四章② 世界で一番長い言葉
立会検査とは防災装置の点検業務の一環であり、防災科や自警科の専門家たちが年に数回、入念にチェックする。
どこの地区でも実施されていることだが、よその学区への視察となると簡単にはいかない。他人の領土に足を踏み入れるには相応の手続きが必要となる。
零番街と呼ばれるこの街は、十三の学区で構成されている。
自治は学区ごとの生徒会に委ねられ、それぞれの校則によって統治される。村瀬ジンを含めた十三人の生徒会長も各学区の住人だ。零番街のトップである生徒総長は例外で、最高意思決定機関である生徒総会にのみ属する。
一大国家にみえる零番街とはつまるところ、生徒総長を国王とした十三国家による同君連合に近い。同じ君主を戴きはするが、各学区は独立しているのである。
学区ごとに工業や特産品に差があって、サクヤたちの第六学区は食肉と農作物、工業系では自動車両技術が輸出品目として成果をあげている。特産品は学区の位置に依存しており、藻類プラントを有する八区は食用からバイオエタノールまでの海藻加工品全般が、底層の採掘プラントを有する十区は石油関係がメインだ。
このような関係が軋轢を生むのは当然で、紛争はさかのぼれる歴史の原初から存在した。
別の学区から送りこまれたスパイはあたりまえ、破壊工作を行う輩も存在する。あの日のヴィーナの侵入警報もその類だろうと、全員が思っていたはずだ。水中都市に住む人々の仲は、けっして良くはないのだから。
険悪であっても同じ入れ物に乗っている以上、手をつなぐフリは必要だった。
機関科が存在するのは、街の後方に二基ある主推進機関に挟まれた第十二学区のみ。街の側面に複数基設けられた補助推進機関も十二区の管轄となる。
しかしながら補助機関は十二区に接しているわけではなく、左舷のものは六区の内壁の向こう側にあった。ヴィーナが運よく吸い込まれた取水孔もここだ。
このような場合、補助機関の運転員はその学区から採用しなければならないし、隣接区による検査も義務づけられる。機関科に権力を集中させないためで、十二区に存在する機関科に転科となったアキだが、学籍は六区のまま……歪んだパワーゲームの結果だ。
「ややこしーね」
「タテマエってやつですよ。今日の検査だって実質的には終わってて、あとは自警科のお偉いさんと生徒会役員の先輩が立ち会ってサインするだけです。ヴィーナさんはここで待ってていいですよ。あなたにやってもらうことなんてありませんから」
「私さ、アキちゃんになんかしたかな」
「……先輩に健診、受けさせてないでしょ」
アキがぎろりとヴィーナをにらんだ。
「こないだリハビリ行ったよ?」
「ケガの治療じゃなくて定期健診! 桜木先輩は定期的に診療を受けなくちゃいけないんです。ミコトの義務だって何度もいったでしょ。やる気あるんですか」
「わたしが忘れてたのよ」
「先輩は黙ってて。このひとの仕事です」
「えーと……その、ゴメン、ね」
壁に背を預けたアキは、うなだれるヴィーナから顔をそむけた。
機関科の制服の胸ポケットから垂れた桜色の房が、その動きに合わせて揺れる。転科祝いのプレゼントとしてアキがねだった、サクヤの扇子だ。
強さの象徴であったはずの扇子を手放すとき、なにも感じなかった。
どうしてアキはあんなものを欲しがったのだろう。ついに聞くことのなかったことを問いただそうかと考えたとき、守衛室から呼ばれた彼女は行ってしまった。
機関科の管轄エリアに入っても通路に変化はなかったが、右側の壁に小さな窓が設けられている。淡い光が灯る小窓をのぞくと魚が泳いでいた。水槽らしい。
「壁のあっち側は、六区の生物学科の海洋研究室なんです。機関科エリアは通路だけ……水槽のガラス窓はどっちのモノなんでしょーね」
無理して作ったにちがいない明るい声に、サクヤはいたたまれなくなった。
アキとは通じ合っている、ずっとそう思っていた。
それがどうだ。一番身近にいたはずの後輩の心をかけらも汲んでやれていない。ヴィーナが押す車椅子に座ったサクヤは、なにもできない自分から逃げるように水槽を眺めた。
薄暗い通路に並んだ小窓は、海中を散歩している気分にさせてくれた。
色とりどりの魚を眺めながら進むと、エレベータとおぼしき扉と、先のものと同じような守衛所があった。補助機関室へ続くエレベータの通過チェックにも時間がかかるとのことだったが、鑑賞物があるので苦にはならない。
水槽には原色の魚たちが泳いでいる。砂が敷き詰められた水底にはカラフルな軟体生物がいた。青と白の縞模様のウミウシは、細長い水草の隙間をゆったりと這っていた。
「……世界で一番長い言葉を知ってますか?」
ウミウシの水槽を見つめていたアキがぽつりと言った。なにかのきっかけを探しているように、サクヤの目には映った。
「
きょとんとするヴィーナの理解を助けるように、アキは自身の右側の髪を結ぶゴムをゆびさした。桜の花弁を模したプラスチックがついた髪止めは、彼女のお気に入りだ。
「ふーん、お姫さまの髪を結んでたヒモのことなんだ。なんでこの街はそんな長ったらしい言い回しするんだろーね」
「桜木先輩、おぼえてました?」
水槽から目を離したアキがこちらを向いた。なんのことかわからないサクヤは、答に窮してしまった。
「もぉ、一緒に水族館行ったときに教えたじゃないですかぁ……ま、いつものことですけどね。ヴィーナさん、桜木先輩はこーゆーひとなんで」
よろしくおねがいしますと言いいながら、彼女は深く頭を下げた。
「ヴィーナさんのこと、大っキライです。先輩を死にそうな目に会わせといて平然としてる。お願いしたコトはなにひとつやらない。なのに先輩と仲良くなってる。あんたなんか、あのまま海に流されちゃえばよかったのに」
顔をあげたアキが見せた暗い瞳にサクヤは言葉を失った。たじろぎながら口を開こうとしたヴィーナをさえぎるように、通行許可がおりたとアナウンスがあった。
守衛所へ片手をあげて応えたアキは、ヴィーナをまっすぐに見つめた。
「桜木先輩が気をゆるしたひとって、とっても少ないんですよ。なのにヴィーナさんは信頼されました。あたしよりずっと早く、先輩が嫌うよその街のひとなのに」
ホント、やだ――つぶやいたアキの頬をすっと一筋、涙がつたう。
「桜木先輩は大切なひとです。街を救うお方です。だから、おねがいします。力になってあげてください。あたしにはもう、できないことだから……」
もう一度頭を下げた後輩は、くるりと踵を返すとエレベータの前まで進み開閉ボタンを押した。
三人を乗せた無機質な箱には、さっき教えてくれた言葉よりも長い静寂があった。
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