三章⑤ 守護者の膝は地につかない

 ツタを地中に戻したサクヤはぼんやりと前をながめた。

 頭は煮え立ち、半身の関節はひしゃげ、左腕は体温を流し続けている。意識を失わないのが不思議なのに、それなのに両足は大地を踏んでいた。

 

 水素と酸素の混合気となれば一刻を争う。そしてサクヤは立っている。

 ならばやることはひとつ。

 コンクリート地盤を砕いて混合気を逃がす。一撃で広範囲をえぐれば、たとえ引火しても衝撃は上空へ逃げる。そのはずだが、そうなるはずだけれど……。

 

――できないよ。


 肩に乗った小さな自分の囁きに、サクヤはうなずいてしまった。

 いまの自分にできるわけがない。失血でもうろうとした頭が出した答は撤退の二文字。

 軽いほうに傾きかけた心を助けるように、かくんと膝が折れた。

 

 このまま倒れちゃお。終わってないわ。もう無理なの。ミコトでしょう。そうだったわね。立ちなさい。立たせてよ。動けないの。動けないわ。痛いの。とても痛い。おねがい。たすけて。がんばるから。わたしがんばるから、だからかみさま──。

 

 震える右手が動き、左腕の傷口に扇子の柄が突っこまれた。脳天まで痺れる衝撃と引き換えに意識が戻る。両脚がどうにか地を踏みしめる。まだそこにいた相手にサクヤは血の唾を吐いてやった。

 

 だれがおまえなどに頼るものか。その程度の相手にすがってやるものか。サクヤこそが祈られる側である。叶える者である。存在であり意志である。

 ミコトだからではない。血を失った肉体が退くことのない一歩を刻む。

 決して折れない者こそがミコトなのだ。


「フタを、開けるわ……手伝って、ククリ」

《そっから右に二・八メートル、前方に五・三メートルを中心座標に十五平方メートルの範囲がパッカリ! ちびっとずれると配電設備直撃で、内殻エリアまで大停電で大混乱!》


 停電などさせるものか、言われなくともピンポイントで狙ってやる。ククリが告げた場所へ視線を移動すると、サクヤに見据えられた大地が鳴動した。


 腕一本奪った程度でいい気になるな。地面に細い亀裂が走り、無数の新芽が顔を出す。

 桜木を名乗る者に勝てると思うな。指定の範囲に生まれた緑たちはまたたく間に成長、青く繁ると一斉に根を伸ばした。

 

 十五平米の土地に、風にそよぐ緑のカーペットが生まれていた。

 頭が破裂の痛みを叫ぶがサクヤは微動だにしない。血色にそまった視線の先には、涼しげになびく勝利への布石。生い茂る新緑の、そのわずか数十センチ地下は酸の地獄と化していた。


 イネ科の植物は根から有機酸を分泌する。

 サクヤが生んだ植物は異常な濃度の酸で土壌を汚染、その直下の人工物――地下街の天井――を急速に酸化させたのだ。侵食されたコンクリートの内部、芯となる鉄骨には錆が発生するだろう。

 ほんのわずかの強度劣化。だがそれで十分。

 有効範囲が侵食されるまで数分――頭から血液が流れ去ってしまったかのような猛烈なめまい。先のとは比べ物にならない、身体の芯がすっぽりと抜け落ちたような落下感。


「だめ 、ま だ 」


 限界を越えた肉体からすべてが抜けてゆく。指先が震え、闇が顎を開き……。

 頬に熱い衝撃が走った。


「さっきのお返し。目ぇさめた?」

 

 おぼえのある声に横を向けばヴィーナが立って……否、サクヤは支えられていたのだ。いつからなのか、左腕はヴィーナのブラウスできつく縛られていた。にんまりと笑う下着姿の上半身は、サクヤの血で染まっていた。

 あられもないその姿に、落ちかけた意識が熱を取り戻す。


「かわいくない、ブラ……無駄に大きくて、あたま、わるそう」

「さっきの『だめ、まだ』てやつ、ちょーバカっぽかったけどなにあれ。一人芝居?」

「はなれて、よ……同類と、思われちゃう――ッ!」


 脱臼の激痛がぶり返す。目は覚めたがこんどは痛みで気を失いそうだ。


「いいからとっとと終わらせなよ、サクヤはそのために来たんでしょ。頭パーになってるなら、もっかいひっぱたいてやろっか?」

「ひっぱ、たいて? ……あなた、わたしの頬を」


 サクヤの内に炎が舞いあがる。ミコトの位を授かってからこれまで、手を出されたことなどなかった。


「それそれ、そのインケンでねちっこい目。らしくなったじゃん」


 動けないサクヤを引き寄せたヴィーナは、見くだすような視線を近づけた。


「ひとのこと年がら年中バカにして、なのに自分がちょっと言われればすーぐ手ぇ出すサクヤってサイテー。なんもかんも手のひらの上にないと気が済まなくて、そのくせありったけを背負いこんでるみたいな顔してさ。ホントはこーんな弱いくせに意地張ってバッカみたい。バーカバーカ。強いつもりなら最後まで強いフリしときなよ」

「……おぼえて、おきなさい、よ」

「イ・ヤ! 私バカだもーん」


 怒りに震えるサクヤの右腕がまっすぐに伸びた。握力のなくなった手に扇子を握らせているのも、力の抜けた腕を下から支えているのもヴィーナだった。

 

 なにもかもが気にいらない。

 サクヤを助けているつもりなのが許せない。余裕ぶった態度をとることが許せない。みえみえの憎まれ口で鼓舞しているつもりなのが絶対に許せない。

 ならばだれにも到達できない高みを見せてやる。

 

 練りに練った負の感情を燃料に脳が活性化。脳内神経細胞であるニューロンが連続発火。怒れるパルスが全身を疾走し、大地に強烈な指令を放った。

 地響きと共に街路樹、花壇の花、雑草……視界に存在するすべての植物が地中に沈み、直後、爆発的に土砂が舞いあがった。

 

 悲鳴が空を裂き、野次馬たちが逃げまどう。

 顕現したのは神すら絞め殺す、天を目指す竜のごとき極太のツタ。

 手足の感覚が消失した中でサクヤは笑う。付近一帯の植物すべてを分解再構成して作りあげた、強化セルロース繊維を幾重にも折り重ねた直径四メートルのツタに砕けぬものなどない。酸で劣化した鉄筋コンクリートごとき……。

 

 爆裂音を引き連れて街が揺れた。神竜のツタがもたらした破砕の力は大地を一瞬で四散、地下の空間に大穴を開けた。

 溜まっていた水素は爆発することなく拡散したが、気を失った勝利者が結果を見届けることはなかった。

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