第18話
車内は会話も少なく、朝日が眩しくなりつつある道を走っていた。
おじいちゃんも元気がない。
というか、疲れきっているようにも見える。
光司の家の前で、私と光司のお母さんと主治医の山岡先生が降りる。
おじいちゃんは高賀神社には行かないと言ったから、ここで車と運転手が交代する。
光司のお母さんは軽自動車を出し、助手席に山岡先生、右後部座席に私が座る。
ゆっくりと、更に細くなった道を進む。
周囲はすっかり明るくなり、夏の気配が少しずつ強まってきた。
「のどかで良いところですなぁ~。今度は友達でも連れてキャンプでもしに来ます。」
先生はそんなことを独り言のように言っていた。
神社に着くと、私は昨日の夜のことを思い出した。
知らないうちに足が震えている。
妖怪さるとらへびの
いつもは魚や肉を食べている私達が、逆に食べられるという非現実的なことが突然おこっていて、それを思い出しては嫌な汗をかいている。
車を駐車場で止めて、先生には簡単にさるとらへびにまつわる話をした。
境内から銅像、そして坂を上がり小さな祠の前で止まる。
多分、先生はもっと立派な祠を想像していたかも。
そんな表情を隠してはいなかった。
私は持ってきたハサミを光司のお母さんに渡す。
「本当にいいの?会えないかもしれないのでしょ?」
「バッサリ切っちゃってください。」
昨日の夜、藤原の高光様に髪を切られ、肩よりもちょっと長かった髪は、今は肩よりも短くなっている。
これよりも短くなるとボーイッシュな髪型になる。
だけど、高光様は何かを捧げないと霊力を強められないと言っていた。
今は協力者がいないと何も出来ない自分がいる。
少しでも助けになるなら、少しでも光司の周りの人が納得して前進出来るなら、いずれ伸びてくる髪なんて切っても問題ない。
ジョキジョキと音を立てながら切られ、透明の袋に落ちていく私の髪。
鑑はないけど、多分光司ぐらいの髪の長さになっちゃったかも。
袋の中の髪を集めて、祠の前の平たい石の上に置く。
「藤原の高光様。今日は、どうしても教えて欲しいことがあって来ました。どうか少しだけ、お話させてください…。」
いざ祠の前にきて、髪を切ったまでは良かったが、どうお願いして良いか分かってなくて、頭に浮かんだ言葉を伝えた。
少しすると、フッと風が体を通り過ぎる。
「馬鹿モン!」
この場に居ないはずの男の声がする。
そして目の前の髪が一瞬で消えた。
それとほぼ同時に半透明の鎧武者が姿を現す。
彼は平たい石に腰掛けて足を組んでいた。
「年頃の若い娘が、命より大切な髪を粗末にするもんじゃぁないぞ!」
突然の説教にビックリ。
だけど、そんなことを言われるとは思ってなくてちょっと可笑しかった。
「笑い事ではないぞ。後ろの大人達もシッカリと咎めよ。」
「高光様って意外と古いこと言うのですね。」
私は何も考えずに答えてしまった。
「何を言う、ワシは元々古い人間よ。」
直ぐに気付いて、そうでした、ごめんなさいと答える。
「で、要件とは?時間はあまりないぞ。」
「後ろの二人が高光様に会いたいということで連れてきました。女性は昨日の少年の母親、男性は私の病気を診てくださった医者です。」
高光様は直ぐにピンときた。
「あぁ、なるほどな。昨日の妖怪絡みの話が信じられなかったのだろう。無理もない。今の世では妖怪も減り、このような事態もそうそうないじゃろうて。」
「光司の目は…、本当に取り戻せるのですね?」
光司のお母さんは耐え切れず質問した。
高光様はゆっくりと頷いた。
「しかし、勘違いされては困る。本命はさるとらへびの退治。これが成されなければ目がもどらぬばかりか、お前ら全員…、いやこの辺一体の村人が死ぬ。そこを履き違えるな。」
高光様は、常に村の平和を考えている。
「何せ相手は手強い。しかも前よりも力を得てしもうた。最悪相打ちという結果も覚悟しておけ。」
相打ち…。
それは高光様の消滅を意味し、それと同時に光司の目が戻らないことも意味する。
お母さんは緊張した面持ちで頷いた。
「瞳ちゃんの病気、昔はこのような方法で治していたのですか?」
今度は先生が質問した。
「うむ。高名な巫女は、術式により治療をした。ワシも立ち会ったことがある。が、これは異例中の異例。今回も8月15日でなければ成功しなかったし、以前に見ていたからこそ何とかなったが、見たことも聞いたこともなかったならば、成功していたかどうかは分からん。」
「今の人間でも可能ですか?」
「無理じゃろ。」
即答だった。
「このような力は、今の世を見ている限り薄くなってきているように思える。太古より受け継がれた力も、血が薄まれば同じく薄まるようじゃ。」
先生は何故か安堵し、納得しているようだった。
「最後に私に質問させてください。」
高光様は私の事をまっすぐに見据えた。
彼の目は純粋で吸い込まれそうだ。
「私はこれからどうすれば良いか、具体的なことが見えていません。」
「無理もない。そなたはまだまだ若い。後ろの大人達が導くのが一番じゃと思うが?」
「高光様もおっしゃったように、このような事は起きない世の中なのです。」
彼は少し間を置く。
「なるほど…。それもそうじゃな。では、何が必要と考えたか?」
「知恵と力と勇気…。私にはこれが足りないと思っています。」
高光様は私の回答にちょっと満足しているようだった。
「いつの世も、その三点は必要不可欠じゃな。まずは知恵、敵を知り、己を知ることから始めよ。そしワシが想像するに、目を失った少年の専門的な手助けも必要となるであろう。」
昨日の夜にも出た意見だった。
精神的ショックは計り知れないと皆が思っていた。
「決戦の時を想像せよ。そして何が足りないか、何について知っておくべきか、学んでいくうちに見えるであろう。」
分かりやすい言葉だった。
「次に力。これはまさしく妖怪と戦うための力を指す。剣術を磨き、心技体を鍛えよ。お主に巫女の血が流れおるとはいえ、今から巫女の術を覚えようとしても間に合わぬ。この世に巫女はいないかもしれないからの。一から術を完成させられるほどの環境もあるまいて。」
「はい。その通りだと思います。」
力についてはおおよその検討はついていた。
だけど、今まで体を使わない様にしてきた反動が大きい。
今直ぐにでも始められるが、先は長いと感じた。
「最後に勇気。これが一番重要じゃが、一番難題じゃ。知恵や力は鍛錬の成果が見え易い故、途中で振り返ることも出来るじゃろう。それにより長所を伸ばし短所を埋めることも出来る。だが、勇気は見えないし実感もないだろう。勇気だと思ったら空元気だった何てことはよくある話じゃろうて。」
そう、今の気持ちの維持は、12年という月日の長さを考えると簡単ではないと思っている。
「だけど…。だけど私は光司を助けたいって願っています。本当ならば妖怪退治が目的なのも分かっています。でも私はそれだけじゃ駄目なんです。彼から目を…、大好きだった絵を奪ってまで生き延びようとは思っていませんから!」
彼は真剣な眼差しで私を見下ろしている。
「瞳殿は良い目をする。ワシはお主に賭けておるが、信用もしておる。だが、これだけは言っておく。12年経てば彼の気持ちにも変化があるということを。」
「それでもいいのです、高光様。私は彼に絵を描いて欲しいのです。彼の絵は、私の寿命を伸ばしてくれるほどの力がありました。凄く素敵で感動的な絵なのです。そんな絵を描く光司が大好きなんです。遠くからでも、彼の描く絵が見れるなら、私は満足なのです。」
大粒の涙が零れた。
その涙は地面に落ちず、空中で止まる。
ハッと気付き高光様を見ると、彼は石から降りてその涙を手の平ですくい上げる。
そしておもむろに口に持っていき飲む素振りを見せた。
体が一瞬光り周囲を照らす。
「お主の決意。しかと受け取った。巫女の意思ある涙は、万人の力となる。今のたった一滴で、今消耗した力を補うことが出来た。」
そして姿が消える。
「12年…。そなたは苦難の道を選んだ。立ち止まるでないぞ。後ろの大人達も支えてやるのじゃ。現代の巫女を…。」
その言葉を最後に声も消えた。
それと同時に光司のお母さんは膝をついて、そして座り込んだ。
「緊張した…。」
その言葉とおり疲れ切っているようだった。
先生は頭を掻いている。
「いやー。怒られちゃいましたね。」
お母さんも苦笑いだ。
「そうね、私達大人がしっかりしないと。」
そして三人は下山し、再び光司の元へと戻っていった。
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