五章⑥ 120秒
「……変わったなあんた」
取り出したタバコの包装紙を剥がした田村が、値踏みする目で見ていた。
「背伸びするの、やめたの」
「ふんぞり返ってツンケンよかマシな顔だが……仲間になりにきた、てぇツラでもねぇな。ここだけの話、おれは期待してたんだぜ
「その気だったのよ。あなたが目指す百年後をわたしも見たかった。そのために今日死んだってかまわなかった」
片手を器用に振った男は、飛び出たタバコをくわえズボンのポケットを探りはじめた。
「……なんで無視するの。告白してるのに」
「はあ? あんた女が趣味なんだろ」
「タイミング悪いだけよ、これまで好きになった男のひとってみんな相手がいたの」
「うっほ、異常に運がいいそいつはどこのどいつだ。教えろよ、村瀬ジンか?」
「失礼なことばかり言うからノーコメント。ところでなにか言うことはないの?」
「悪いが今回もそのクチだ、俺にも惚れてるヤツがいる」
「力ずくでふり向かせるの、きらいじゃないわ」
おおコワと言いながらポケットを探っていた男の右手が、安物のライターを取り出した。
「そろそろ本題いこうか。くだらんジョークを言い合う仲じゃなかったはずだぜ」
「その前に教えて。なぜ撃たなかったの」
サクヤは内壁の上方へ顔を向けた。狙撃に適したポイントが数箇所ある、何人いるかわからないが気配も感じられる。まちがいなく狙撃手が配置されているはずだ。
探るサクヤを横目に、田村はライターをもてあそんでいた。
「ハッ、いまのあんたに弾丸一発の価値があるとでも?」
「なんだ。わたしのこと、好きだからじゃなかったんだ」
サクヤはスカートの端をつまむと、ゆっくりとめくっていった。
「わたしはあなたが好きよ」
微笑んだサクヤはスカートをさらにめくる。田村の目は珍獣を見るものになっていた。
「一緒に死んじゃいたいくらい!」
一気にスカートを全開にした。
田村の表情が変わった。車椅子に座るサクヤの太ももの隙間にダイナマイトと時計を認めた男は、右手に握ったライターを点火した。
予想したとおりその炎が合図となって銃弾が飛来。空気を裂いてサクヤの上着を貫通。二発の弾痕を穿たれたブレザーが、ダイナマイトの上にぱさりと落ちる。
無人となった車椅子の背には、細い竹が数本揺れていた。
サクヤの体は空中にあった。車椅子の背後で竹をしならせ、ブレザーの下で上半身に巻いたツタに引っ掛けて上空まで自身を放り投げたのだ。
二発の発砲音が響いた時にはサクヤは銃口の炎を視認していた。二人の狙撃手はこちらも予想通り、射程の長い火薬式のライフル銃を使っていた。
一番欲しかった情報──狙撃手の位置が判明。手近な敵に向かってサクヤの細身が宙を駆ける。
薄闇の天井から伸ばしていたつる性植物を腰に巻きつけたサクヤは、空中ブランコの動きで狙撃手がいる細い通路に着地。あらかじめ地面に生やしておいたツタによって真下から放り投げられた鋭い枝を左手でキャッチ。
銃口を向けきる前に敵の懐に入ったサクヤは、尖った枝の断面を相手の首に突き立てる。
わずかにかわされ浅く肉をえぐられただけの狙撃手が、サクヤを捉えようとする。その腕を右手で払いのけた刹那に殺気――サクヤは真後ろに跳躍、何もない空間へ身を投げた。
コンマ二秒前にいた場所に、別の方角から飛んできた銃弾が着弾。二人目の狙撃手だ。
天井からつる性植物に支えられた肉体が宙に弧を描き、反対側の壁にいた敵を目指す。二人目の狙撃手が身を乗りだして、サクヤの着地点に狙いをつける。
空中ブランコがふりきったとき、一瞬であっても必ず止まる。
狙撃側にとっては絶好の、サクヤには致命的なそのタイミングに銃声は響かなかった。敵の数メートル下の壁に貼りついたサクヤは、止まることなく壁を真横に走ったのだ。
壁を埋めつくしていたのはモウセンゴケ。
食虫植物の一種であるモウセンゴケは、葉の粘毛から粘着性の高い液体を分泌して虫を捕らえる。壁一面に生えたそれは接着シートとなって、つる性植物で腰を支えたサクヤに壁を歩かせることを可能とした。
常識外れの壁歩行もつかの間。つる性植物が伸びきって、ついに止まってしまう。身を乗りだした狙撃手はチャンスを見逃すことなく、完璧に狙いをつけた。
「バカ野郎! 下だっ」
田村の叫びに下方を向いた男の胸と頭部に砲弾が直撃した。
直径三十センチのココヤシの実は、ゆうに三キログラムを超える。十メートル以上育ったココヤシから落ちた実は、それだけで歩いている人間の命を奪うことすらある。その幹をツタでしならせ、真下から散弾として放ったのだ。
意識が残っているか怪しい狙撃手は、十メートル下の床に声もあげずに落下。ほぼ同時に、対面の壁の通路で人影が倒れる。最初にサクヤが戦った狙撃手だ。
男の首をわずかにえぐった枝には、アンチアリス・トキシカリアの樹液が塗ってあった。
イポーとも呼ばれるクワ科の広葉樹の樹皮を傷つけると、粘液状の液体を滲出する。含まれるアンチアリンは心臓毒として作用し、馬ですら数分で死に至らしめるのだ。
つる性植物を操作したサクヤは、二本の足で地面に降り立つ。
わずか二分足らずの攻防だった。
「バレンタインのプレゼントよ、半年ばかり早いけど」
「……やられたよ。目立たねぇよう数人しか連れてこなかったのが裏目に出たわ」
安時計が巻かれた爆薬型チョコレートを手に取りながら、田村はタバコを吸っていた。目の前で仲間を失ってなお動かない男からは、底冷えのするものが漂っていた。
「さっきのヨタ話の裏……いいや、車椅子でやってきたときから仕込んでやがったな?」
「不意打ちが精一杯だもの、丸腰の女を撃ったりしないって信じてたしね。演説を聞いてあなたに魅かれちゃったのはほんとう。でなきゃあんな恥ずかしいことしないわ」
狙撃を誘うためとはいえスカートを……好きだなんだの赤面セリフがポンポン出てきたことも不思議だったが、思い返してみれば年少時代の自分はあんなふうだった気もする。桜木ではないサクヤは、きっとただの小娘なのだろう。
「テメェなんぞに好かれたかねぇよ、キチガイめ」
タバコと一緒に吐き捨てた田村が、毒虫を見る視線でねめつけていた。
ブレザーを脱いだサクヤは半袖のブラウス姿。朱に染まる両袖は肩のあたりでちぎれているから実質、ノースリーブでしかない。そこから伸びる上腕にはじくじくと血がにじんでいる。生々しい傷が走る両腕を、つる性植物が縫いとめていた。
サクヤは両腕を切断したのだ。
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