第19話

 病院に到着し、山岡先生と別れた。

彼は12年後の手術に向けて万全を期しておく、と珍しく真剣な表情で言ってくれた。

私は素直に「はい」とだけ答えた。

もう多くの言葉は必要ないと思ったからだ。


だけど、光司のことは皆で考えなくっちゃいけない。

お父さんは仮眠していたところを起こされ「どうだった?」とだけ聞いてきた。

一部始終を話すと、そうだろうそうだろうと言って、何故か満足気だった。

そしてお昼近くになったころ、看護師が走ってきて彼が目覚めたことを伝えてくれた。

3人に緊張が走った。


 「光司君、落ち着いて話を聞いて欲しい。」

意識が戻った俺は真っ暗闇の中にいる。

異常な状態だったけども、何となく察している。

ここは病院で、話しかけてきたのは医者だろう。

聞いたことのない医者と思われる男の声が続き、俺の目が見えなくなったと伝えられた。


(あぁ、やっぱり…。)

目頭が熱くなる。

覚悟はしていたが、予想以上に辛い。

(見えない…、何も見えない…。見えない見えない見えない見えない…。)

目蓋の裏の明るささえ感じない。


「ウッ…。」

嗚咽が漏れる。

(絵が…、描けなくなった…?)

突然胸の奥から何かがこみ上げる。


不安…。


恐怖…。


絶望…。


(どうしよう…、どうしようどうしよう…。絵が描けない…。)

そして吐いた。

どこに吐いたか分からない。

誰かが慌ててシーツをめくっていく。


「少しずつ慣れて、普通の生活出来るよう頑張っていこう。」

そんなことを言われた気がしたけど、絵が描けない生活に慣れる?改めて聞かされると、考えられない生活だった。


甘かった…。

見えないということが、これほど辛いことだとは想像出来なかった。

だが、目が見えなくなった原因を思い出した。

「誰か…、誰か家族の人とか近くにいませんか?」

「今呼んでいるから、もう少し待っててね。」

女性の声だ。

看護師だろうか。直ぐに足音が複数聞こえ、誰かが俺のことを呼んでいた。


「光司!」

母さんの声だ。

「大丈夫!?体は痛くない?」

心配していることが声から分かる。

「大丈夫。見えない以外は問題ないよ。ちょっと慣れなくて吐いちゃったけど。」

「ちゃんとフォローしてやってください!」

少し離れたとこから聞こえた母さんの声は、きっと医者に文句を言ったに違いない。


「光司…。」

今度は…、瞳ちゃんの声がした。

来てくれたことが嬉しかったし…、今日も生きていたことに安堵した。

もちろん病気の事が気になった。

神様は願いを聞いてくれたのだろうか…。


「瞳、体調はどう?」

俺は恐る恐る聞いた。

高賀神社の丸石から聞こえた声は、俺の目と交換で彼女の心臓を治してくれると言ったからだ。

「光司のお陰で、今は心臓が治ってる。」

「良かった…。」

俺は心の底から安堵した。

俺の目は無駄にならずにすんだんだ。

本当に良かった…。


「じゃぁ、ずっと一緒にいられるね。」

その言葉の後、無言の間があった。

「でもね、この心臓はね…。やっぱり返すことにしたの。」


!?


「駄目だよ!折角治ったのに!!絶対に駄目だよ!!!」

俺は叫んだ。

神様への祈りが通じたんだ。

こんなこと2度もない。

絶対にない。

本当ならもうすぐ瞳は死んでいたんだ。

それが助かった。こんな奇跡…、2度とあるもんか…。


「奇跡は2度と起きない。だから…、俺は…、目を捧げても、最悪命を捧げてもいいって思っていたのに…。」


ウワァァッァァァァァァァァァァァアアァァァァァァ!!!!


目を失ってまで助けた瞳に裏切られた気がした。

俺の行為は無駄だったのかと、一気にドス黒い恐怖が全身を覆った。

「光司!落ち着いて!」

彼女の声が遠くなっていく。

体が恐怖を振り払おうと無意識に暴れる。

直後、肩や手足を押さえられた。


絶望が体を包む。

やりきれない気持ちがはち切れそうになった。

その時、左手が温かくなる。

手だ。

誰かの手が俺の左手を握っている。


「光司…。私の話をちゃんと聞いて欲しいの…。」

瞳の声だけが俺の真っ暗闇の脳裏に聞こえた。

凄く遠くで医者や看護師の声が聞こえている。

俺は暴れるのを抑えることができた。

ゆっくりと絶望や恐怖が安らいでいく。


「どうか、ちょっとだけ二人だけにしてください。」

瞳の提案だった。

医者は鎮静剤だの騒いでいたが、母さんが無理やり病室の外へ連れ出しているようだ。

部屋は静かになり、扉がしまる音が聞こえた。

何を言っているかは聞き取れないが母さんが門番をしている様子が雰囲気で伝わった。


瞳は両方の掌で俺の左手を包んでいる。

「光司…、あのね、私は光司の描く素敵な絵が好きだし、その絵を生み出す光司も好き。もちろん、絵が描けなくなっても優しい光司が好き。」

「う…、うん。俺はその気持に応えたいと思った。可愛くて笑顔が素敵な瞳が好き。だから絵が描けなくなってもいいから病気が治るように交渉したんだ…。」

「その気持は凄く感謝しているよ。だけどね、光司から絵を奪ってまで生きたくないの。」

「でも、もう返ってこないと想うよ。あんなこと…、2度も起きない。」

「12年後、神様はもう一度現れるって言ったの。だから、その時に私の心臓を返してもらって、そして光司の目も返してもらえるようにお願いする。」

「でも…、でも、それじゃぁ…。」


瞳が死んじゃう。

「今ね、主治医だった先生と話をしているのだけれど、私の病気は海外では治療が何回も成功していて、近々日本でも手術が出来るようになるって。だから…。」

「そんなの駄目だよ!もしも手術が失敗したら…。そんな予想だらけの事なんてしちゃ駄目だよ…。俺は目が見えなくたっていい。瞳に生きてて欲しいんだ。」

彼女は俺の左手をギュッと握る。


自分の手の上を、何か温かい物が流れている。

「ありがとう…。」

涙だった。

瞳は俺の気持ちが嬉しかったのだろう。

これは本心だし、その為に今、こうして目が見えない状況になっている。


「光司がそこまで心配してくれていて嬉しい。でも、これだけは理解して欲しいの。私も光司が心配してくれてるのと同じぐらい心配している。それに、私は光司に絵を描いて欲しいの。それこそ、この命と引き換えにしてでも!」

力強い彼女の言葉は、揺るぎない信念も感じた。


俺は言い返そうとしたが、やめた。

水掛け論になってしまう。

「ありがとう。でも、どんなことでも命には変えられない。そう、俺は思っているよ。今は不安だけど、早く慣れるよう頑張るよ。だから瞳は、今まで我慢していたことを思いっきりやって欲しい。全力でね。」

「あぁ…。」

彼女は声を出して泣いていた。


「なら、光司が言うように、私のやりたいことを全力でやる!」

泣きながらだけど、ハッキリとそう答えた。

「光司の目を取り戻して、そして私の病気の手術も成功するように全力で頑張る!」

「瞳!」

俺は苛立ってきていた。

見えない分、瞳が瞳でなくなってきているようにさえ勘違いしそうだ。


そんな時、ベッドが一瞬軋むと体が温かい物に包まれた。

彼女が抱きついてきたようだ。

俺は急なことに苛立ちを忘れ動揺した。

そして俺の左頬に温かみを感じる。

彼女の頬だと直ぐにわかった。

その頬は濡れていて、ボロボロと泣いていたことを伺わせる。


頭をギュッと腕で包まれる。

瞳の匂いがした。

不安も絶望も恐怖も怒りも悲しみも何もかも忘れていた。

ただただ、彼女を感じる情報を貪った。

そして少しずつ安らいでいった。


「どうなるかは…、私にもまだ分からないの。努力するって言ったって具体的なことなんて何も決まってない。だけど信じて欲しいの…。絶対に光司に光を取り戻してみせる。色んな色を見せてあげるって…。」

話している間にも、次々と涙が溢れては零れていた。

「わかったよ…。だけど、無理だと思ったら、俺の言うように返すことは諦めて欲しい…。」

「うん、約束する。だから…、私が諦めたって言うまでは、絵を描くことを絶対に諦めないで…。絶対に…。絶対にだよ…。」

「うん…。」

そして顔が離れた。

次の瞬間、唇に柔らかくて温かい物が触れた。


二人が交わした、誓いの口づけだと思った。

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