くなった。

 刃が骨まで達したのだ。

 死ぬ。

 本気でそう思った。狂ってしまうと思った。


――ククリが、アキが歩いた道よりはずっと!!


 一時間にも感じたが、実際は一分もかからなかったと思う。血まみれの自分の両腕が散乱するという、見ただけで失神しそうな机に頭から倒れこみ、サクヤは数秒間気絶した。


 そのあとは機械になった。失血するまでの時間との勝負だった。

 できるはずだ。サクヤは自分に嘘をつくことが得意なのだから。


 取り戻した能力でツタを操作、切断した両腕から能力封印の腕輪を引き抜いた。鮮血を噴き出す両腕にぴったり合わせ、太い血管と筋肉を細い根で縫い合わせる。骨は髄にトゲを食い込ませて押しこんだ。最後に傷の周囲をつる性植物で縫いとめた。


 神経は植物で代用した。

 動物の神経による情報伝達とは、簡単に言えばイオンの電位差によるものだ。ナトリウムやカリウムのイオンが細胞の中に出たり入ったりすることで信号の波が発生する。


 そして植物も情報伝達にカリウムやマグネシウム、カルシウムイオンによる電位変化を使うことがある。触れると葉を閉じるオジギソウは、動物の神経伝達と非常によく似たやりとりをしている。ある種の麻酔に反応し、動かなくなるところまで同じなのだ。

 

 意を決したサクヤは、自らの肉体へ指令を送った。切断した両腕と、損傷した頚椎の神経の一部を植物に置き換えたのだ。自由に動く足が必要だったから。

 歴史をどれだけさかのぼっても前例などあるまい。

 完全に狂者の行動だった。

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