二章⑤ 主人公属性男の受難
「この学区で一番偉い人間はだれなんだろう……」
「お疲れさまでした」
目頭を揉みながらつぶやく村瀬に天沼ナミは告げた。サクヤとアキに置き去りにされたヴィーナが、ソファーの前にぽつねんと立っている。
二人暮らし終焉命令を受けたサクヤとアキはたちどころに噴火した。怒れる二枚の舌は、まっ先に村瀬の女癖の悪さを糾弾。ヴィーナが『そーいえば私にも……』と口にしたあたりからナミも混ざっていた気もするが、そのあたりの記憶は定かではない。
『鬼畜に権力なんて危険よ、猿にカミソリって言うわ』瞳孔の開いたサクヤが壁に飾られていた生徒会長就任書に手を伸ばすと『キチガイに刃物じゃないですか?』とうつろな目をしたアキが額から抜き取った。
『女たらしが死ぬまで無職でありますように』
願をかける仕草で両手を合わせた非常識コンビは、真ん中から二枚に裂いた会長就任書をなんと食べた。
時が止まった部屋に、もっしゃもっしゃと紙を
両頬をハムスターのごとく膨らませた二人は、ぽかんと口を開けたヴィーナを背に給湯室の冷蔵庫を足で開け、贈答品の高級マンゴー果汁一〇〇%の大瓶二本を同時にラッパで空にしたあげく、会長室の扉を蹴り飛ばして出ていった。
「……あのー、私どうすれば?」
「今日のところは会長公邸に招待するよ、僕の隣の部屋が余っているんだ。そうだヴィーナくん、夕食を一緒にどうかな? いい葡萄酒があってね」
発育のいい金髪娘へ村瀬が言い寄った途端、扉が勢いよく開かれた。
「ヴィーナさん! なんで来ないの話聞いてなかったんですかっ! そこのサヨリの命令だから仕方なく家に連れてきますけど、トイレもお風呂も一人で入ってくださいね!」
「え、あの、アキちゃん?」
「今日からあたしがルールです! 許可なく先輩に触れたら手首を切り落とします。色目を使ったら晩のおかずはあなたの目玉焼きです。もし先輩のベッドにもぐりこんだら……そんなことしたらつま先からミンチにして麦畑に撒いてやるからっ!!」
目をぱちくりさせたヴィーナは、ふくれっ面のアキに腕を引っぱられていった。
「サヨリって……僕のこと?」
「お魚のサヨリは見てくれこそ綺麗ですが、さばくとお腹の中が真っ黒なんですよ。山下さん、お上手ですねぇ。鮮度の落ちも早いし、早いだけの見境なしとそっくり」
「早いってなにが!? 見境なしとかサヨリに関係ないよね? ね?」
盆を手にしたナミは無言で給湯室へ向かった。
形骸化しつつある社会制度、労働意欲の低下……すべてが行き詰まってきていると指摘されはじめたのはいつ頃だったろうか。出生率も低下の一途をたどっており、村瀬が危惧していたことをナミはおぼえている。
『他街と交流したらどうだろう?』
あの日、会長室で村瀬がつぶやいた内容にナミは戦慄した。これまでのようなうわっつらの情報交換ではなく、住人がそれぞれの街を行き交うようにしたいと彼は言ったのだ。
異なる血を招きいれる。閉じた世界に暮らす者にとってみれば狂気の提案であろう。ナミにしても怖気以外の感情が湧かなかった。
姿こそ似ているが我々と異街人は違いすぎた。
検査の結果、ヴィーナは山下アキより若いことが判明した。この街の基準に照らした場合、ヴィーナは年齢的に『年少生』――参番街でいうところの『子ども』――に分類されてしまう。上背のある村瀬と同じかそれ以上の肉体を有しているヴィーナが、この中の誰よりも幼かったのだ。
しかしながらヴィーナは故郷で過酷な仕事に就いていたという。かの街の住人は驚くほどの早熟ながら屈強な肉体を、さらには倍の寿命まで有しているのである。
友好を結んでいながら参番街を警戒する理由が、生命力と体格差であった。この街の生徒であれば、入学の時期を境に成長が止まるのが普通だ。
事実、零番街の住民の半数近くは生後十四年までに肉体的成長が止まる。
山下アキの体は十二歳の手前で成長を止めた。サクヤはいまだ儚い希望をつないでいるようだが、十三歳で成長が止まったサクヤの胸が自然に発育する可能性はゼロに近い。
対するヴィーナはあと十年近く成長を続けやがて老化へ……もはや別の生物だろう。
細胞の分裂回数に上限がない零番街住人の外見が成長後に変わることはほぼない。年を経るごとに容姿が変化するなどおぞましい限りではあるが、さらに奇異なのは生殖の方法だった。参番街は異性一体ずつによる交配を行っているのである。
この街でのその行為は、恋人同士の肉体的接触に過ぎない。
出産は一部の母体適合者に課せられたものであり、ナミやサクヤにその義務はない。妊娠の可能性がまったくないのだから当然だ。恋愛対象の性別にこだわらない文化が根付いたのはここに端を発している。
異なる血を街に入れる──村瀬の言葉には文字通りの意味も含まれていた。これほどに違う異街人であるが、適合者同士であれば子を成すことが可能なのである。
なによりもまず嫌悪が先立つ……なのに、もしかしたらと思わないでもない。
明日あさってに実現する事ではないからだろうか。準備だけで十年単位の期間が必要であり、村瀬の在任中になしえないことを彼自身が理解していた。しかしながら扉を開く者は必要であり、ちょうどそのときヴィーナが事故に遭った。
『天啓だと思ったよ』
机に落とされた村瀬の視線は鋭かった。
ヴィーナとサクヤがともに行動している姿を世間に見せる。サクヤを助け、街のために働いていることが周知となった頃、彼女が異人であったことを公表する。
それが一般生徒の意識を変えるきっかけになる。
よその街と付き合ってみるのもいいんじゃないかと、囁かれるようになる。
異街人を嫌うサクヤであるからこそ、命を賭けて戦う宿命にある彼女だからこそ効果があると村瀬は語った。改革の礎になると真摯に告げた。
それも芝居であることをナミは見抜いていた。
傾いた村瀬派閥を立て直すための、山ほどある事案のひとつに過ぎない。うまくいけばラッキー程度の思いつきなのだ。
けれどナミは知っていた。
村瀬ジンとは、私欲と遜色のないレベルで街のことを考えられる男だった。大のために小を切り捨てられる人間だった。寛容と冷徹を使いこなせる者であった。
世界を憂うことのできる人物に協力できることがいまは嬉しい。とっておきの羊羹を切るナミは、知らぬうちに歌を口ずさんでいた。
「どうなさいました?」
硬い表情の村瀬を怪訝に思いながら、ナミは会長机に湯呑みを置いた。
「桜木くんに伝えるべきか悩んだんだけどね」
湯呑を握ったままの村瀬は、反対側の手で上着のポケットから紙片を取り出すとナミの前に差し出した。
「ケッコウノヒハチカイ シュクセイノヒマデ イガイジントアソンデイロ――決行の日は近い 粛清の日まで 異街人と遊んでいろ……予告状、ですか?」
「似たような手紙が水道設備と空調管理者のところにも届いている。神経ガスの所在がわからなくなったタイミングを狙ったようにだ」
「六区で無差別テロが起きると?」
「イタズラにしては手がこみすぎてる」
「……隣接学区の会長とホットラインをつなぎますか」
村瀬は即座に首をふった。
零番街は十三の学区で分割統治されているが、学区同士の仲が良いわけではない。政治、経済ひっくるめて複雑な利害関係にある。
化学テロの危険があるなどとうかつに公表すれば、隣接学区はそろって隔壁を閉めるだろう。孤立した第六学区は生活物資をはじめ、電気や水道などのライフラインまで制限を受けることになる。あるかないかわからない状況でそんなリスクは背負えない。
学区とは潜水艦における水密ブロックと同じだ。
浸水しようが毒ガスに満たされようが、隔壁を閉めてしまえば破滅するのはその学区だけで済む。十三分の一のために街が沈む選択肢など存在しない。
「しばらくは要所に警備の人員を配置しなきゃならないね。これってさ、残業費を狙った自警科の自演じゃないのかなぁ」
「ご冗談を」
「冗談のひとつも言いたくなるよ。文面に出てきたイガイジン……異街人だぜ。ヴィーナくんが参番街の住人であることは伏せられている。事実を知っている者はほんの一部だ」
茶をすする音が響いた。
「彼女にヴィーナを預けた理由はそれでしたか。逮捕された密輸犯、消えた化学兵器、流れ着いた異街人、その出身は参番街……すべて桜木様と関わりがあります」
「のせられている自覚はあるよ。敵はいるし実弾がこめられた銃もある。なのにどこへ向けて撃とうとしているのかさっぱりわからない。まずは情報がほしい」
「ですが桜木様は……あの子は餌になりませんよ。勝手に針を離れて目が合った魚に喧嘩を売りにいってしまいますから」
困ったように笑った村瀬は羊羹の皿に手を伸ばした。
街を焦がしていた照明は、夕暮れの日差しへと変わっていた。
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