第3章 災厄の都

三章① かしましい日々

 セルロース──とりあえず、ほぐした綿を想像してもらいたい。

 糸のようなこのセルロースを、ヘミセルロースというこれまた糸っぽい物質でより合わせて補強。完成した骨組に今度はリグニンなる壁材をぺたぺたと……。

 

 植物とはおおむねこのような構造をしている。立派な菩提樹もそこらの貧乏草も、繊維素セルロースと半繊維素ヘミセルロース、木質素リグニンからできているのだ。


 それらをコントロールできると世界はすこしばかり快適になる。

 

 真昼の歩道。

 植えられた街路樹がいれかわり枝を伸ばし、サクヤとヴィーナが歩く先に日陰を作ってくれている。サクヤが操作しているのだ。


「さっきさ、女の子同士でチューしてたじゃん? 手ぇつないでる男の子たちもいたし、ホントこっちじゃフツーなんだね。サクヤたちだけかと思ったよ。けっこーショック」

「心配しなくていいわ。わたしは家畜に恋愛感情なんて抱かないから」

「……ミコトってさぁ、サクヤみたいにセーカク悪いのばっかなわけ?」


 歩道の街路樹から一本の枝が空気を裂いて伸びる。空中で五本に裂けた枝は死神の手となり、反射的に身をすくめたヴィーナの首を締めようと――。


「ミコトをバカにしないで! 次は吊るしてやるから、ホントにやるからっ!」

 

 ヴィーナがふり返った。植物の魔手よりよほど意外なものを見つけたように、大きな瞳をぱちくりさせながら。


「……かわいー声」


 サクヤはあわてて口を押さえた。ヴィーナを襲いかけた枝がぴたりと動きを止める。思わず素の自分を出してしまったサクヤは、根源をにらむことで体面を保った。

 

 ヴィーナはサクヤがどれほど脅そうとへりくだることなく、まるで臆することなく踏みこんでくる。連日、無礼の千本ノックを受けた理性は食あたりを起こし、あったはずの境界線はいまやあいまいで、異街人との距離がすっかりわからなくなった。

 アキがいれば威厳を保っていられるのだが、多忙な後輩は外出中である。


「マジかわいーよ。無理して大人ぶってる『ミコト』のサクヤより、ずっと好き」

「――ッ!」


 このあと自分がどんな口調でなにを口走るのか、当のサクヤにも想像がつかない。だからいまのうちに呪っておく。村瀬ジンはくたばれそして死ね。



 ミコト。

 古き世に『命』や『尊』と表記された彼らは水を酒に変え、炎の中心に座して平然としていたらしい。耐火性のある人類にサクヤが出会ったことはないので創作っぽいのだが事実も含まれていた。

 驚愕の力を持つ者は実在したのである。

 

 鍛錬では到達できぬ腕力を有する男がいた。

 指一本動かさず対象を死に至らしめる女がいた。

 恐るべき能力の中には、植物を意のままに操るというものまであった。低い確率で誕生する彼らを人々は畏れ敬い、ミコトは民草のための剣となり──記録にはそうある。

 

「道で会うひとたちが、みんなよそよそしいのはなんで。仲間なんでしょ? それともサクヤだけちがうの?」

「身分のことを言ってるなら、この街にそんな制度はないわ。ミコトも一般生徒も平等よ」


 畑に到着したサクヤは、作物の葉の状態を確認してから散水バルブを開けた。盛りあがったウネが水のカーテンで覆われ、虹がかかる。


「他人行儀なのは当然よ。トラの前ではしゃぐネズミがいたらおかしいもの」

「トラってなにさ?」


 参番街にネコ科の大型獣はいないらしい。それならとサクヤは遠方の牧場を指差した。


「群れることしかできない羊を、羊飼いが守ってあげているの。羊飼いは強く、羊は従順であること。それがこの街のルール」

「だったら友だちになれるじゃん。よかったね、ヒツジって人に慣れるんだよ」


 喉のあたりで膨らみかけた言葉を、サクヤはどうにか飲みこんだ。これからは何を言っても聞き流すことにしよう。そうしないと身が持たない。



 午後三時をまわった教室に座っているのはサクヤとヴィーナの二人だけ。来月に機関科へ転科してしまうアキは手続きに追われ、すれ違いの日々が続いていた。


 ともに暮らし笑いあった後輩が去ってしまう。覚悟していた寂寥感はサクヤの胸に小さな穴を開けはしたが、広がる様子をみせなかった。


 正しい関係だったということだろう。

 羊飼いは羊に必要とされる存在であって、羊に寄りかかる弱者ではない。よくできた羊はそれをわきまえているから主人の隣に立つことはない。目の前の女とは大違いだ。


「ん? 食べたかった?」

 

 どこで買ってきたのか、ばかみたいに大きな板チョコをかじりはじめたヴィーナの向かいでサクヤは目を細めた。


「わたしが好まないものを、目の前で食べないでと伝えなかったかしら」

「私の勝手じゃん、おんなじ身分なんでしょ? てかサクヤ好き嫌い多すぎ、チョーわがまま」


 九官鳥のたわ言だ。心の中ですばやく唱え、反射的に開きかけた口を閉じる。


「あ、怒った。サクヤって怒りんぼだよねー。どんだけ甘やかされてきたのさ」


 相手にしなければいい。くっちゃべる鳥だと思えば腹も立たない。


「おはよーなんて二十回に一回くらいしか返してこないじゃん、挨拶はキホンなんだよ? あとさ、なんかしてもらったらお礼言おうね。子ども……じゃない、年少生だっけ? サクヤは年少生じゃないでしょ、ちゃんとしなってば」


 澄まし顔の仮面をかぶり続けるサクヤの前で、ヴィーナは続ける。


「それにしてもトコロ変わればちっがうもんだねー。ここじゃ私が子どもで、サクヤみたいなぺったんこが子どもじゃない――」

「このくらいが普通なのっ!! 田舎の参番街じゃ乳牛がリーダーやってるかもしれないけど、この街で尊重されるのは品性よ! 友だち欲しいならスイカ畑でもメロン畑でも行きなさいよ、出てって!」

「……ふーん、気にしてるんだ」


 当然であるかのようにヴィーナは席を立とうとしない。『異街人と暮らしやがれ命令』からわずか数日後、会長の村瀬はヴィーナにアキと同じ補佐官の職を与えた。サクヤと一緒にいることがヴィーナの仕事なのだ。

 

 苛立ちにまかせてにらみつけたまんまるの瞳は、いつもどおりだった。

 ナミやアキであれば流せることがヴィーナ相手にはできない。野良犬の遠吠えなのだと、無視することもできない。


 この目のせいだ。

 対面に座る異街人を見つめた。


 ミコトを見あげる目に必ずつきまとう、奥底にある影がヴィーナの瞳にはまるでない。恐怖、嫉妬、羨望、警戒……ひとかけらの敬意すらない眼差しがサクヤを捉える。


 なに? と首をかしげるヴィーナから視線を外したサクヤは、いつのまにかおちついている自分に気づいた。そのことが痛痒い感情を胸に湧きおこし、無性にくやしくなったサクヤは手元の収穫予定表を乱暴に広げた。

 

 生徒会を兼務しているがサクヤはれっきとした農業科の生徒だ。農業科の仕事はいわずもがな、農作物を作ることである。

 毎日のミネラルや繊維は海藻由来がメインで、農場も海生プラントが多くを占めているが陸育ちの野菜も負けてはいない。バイオ技術が発達した近年、かなり研究が進んだ。

 現在サクヤが担当しているのは、遺伝子改良された作物の育成場──『試験農場』と呼ばれる畑で、新種野菜の育て方を調べているのである。


「ピッタリの仕事だねー。サクヤって野菜をぽんぽん作れるんでしょ」

「わたしの能力で作ったものは食べられないって、言ったはずだけど」


 サクヤの力で生んだ植物はタンパク質がどうのグルタミン酸がD体で……要するにマズかったり栄養にならなかったりする。不等毛植物門の仲間──ワカメなどの海藻群──にいたっては細胞一個すら生み出せない。

 おおむねではあるいはが「陸生植物&それらに近い仲間」でかつ「サクヤが目にしたことがある」=「操れる植物」なのである。

 

 サクヤが作った野菜は天然モノとは違う。

 その事実は食用品種を生み出すことを自制させた。

 なにかのはずみで天然の野菜と交配し毒性を持ってしまったら桜木の名折れ、偉大な先祖にあわせる顔がない。サクヤは始祖をだれよりも尊敬しているのだ。

 神話に登場すると知ればその偉大さがわかるだろう。

 

 兄妹神はさらなる神と人を生み、彼らは街を造り、街に緑を根付かせ──だれでも知っている創造の神話……というよりおとぎ話だがサクヤは信じている。植物を生む力を発現した能力者が、殺風景なこの街に緑を飾ったのであると。

 木花咲耶姫神このはなさくやひめのかみと呼ばれたのだから、花のように美しい女性だったはずだ。サクヤが街路樹を操作できるのは、彼女の力を受け継いだからにほかならない。

 

「そんなこといちいちおぼえてないってば。サクヤ難しいことばっかゆーじゃん」


 板チョコを腹におさめたヴィーナは、いまはカラフルな碁石をせっせと口に運んでいる。

 机に置かれた鉛筆やら絵の具やら……爆薬みたいなものまであるチョコレートの山を一瞥したサクヤは、甘ったるい匂いに胸やけをおこしていた。


「仮とはいえ、あなたは桜木サクヤの補佐官になったの。ヴィーナの無知のせいで恥をかくのはわたしなのよ、桜木の看板に泥を塗らないでちょうだい」

「看板てなにさ。わっかんないよ、サクヤなの? サクラギなの? いつかの女の人はサクラギサマって呼んでたけど、そのほうがいいの?」

「やめてよ! いままでどおりサクヤって……桜木は名字、血筋を表す大切なものだからよ! よそ者が気安く呼んでいいものじゃないの。名前すらもらえないあなたには、わからないでしょうけどねっ」


 そのつもりはなかったのにムキになってしまった。ちらと横目で見たヴィーナはしょんぼりしているようだが、怒っているようには見えない。

 どこかでほっとしている小さな自分を彼方へ蹴り飛ばしたサクヤは、少しだけ教えてやることにした。

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