一章④ 先輩はドS

 意識が戻ってからこのかた、女は金切り声をあげ続けている。アキによれば蠢くツタにおびえているのだという。

 閉じた扇子を顎にあて同意しかけたサクヤだが、それほどの軟弱者が一人で攻めてくるのも妙な……。


「話くらい聞いといたほうがよくありません? ひょっとしてもしかしたらですけど、迷子の新人さんだったりとか」

「こんなに背の高い新入生なんていないわよ。アキだってこの女を知らないんでしょう? それにほら、胸があるじゃない。二年生のわたしより」

「ええっ? 基準は先輩の低脂肪乳ですかあああぁぁぁぁぁぁ――」


 細長い悲鳴を残してアキは遠ざかっていった。

 無礼な後輩の足首に巻きついたのはツタだ。命令に忠実な植物の反対側は、八メートルを越えるポプラのてっぺんに結ばれている。ひあぁとドップラー調に間延びした声の主は、小高い樹木の頂点で折り返しそのまま自由落下。


 いきおい、少女は頭から大地へ。

 ッゃく! という詰まった声が最後に聞こえた。

 さかさ吊りとなったアキの頭部が地面すれすれで止まっている。重力に従ったスカートは完全にめくれあがってというか下がっていたが、なおす気力もないようだ。


「……すらりとしてすてきって、言ったんですよぉ。先輩はスレンダーでうらやましいなぁ。あたしより重くて、あたしよりおっぱいないけど──」


 アキの足首を縛っていたツタがぎゅおんと縮み、逆さの少女は再び高みへ。

 ひあぁぁ…………ッゃく! を三回ほどながめたサクヤは正面を向いた。

 四肢を拘束されていた侵入者は悲鳴をあげることを忘れたのか、茫然自失の表情でポプラとアキのコンビが魅せる人間ヨーヨーの妙技に釘付けになっていた。

 

 サクヤは得体のしれない相手を観察する。

 すらりとした背になびく金髪。大きなライトブラウンの瞳。これみよがしの豊満な乳房の下にはくびれた腰。そこから水アメのようになめらかに伸びた脚。

 こうも特徴的な人物をアキが知らない。過去に諜報ちょうほうや破壊工作にかかわった生徒なら、他学区であってもそらんじている後輩の記憶にないということは……。

 

 ただの一般生徒だろうか? サクヤは考える。

 下層学区から迷いこんだおっちょこちょいならば、なすがままにされていることに合点もいく。あるいは転送っぽい実験中に雌牛と融合してしまった不幸な女子かもしれない。

 

「腑に落ちない点はありますが、反抗の意思はないとみなし両手以外のいましめを外してさしあげます。ですが」


 高みへ巻きとられては落ちてゆくアキへ、サクヤはついと顎先を向けた。

 ヨーヨーなる競技には『犬の散歩』というトリックがあったはずだが、どうやればいいのかわからないので回してみる。ハンマー投げの鉄球みたいになったアキが甲高い悲鳴をあげたが、それもすぐに聞こえなくなった。

 

「不穏な動きがあれば同じことをいたします。ご承知おきを」


 周囲から緑が消えた。女の両手を縛っている以外のツタを地中へ戻したのだ。無言で円運動を続けるアキを引き寄せ、ツタを操作してポプラの根元に寝かせておく。


「加えて申しあげておきますが」


 コホンとせきばらいをひとつ。


「あなたさまに人権はございません。校則にモロあったりしそうですが、わたし的にやっぱりありませんので悪しからず。肉体精神その他もろもろを損じたくなければ言動に気をつけるように。それでは警報を鳴らした顛末をお聞かせ願いましょう」


 さあどうぞとサクヤが手を差し向けてから十秒が過ぎ、ようやく言葉が届いた。


「……なによ、これ」


 声は意外にしっかりしていた。表情はおびえから憤りへと変わっている。いましがたの説明を理解したのかあやしいものだが寛容かんようの精神で聞いておく。


「壁の修理中に命綱が……死ぬ思いで、本気で死ぬって、なのになんなのさ!」


 女がサクヤをにらむと下乳が揺れた。

 隠すという目的を八割がた放棄している水着は、以前に見た潜水服用のインナーと似ている。そして壁、修理、命綱――このホルスタインは『外』で事故に逢ったのだとサクヤは結論した。


「死んでもおかしくなかった……なのに、なんであんたみたいな子どもにからかわれなきゃいけないのさっ、ふざけてないで大人を呼んで!」


 サクヤは眉根をぴくりと曲げた。


「あなたいま――」


 詰め寄りかけた瞬間、魂を逆なでする音量が鼓膜を貫いた。

 音源へ向いたサクヤと女の視線の先で、警告灯を回した車両がつぎつぎと公園に横づけされる。白と紺に塗られた自警科の車だ。

 

 車両が停止するやドアが開き、黒い制服を着た生徒が十人ほど走り出てきた。

 制服連中はサクヤたちから数メートル離れた位置で立ち止まると、一斉にガス銃を構える。一糸乱れぬ動きは、訓練された者たちのそれだった。


警吏けいりのひと……なの?」

「わたし以外と話していいと、許可したおぼえはありません」


 女の口をサクヤがツタで塞ぐと、武装生徒の背後から大柄な男子生徒が進み出た。


「あんたは木花咲耶姫神このはなさくやひめのかみ……おっと、おれは自警科の田村――」

「わたしがいつ名などたずねましたか? 首の上の飾りに中身があるなら、むやみやたらに騒がしいサイレンを止めてくださいませ。癇にさわります」

「おい、いまなんつったよ」


 大柄な男がにらみつけてきた。

 木花咲耶姫神。

 サクヤの公名がすらりと出てきたことから、ただの下っ端ではなさそうだ。

 

「騒々しいだけの重役出勤とはたいしたお仕事ぶりですこと。ああご心配なく、捕らえた侵入者は引き渡しますので格好だけはつくでしょう。ところで、皆様方はそろって頭が不自由なのですか?」


 自警科の男たちは意味がわからないとばかりに沈黙した。サクヤはため息をつく。

 ツタでひとくくりに縛って車道に転がしておこうかと考えたが、轢かれたら轢かれたで街を汚したと市政科からクレームが来るだろうし、動物には愛情を持って接しましょうと最近読んだペットの本に書いてあった。

 

五月蝿うるさいと、そう申しあげたのですけれど」

 

 愛を持って告げてやると、顔を赤く変色させた男が車に合図を送った。

 ようやく静まった公園で田村と名のった男を一瞥いちべつする。

 態度からしてそれなりの地位にあるのだろう。上着のボタンは半分ほど外されていたが、粗野というよりは武骨な印象を受ける。骨ばった顔には風格もあった。

 

 とはいってもその多おおぜいがひどすぎるからであり、小ぶりで未熟なトマトでもプチトマトに囲まれていれば大きく見えるのと一緒だ。


「結構。つぎはそう、野次馬の整理でもなさっていてくださいな」


 にぎわいはじめた公園の入り口を指したサクヤに、自警科の輪から罵声が放たれた。

 野次馬を追い払うという簡単なことすらできないのか。相手をする気が失せたサクヤは、肩にかかる黒髪をひとさし指に巻いて時間をつぶす。

 一層濃い赤へと変わった田村は、背後の同僚を視線だけで沈黙させた。


「この件は生徒会に抗議させてもらう……かまわねぇな」

「弱者の遠吠えを邪魔するほどヒマでなくてよ」


 赤を通り越し黒く染まりつつある田村に告げると周囲に圧力が満ちた。

 黒い制服集団とサクヤとの間に一方通行の緊張が走る。見れば、武装生徒たちに握られた銃のいくつかはこちらを向いていた。


「先に聞いておきましょうか。生絞りとすりおろし、なりたいジュースはどちらです?」


 緊張が一気に高まったそのとき、新たな影がわりこんできた。

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