第1章 晴れ、ときどきツタ
一章① 生野菜(細長い)×後輩(かわいい)
惨劇を目のあたりにした
灼熱のアスファルトがスカートから伸びた素足をじりりと焼くも、サクヤは動けなかった。
へたりこんだ彼女の前に立ちはだかっていたのは真っ白なガードレール……むせかえるほどの緑があふれていたはずの地を、四車線もある道路が分断していたのだ。
「なんて、ひどい」
ぷっくりと黒光りするナス。
イボイボが刺激的なキュウリ。
サクヤを楽しませたナスの楽園は影もない。夏が来るたびやさしく、ときに激しく責めてくれたキュウリの畑は形もない。
涙が頬を流れていった。
土くれごと開拓されてしまったナスは苦しんだろうか。過ぎし冬の寒さのなか、根絶やしにされたキュウリは恨みながら死んでいったのだろうか。
——いいえ。
悲しみをはらうようにサクヤは首を振る。
彼らは楽園へ旅立ったのだ。あおいだ空に目をこらせば、ああ、夏野菜たちがよりそう姿が見えるではないか。
「根絶やしってゆーか勝手に枯れちゃったはずですけど。キュウリ、一年草だし」
隣に立つ少女が真顔でつぶやく。キュウリが一年で花を咲かせて枯れる、いわゆる一年草であることを教えてくれた少女はサクヤの後輩、
「冷たいのね、あんなにお世話になったキュウリを勝手に枯れたとか……火照ったカラダを慰めるために毎晩使ってたのはアキ、あなたじゃない!」
「ヘンなこと言うなぁっ! パック、キュウリパックっ! お肌のお手入れっ!!」
小柄なサクヤよりさらに低い位置で、赤みがかったショートヘアが抗議していた。
百四十センチに届かないアキの髪の房が、目の前でぴょこぴょこ揺れている。小動物のようなくりくりした瞳に卵型の顔。アンテナみたいな髪束を結ぶゴムには、桜を模したプラスチックが飾られている。
「してないし! 桜木先輩が想像してるよーなこと、あたししてないからっ!」
「わたしが想像してることってなあに?」
少女の頬がぽわっと紅に染まる。
「……ナスもキュウリもとっくにないんです。ここいらはもう農業科の土地じゃないって、言ったじゃないですか。市街化予定区になっちゃったんですってば」
頬を赤く染めたままのアキが言った。
夏色の制服から伸びた手足は細く頼りない。固さの残るこことか、若さゆえのあそことか、いろいろなアヤマチを認めさせちゃいたくなる下級生だ。
「桜木先輩ぜんっぜん話聞かないんだもん。年中無休で脳みそバラ色だし、ヒワイなことばっかゆーし、ヤラシーし、セッソーないし……ため息でちゃうほど、可憐な顔してるのに」
肩甲骨まであるサクヤの黒髪に、アキの細い指が伸ばされる。絹のようにまっすぐで滑らかな髪だと褒めながら、彼女はサクヤを見あげた。
「色白でまつ毛長くて、瞳も大きくて、先輩ホントにきれい……はぁ」
熱を帯びた後輩の唇からこぼされた吐息に重なったのは、不粋なエンジン音。陽炎ゆらめくアスファルトの彼方から、猛烈なスピードで迫りくる車があらわれたのだ。
すばやく無線機をオンにしたアキの隣で、サクヤはストレートの黒髪を片手ですいた。
「あれね」
「ですね。午後からスイートコーン植えるんで、生徒会のお仕事はちゃっちゃっと片付けちゃいましょ――桜木サクヤ、山下アキの両名、これより目標の
アキが短く告げると、無線機の向こうにいる同僚が了解を返してきた。その後のやりとりから察するに、ターゲットは自動車両の技術者のようだ。
「なにをやらかしたの?」
「密輸って言ってましたよ。試作車の走行試験ついでに、
「銃器かしら、最近物騒ね」
「当人たちは中身を知らないそーです。長生きの秘訣ですね」
長生きということは前科があるのだろうか。アキにたずねてみる。
「
「そのまま処理すればいいじゃない。なんでわたしが出なきゃいけないのよ」
「現場を押さえて終了、のはずが自警科がヘタうって密輸犯は明日へ向かって逃走中。逃げる場所なんてないのにな」
「帰るわ、無能連中の尻ぬぐいなんてまっぴらよ」
「先輩が頼りにされてるってことですよ」
やる気の失せたサクヤの頬に、やわらかな唇がちょんと触れた。
「……今回だけよ」
重い腰をあげたサクヤは車道へ進んだ。路面に描かれた制限速度の、おそらくは倍以上のスピードで迫る車を正面に見据える。
「六区生徒会の桜木です、車に乗っていらっしゃる方へお伝えします。いますぐ車内にガソリンをまいて火を放ってください。従わない場合、命の保証はいたしません」
「先輩のこれまでの人生で、交渉が成功したことってあります?」
「これから性交渉で性交したいの? 若いわね、昨日の夜だけじゃ満足できな――」
「仕事中なの無線オンなの聞いてるひと大勢いるのっ!! てゆーか前、前っ!」
暴走車はサクヤの手前十メートルまで迫っていた。車道にたたずむ女子生徒に気づいたはずだが速度を落とす気配はない。
助手席の男がサクヤを指さしている姿がフロントガラスごしに見えた。泣き出しそうな顔は、必死になにかを叫んでいるようだ。
引きつった笑いを浮かべた運転席の男が、血走った目を見開く。
疾走する車がグンッと加速。
「ひとの恋路のスピード違反は、馬に蹴られて死ぬんですってよ」
次の瞬間、サクヤを跳ね飛ばすだった車両はありえない方向に進路を変えた。
蹴られたコマとなって空へ舞いあがった車体は屋根から落下。鼓膜を破る破壊音とともにガードレールを引きちぎり、大地を削って転げ回る。遅れた降ってきた部品の雨が、アスファルトでからからと音を立てた。
「映画みたいに爆発しないのね」
「電気自動車ですもん」
犯罪者の末路に興味などないのだろう。右足を引いたアキは、足元に転がってきた丸い物体を蹴とばした。少女に蹴られたそれは二、三度バウンドすると、奈落へと落ちていった。
真新しい四車線道路は、サクヤの数メートル先でえぐられたように陥没している。暴走車は突然開いた大穴に突っこみ、アクションドラマよろしく吹っ飛んだのだ。
「まーた街を壊したって文句きちゃうかなぁ」
「言わせるもんですか」
言った途端、穴の底から砕けたアスファルトの塊が登ってきた。削り取られていた道路の一部が、二人が見守る前で逆回しの映像のように穴を塞ぐ。
元通りになった車道の前で仁王立ちとなったサクヤは、地面をびしりと指さした。
「だいたいなんなのよこの道は! 畑はどこへ行ってしまったの!?」
「農業科の土地じゃなくなったって、言ったばかりじゃないですか」
「キュウリを奪ってまで道路が必要? 『街』の発展はナスを犠牲にしてまで進めることなの? そんなことよりずっと大事なものがあるわ、野菜よ。アキだって毎日飽きることなくなでていたじゃない、敏感なところを!」
「パックパック顔のパックですってばっ!! それとも見たんですかあたしの部屋のぞきやがったんですか……見たのね見たんだドスケベッ、ヘンタイ!! 桜木先輩の──」
真っ赤な機関銃となったアキが不意に押し黙る。細い首にあてられたナイフが真夏の光を反射していた。
「おまえ……『ミコト』か。動くなよ、おかしなことをするのもなしだ、なしだからな!」
左腕でアキを抱えこんだ男が叫ぶ。暴走車を運転していた人物だった。
鉄クズとなった車両をサクヤは横目で見る。
展開したエアバッグと発泡樹脂は、車の原型をとどめないほどの衝撃から搭乗者を守ったようだ。助手席の男は気絶でもしているのだろう。
「すばらしいお車ですね、あなたが開発なさったんですか?」
「おれがやったんだ、ぜんぶやったんだ! なのに認めやしない。やってられるかよっ」
「腹いせに密輸の片棒かついで人生も棒に振ったと。歩いている犬は見当たりせんが、オチはつけられそうですよ。運のよい方ですね、ちょっとそこの藪をのぞいてくれません?」
男が歯をむき出してなにかを叫ぶ。握られたナイフに力がこめられるのがわかった。
「幸運なあなたに選ばせてあげましょう。右と左、どちらになさいます?」
「は? 右? おまえなに言って……」
「アキ、右ですって」
バスッという破裂音が響いた。
悲鳴をあげて男が倒れる。情けない声をあげながら地面をのたうつ男の手は、鮮血あふれる右足の甲を押さえていた。
アキの右手がすばやく動き、制服のスカートがひるがえる。
太ももに巻かれたホルスターにガス拳銃を納めた少女は、もがく運転手の両手を傷口から引きはがすと、ポケットから出した樹脂バンドであっという間に拘束した。
「ほんとうに運のよいひと」
助手席の男の捕縛に向かう後輩の背をながめながら、足元で泣き叫ぶ男へつぶやく。アキがあと二秒遅ければサクヤが動いていた。
そのときは右も左もないのだから。
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