三章⑥ ほころび
『どうしてですか? どうしてこんなボロボロに、なるまで……』
『んー、なんかやれそうだったし。もういーじゃん、助かったんだし』
どこからかアキとヴィーナの声が聞こえた。
『よくないです!! なんで退かせなかったんですかっ!』
『事故なんてほっとけってコト? サクヤが言うこと聞くと思えないけど』
『聞かせるのがあたしの……これからのヴィーナさんの仕事、なんです。助かるかどうかわからない人のために行かせちゃダメなんです。踏みとどまれなきゃダメなんです。平然と見殺しにできる人じゃなきゃ大勢は救えません。力を持つ人が、こんなケガしちゃ……』
すすり泣く声が響く。
『死んじゃうよ』
え? という後輩の声には戸惑いが感じられた。
『あたしの親方はナントカいう病気でさ、明日イッちゃってもおかしくない状態だったんよ。なのにイケイケだった。なんでって聞いたら、そうしないと勝てないからだってさ。結局死んじゃったけど……しぶとかったね、うん』
わずかな沈黙。
『サクヤも同じ。まっしぐらでなきゃ負けちゃうって思ってる。あーゆーのは止めたら死んじゃう……私がいたトコはね、仲間がやりたいって言ったらやらせるの。必要なときは助けるけど、やらせるの。だから止めない。サクヤがやろうとするなら私は止めな――』
『仲間ってなによっ! あんたよそから来たんじゃない、先輩に嫌われてるじゃないっ!』
なにかが床に落ちる固い音。人が壁に押さえつけられる鈍い音。
『好きとか嫌いとかじゃなくてさ。あたしたち毎日話してるじゃん。一緒にゴハン食べてるじゃん。やっぱ仲間だよ。やりたいこと、やらせてあげようよ』
『……先輩は、この人はバカなんです。意地張って血をたくさん流して……抑え役が必要なんです。これからもたくさん助けるんです。救い続けるんです』
『私はバカだけどさ、サクヤは違うってば。信じてあげなよ、好きなんでしょ』
『信じてるからやめさせるんです。好きだから止めるんです。でもこれから先輩を止められるのはヴィーナさんなの……だから、おねがい……』
『んー、ゴメン。約束できないや。カラ元気で意地張ってるだけなら、殴って引っぱってくる。それじゃダメかな?』
焦げつきそうな長い沈黙。
『……仕事あるから、もう行きます。先輩のこと、くれぐれもお願いします』
再び沈黙が降りドアノブが回る音がした。けれど足音は進まない。
『ヴィーナさん。次に同じことがあったら、あなたを――』
目が覚めると白い世界だった。
視界の隅で揺れているカーテンは純白だし、天井も壁も白い。ひょっとして床も同じ色なのだろうか。確かめようとしたサクヤは無駄を悟った。
首と肩がこれでもかというくらいガチガチに固められている。アキをより一層楽しむために購入を考えていたアヤシイ器具で拘束されたのか、あるいは普通のギプスなのか、それすら確認できないほどに身動きがとれかった。
足掻いたところでどうなるとも思えなかったので、あきらめることにした。
年に何度も定期健診を受ける身だけに、寝かされているのが衛生科のベッドであることくらいわかる。ケガ人がそこにいたところでなんの不思議も――。
「お目覚めになりました?」
唯一自由になる目玉を動かせば、長い黒髪を束ねた女がベッドの脇に立っていた。
「いいえ、悪夢の真っ最中みたい。存在が許されていない女が目の前にいるもの」
「お元気そうで安心いたしました」
第六学区の生徒会長秘書をつとめる天沼ナミが、いつもの笑みをたたえていた。
「何年ぶりでしょうかね。桜木様と二人きりは」
「どれほど経ってもいやなものね。年少時代に同じ部屋で暮らしていたなんて、思い出しただけでわたしのファンが死ぬわ」
「おかげさまで、どのようなつらいことでも乗り越えていける自信がつきました」
病人用の水差しを持ったナミが、ガラスの吸い口をサクヤの口元にあてる。
心にヘビを飼っている人間失格に注がれようと水に罪は――口いっぱいに含んだものが、入ってきた以上の速度で水差しに大逆流。あふれたしぶきが盛大にとび散る。
「……殺人的にマズいわ」
「お薬が入っているそうです。我慢なさってくださいな」
サクヤの口をふいてくれたナミが、汚れた水差しを持って背を向けた。すぐそばに洗面台があるのだろう、せせらぎが流れる。
「飲み物よりもリンゴをちょうだい。あるんでしょ、匂いがするもの」
「ほんの少しですよ。まだ、固形物を召し上がれる状態ではありませんので」
「ウサギの形じゃないといや」
しょうもない子、というつぶやきに懐かしい匂いを嗅いだ気がした。
ミコトの位を授かった日より敬語でしか話さなくなった過去のルームメイトは、たまさか昔の顔をのぞかせる。
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