第38話

 俺は日に日に増していくプレッシャーを感じていた。

やれることはやってきたつもりだ。

何度も何度も瞳ちゃんのカルテを見て対策を考えてきたし、何通りもの治療方法や、不測の事態が起きた場合の対処法も検討してきた。


海外の病院にまで行って実際に同じ症状のオペもしてきた。それも数回も。

レアな病気ではあるが運良く治療出来たことには感謝している。

そのおかげで自信はかなりついた…。つもりだった。


だけど、瞳ちゃんとその彼氏の安藤君の、今の幸せそうな顔を見るのが辛い。

もしも俺がオペに失敗して、二人の笑顔を壊すことになるかと思うと…。

二人に対して特別な感情があることは認めよう。

医師として、患者に感情移入してはならないことぐらい分かっている。

治療に専念し、一番確率の高い選択肢をし、そして全力を尽くす。

もちろん患者の意見を優先させる場合もあるが、それは患者が選ぶべきであって、俺が選択肢を増やす手伝いをするだけだ。


瞳ちゃんの場合は、全力でオペに取り組むしか選択肢はない。

そして全力を尽くすだけなのは分かっている。

さっきも言った通り準備は出来ている。

だけど震えが止まらない。


正直怖いんだ。


こんなんじゃ駄目なのは分かっている。

感情移入しちゃいけない。

いつも通りに最善を尽くせばいい。


なのに…。


いやぁ、余計なもん見ちまったよなぁ。

藤原の高光って言ったっけ。彼は衝撃的だった。

常に現実と対峙してきた俺には、神だの幽霊だの必要ねーんだよ。


だけど知っちまった。神や仏じゃないが、生霊?妖怪?ふざけんなよ、おい。

俺はそんなのと間接的に戦うことになる。

負ければ容赦なく瞳ちゃんは死ぬ。

そして、さるとらへびとかいう妖怪が復活しちまう。


その為だけに頑張ってきたと簡単に言っていたけど、オペまでの12年だぞ?12年。

普通じゃできねーよな。

12年も相手のことだけを考えて、相手の手助けをして、相手のためだけに学んで働いて…。

彼に尽くしたいという気持ちも分かる。

彼がいなかったら、彼女はとっくに死んでいた。

悪いが為す術は無かった。


命をもらう。


そんなことが起きていいのだろうか?

いいわけねーだろ。


何故彼女だけに許された?

他の人はどーなんだ?

俺も何百人と祈っている人を見てきた。

神様は何回も残酷な判断をしたのも見てきた。


そもそも神様とやらは何もしてない。そう、俺は思っている。

成功も失敗も想定の範囲内だったはずだ。

あー、だめだ。俺は直ぐに逃げてしまう。

神様とやらに逃げても現実は変わらねー。

もうオペの日にちまで1年を切った。


安藤君が定期健診に来る度に二人を見ているが、とてもじゃねーが直視出来ない。

二人は知らず知らずのうちに、最悪の自体も想定しているに違いない。

決戦までの残り時間が少なくなるに連れて焦りが増しているのが分かる。


もしも、決戦に敗れたり、瞳ちゃんのオペが間に合わなかったりしたとしても、少しでも残っている悔いを減らすようにしている。

俺には、そう見える。

貪るように相手を求め、遠慮なく相手に飛び込み、そして記憶に強く刻んでいく。


そんな二人を見るのが辛い。

そりゃぁ、決戦で敗れちまったら俺の責任ではない。

が、安藤君だけが残されても、二人共消えたとしても、残された者達の傷は深いだろう。


二人を援護してくれる人は正直少ない。

彼らの負担は相当なものだっただろう。

精神的にも肉体的にも金銭的にも。


折角ボランティアで集まったお金も受け取りを断ったとも聞いた。

勿体無いと思うのが正直なところだが、拒否したご両親は強い人達だ。

なかなか出来ねぇよ。


だけど、それもこれも俺には重てぇ…。重たすぎる。

もちろん似たような環境の患者もいた。

だけど、神だの仏だのが絡んできて、どうにも何もかもが大袈裟に見えてしまっているのかも知れない。


………。


まぁ、でも一番のプレッシャーは瞳ちゃん自身にある。

彼女の生への凄まじい執念。

絶対に生き延びてやるんだという執念。

これは過去の患者の中でも見たことがねぇぐらい。


口ではそう言っても、やっぱり不安や、もしかしたら…って、考えが起きるのが普通だろう。

だけど彼女はそうじゃねぇ。

確かに焦ってはいるが希望をまったく捨ててない。

それどころか希望しか持っていないようにも思える。

その希望の中に俺も含まれている。


怖ぇーよ、正直。

あれだけ純粋で真っ直ぐに俺を見てくる。

すげぇ綺麗な目をしている。

奥が深くて底がない。


くっそ。


苛々して、無意識に手が震える。

こんなんでオペが上手くいく訳がない。


あー、やめたやめた。

考えるのをやめる。

だけど手は震えていた。

あの純粋な目を思い出す度に震える。


あー、ちきしょう…。

こんな俺でも決め事をしている。

酒とオペからは逃げない。絶対にだ。

これだけは守ると決めているし、破られた時は医者を辞めようと思っている。


あぁ…。

腹減ったな。何か食うか…。

俺は汚い自室にいたことを思い出す。

丁度立ち上がった時、玄関から呼び鈴が鳴った。

あいつが来たなと思った。そろそろ来る頃ではある。


ドアを開けると、案の定、彩ちゃんがいた。

「こんばんわ。」

そう言ってニコッとした笑顔を何年見てきただろう。

こんなだらしない俺の世話を高校生ぐらいからみてくれている。

本人曰く放っとけないそうだ。

まぁ、自分で言うのもなんだが確かに酷いわな。


医師としてはそれなりに成果をあげてきたし、今や先輩からは一目置かれ、後輩からは尊敬すらされている。

だけど自宅には一人もあげたことはない。

幻滅されるのは間違いないし、そんな噂がたっても面倒くせぇしな。


というわけで、彩ちゃんが来てくれることは大歓迎だ。

いや、まぁ、大歓迎してちゃぁ駄目なんだけどな。

彼女は慣れた感じで部屋に行き、直ぐに夕食の準備を始める。

彼女専用のエプロンも長いこと置いてあるなぁ。


いい匂いがしてきたところで、今度は部屋の片付けにはいった。

手際よく散らかった物を整理し、ゴミをまとめ掃除機をかける。

途中料理の様子を見ることも忘れない。

彼女は良い奥さんになるだろう。俺が保障する。


テーブルの上に美味しそうに並べられた料理は鍋だった。

俺が自慢するのもなんだが、彼女の作る料理はどれも美味しい。

そりゃぁ高校生ぐらいの時は失敗した時もあったが、今ではそれなりの腕前になっている。


今日の鍋だって鮭や秋の旬の野菜を使ったもので、味付けも俺の好きな味付けだし、大好物の締めのうどんも忘れてない。

こんな時間から作るのだから手の込んだものは無理だけども、こうやってその時の時間や状況でサッと作ってくれると嬉しいよな。


結局彩ちゃんは俺が務めている総合病院に就職した。

怒るとヤンキーみたいで怖かった彼女だが、今では白衣の天使になっている。

お父さんは人事部長だから、コネで入ったなんて噂もあったけど、正々堂々面接に来た度胸は凄いわな。

そこで言ったそうだ、しっかり私を見定めて採用を決めてくださいとな。


夜勤がない時は、時々こうして来てくれる。

休みの日は大掃除してくれたりするから、お礼にご飯を奢ったり服をプレゼントしたりしている。

そう言えば、流れに任せてこうしているが、何だか微妙な関係だよなぁ。

俺に彼女が出来たらどうするんだろ?


まぁ、今はそんなことは一切考えてないけどな。

俺は瞳ちゃんのオペを終わらせない限り医師として一段落つかないと思っている。

つまり、医師としての一つの大きな壁。

それを乗り越えない限り上へは目指せない。

そんなふうに思っていた。


締めのうどんを食べ終わると、彼女は手際よく後片付けまでやってくれる。

その後ろ姿を見て、いつの間にか成長したなぁなんて思ったりもした。

だけど何だか幼い印象が強い。

それに人事部長の娘ってのもあって手を出したことはない。

そもそも彼女がそんなそぶりも見せないけどな。


食後のお茶が出てくる頃には、すっかり満腹感に襲われていた。

「先生、最近ボーっとしていることが多いよね。」

彩ちゃんの指摘は間違ってない。つい、瞳ちゃんのオペの事を考えてしまう。

「ちょっと難しいオペの例を見て、俺ならどうするか考えちゃうんだ。」

「それ、本当は先生がするオペでしょ。」

彩ちゃんは相変わらず鋭い。いや、女の勘かな?

「まぁ、そうなるだろうな。」

「いつオペなの?」

「んー、来年の夏かな。」

俺はうっかりそんな事を喋ってしまった。

まだ秋なのに、来年の夏のオペなんてありえない。

「そんなオペあるの?」

案の定、彼女は疑ってきた。

「まぁ、予定通りいけばって話だ。」

「ふーん。」

全然、頭に入ってこないテレビに視線を向けたまま適当にごまかした。


彼女も画面を見ながらお茶をすすっている。

「そんなに難しいの?」

俺はその言葉に過剰反応してしまった。

プレッシャーに負けそうな自分に対して、苛ついているのが分かる。

「うるさいなぁ。関係ないだろ。」


俺が苛ついているのが分かったのか、彩はそれ以上は聞いてこない。

この辺の空気を読む力は相変わらずだ。

テレビの番組が終わったころ、突然彩が聞いてきた。

「何かむしゃくしゃしてるでしょ。」

今日は珍しく突っ込んできた。いつもはスルーするのに。

ちょっとカチンときた。

分かってて聞いてくるなんて彩らしくない。

「うるさいなぁ、黙れ。」

俺は掃除や料理までしてもらっておきながら、苛立ちを隠せなかった。

彩ちゃんが来るまでその事を考えていたのもいけなかった。

だがこれは言い訳に過ぎない。


「先生なら、大丈夫。もっと自信持っていいと思うけど。」

彼女の言葉はお世辞なんかじゃない。

そんな事を言う娘ではないのは十分知っている。

噂話は嫌いで、他人を貶めることもしないし、お世辞を言うこともない。

だけど苛立った。分かっているけど苛立った。いつになく苛々した。


「その辺にして、ほっといてくれ!」

「どうしたの?珍しいじゃん。」

難しいオペの前に緊張で苛々する時もあった。

だけど今回ばかりは今までの比じゃない。

「うるせぇって言ってんだよ!」

ついに怒鳴ってしまった。

彼女はちょっとビックリしたけど、怯まず俺に近づいてきた。

今までにない行動に俺はちょっと動揺した。


「ねぇ、先生。その苛立ち、私で解消していいよ。」

「何を言って…。」

「私の事、無茶苦茶にしていいよ…。それで先生のオペが成功するなら…。」

そう言って覆いかぶさってきた。

「!?」

「私、もう子供じゃないよ…。」

そう言った彼女は…、震えていた…。

なんだよコレ…。なんなんだよコレは!


「馬鹿にするな!!」

彼女を突き放す。

「だって…、先生ボーッとしてるんじゃなくて…、本当は凄く思い悩んでいる…。私にはなんにも出来ないから…、何も手伝ってやれないから…。」

「大馬鹿野郎!!」

彼女は…、泣いていた。

本当に悔しそうな顔で…。

そこまで俺のことを見ていてくれたのかと、今更、本当に今更気が付いた。


俺は胸の奥が熱くなって、その熱が体を突き動かしたのがわかった。

ギューッと抱きしめる。

彩ちゃんは俺の胸の中で泣いていた。

「私…、高校の時から覚悟してた…。先生に何されても構わなかった…。だけど先生は子供扱いしかしてくれなかった…。」

「彩ちゃん…。」

「彩って呼んで。」

「すまない…。彩…。気付いてやれなくて…。」

「先生が鈍感なの…、知ってるから…。」

「何も言い返せねぇな。」

「優しい言葉なんか要らない。先生の気持ちが聞きたい。」

彩は相変わらず核心を突いてくる。

だけど、今の俺には…。


「俺は来年の8月15日、人生で最難のオペに挑む。それまで…、それまで待ってくれ。」

「分かった、待つよ。でも、先生の御世話はやめないから。」

「うっ…、あぁ…、すまん、頼む…。」

「フフフ…。」

彼女は腕の中で、今度は嬉し涙を流していた。

そうかぁ…、俺の方が大馬鹿野郎だったよなぁ…。


俺一人でここまできたと、いつから勘違いしていた?

沢山の応援してくれた人、協力してくれた人、指導してくれた人、共に歩んできた人がいた。

その中でも彩は気づかないうちに傍にいて、ずっと俺のことを見てくれていた。

ずっと笑顔を見せてくれていた。


料理が美味しい?当たり前だろ。

俺の好みの味付けばかりじゃないか…。

掃除もベッドの下は絶対にしない。

なんでかって?そこにエロ本隠しているからな。

彩は俺の事を俺より知っている。


さっきだって俺が手を出さないのを分かっていたのかも。

もしも俺が手を出していたら彩はどんな顔をしただろうな…。

それが覚悟ってやつか‥。

俺に足りないものかもな…。


本当に俺は大馬鹿野郎だ…。大うつけ者だ…。

彼女が落ち着くと、お互い急に恥ずかしくなった。

彩はお茶を片付けると、今日は帰りますと言って帰っていく。

送っていこうか?の言葉には大丈夫とだけ答えた。


それからの俺は、何だか吹っ切れたような気がしている。

最難のオペ?上等だよ、かかってこいよ!そんな気分だ。

外科部長と昼食を一緒に食べている時に、最近俺が変わったと言われた。

上司を頼り、同僚と協力し後輩の指導、それに看護師達との信頼関係。

全てが上手くいっていると。


今までの俺は、何でも一人でやろうとしていたのかもしれない。

そうか…、彩はそれに気付かせてくれたんだ…。

そうじゃないとしても、彼女のおかげで気が付くことが出来た。


本当に俺は大馬鹿野郎だったな。

来年の夏が楽しみだ。


待ってろよ生霊とやら。

俺が現代の医術を駆使して、最高の結末を魅せつけてやる。

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