第9話
次の日も晴れて暑かった。
お昼御飯はこれから行く、廃校になった
私達は水筒だけ持って出かけることにした。
新高賀橋を渡り、旧洞戸北小学校、通称北小へと向かう。
橋の下では麦わら帽子を被ったおじさんが釣りをしていた。
「父さーん!釣れたー?」
隣で歩く彼も気付き大きな声を上げた。
光司君のお父さんは、上を見上げ軽く手を挙げるとVサインを送る。その時タイミング良く魚がかかり釣りに熱中し始まった。
「鮎!ごちそうさまでした!」
私も叫ぶ。
「ああなったら誰の声も聞こえないよ。魚としか会話しないんだ。」
そう言いながら呆れていたけど、あぁ、親子なんだなぁって思った。
光司君の場合は気付いてくれるけど。
橋を渡り左に曲がる。数軒先に彼の家があった。
「昨日のお礼がしたいから顔を出してもいい?」
彼に尋ねる。光司君のお母さんとは顔を見ただけでたいして話もできなかったの。
是非、色々とお礼をしたいと思っていた。
大切な宝物を見せてもらったしね。
家の前に差し掛かると、彼のお母さんは道路の反対側にある車庫の方で洗濯物を干していた。
「昨日はありがとうございました。」
「あら、まぁ、そんなの気にしなくていいのよ。」
光司君のお母さんはニコニコしていて、何だかとても嬉しそう。
「なんか良いことでもあったの?」
彼が代わりに聞いてくれた。
「絵しか興味のなかった光司が女の子と歩いてるなんて夢のようだわ。」
彼は聞かなきゃ良かったといった顔をしていて、なんだか可笑しかった。
「今日は北小行ってくるよ。」
「気を付けてね。それと…。」
彼女が私の方を向いて、
「光司のこと、宜しくお願いします。」
そう言って冗談っぽく笑っていた。
「でも、ファン第1号の座は譲らないからね。」
そんなことも言ってて、とても気恥ずかしかった。
ちょっとだけ待ってて、と言い残し急いで道路を渡り家に入ると、手に何かを持って直ぐに戻ってくる。
手には最近ではあまり見られなくなった、フィルム式のインスタントカメラがあった。
お母さんは私を左腕で手繰り寄せ光司君に近寄り、右手で高く持ち上げたカメラを私達3人に向ける。
「はーい、撮るよー。」
パシャリ
直ぐに手元にカメラを引き寄せ、ギーコギーコギーコとフィルムを巻く。
「フフフ、初彼女記念…。うふふ…。」
お母さんはいつも明るく前向きで真っ直ぐで素敵な女性。
私も、こんな風になりたかったなぁ…。
そして彼女もまた、私を一人の人間として扱ってくれている。
病気のことも関係なく。
それがとても嬉しかった。
だけど、今撮った写真を見ることが出来ない人物が一人いる…。
俺は彼女を連れて北小前にある結構急なスロープをゆっくりと登っていく。
旧北小にはこの道か、裏手から、人だけが通れる足場の悪い道を上がってくるしかない。
そっちの坂下には交番があり、駐在さんはいつも暇そうに昼寝してるか、「川に居ます」って看板を立てて釣りをしている。父さんとはいい釣り仲間だ。
今通っている道は車も通れるように整備されてるし、急勾配だけど距離が短いからこっちを選んだ。
少しずつ少しずつゆっくりと登っていく。
途中振り向くと、道路の向こう側には板取川が静かに流れていて、今はほとんど使われていない旧高賀橋が見える。
旧高賀橋は橋の幅が狭くて、車がすれ違えない。だから新高賀橋が作られて今は使われていない。
この景色をおばあちゃんや父さんも見たんだなぁって思ったりもした。20mほどのスロープを10分ぐらいかけて登った。
登り切ると、まず小さなグラウンドが目に入る。
正面には木造2階建ての、壁が白で塗られた古い建物、左手には小さめの体育館。旧校舎と体育館の間の、車が1台通れるぐらいの空間には屋根がかけられている。
グラウンドの周囲にはブランコやサッカーゴール、鉄棒やうんていなんかもある。
ここまで設備が整っていると、宿というより学校と言われた方が違和感がないよ。
廃校の校舎を再利用しているのだから当たり前なのだけど、こうした遊具なんかも残しているのが面白かった。まぁ、撤去するにもお金がかかるからってのが本当の理由らしい。
彼女も同じように学校みたいって感想を言っていた。俺は何度も見ているのだけども、未だにそう思う。
正面入口から中に入る。下駄箱がお客さん用の靴入れとなっている。建物の中はひんやりとした空気が漂っていた。
靴を脱ぎ緑色の大人用のスリッパに履き替えて、建物の中心を走る廊下を左に曲がる。
右に曲がると宿や改装されて出来た浴室などがあり、玄関から真っ直ぐ奥に進むと階段で2階の客室へ、階段脇の廊下を進み旧校舎を抜けると短い渡り廊下があり、その先には旧給食センター、今は屋内調理室としてお客さんが使っても良いし、依頼された白井おばさんが料理を作ったりする場所にもなっている。隣に立つ旧工作室が食堂としても使えるようになっていた。
左に曲がった先の右手は旧放送室や倉庫になっていて、左手には目的の旧職員室、今は管理人室になっている部屋があった。
ガラガラガラガラッ
少し立て付けの悪い引き戸を開けると、中には机と見ただけで暑くなりそうなストーブが置いてあって、煙突が窓の一部より外へ突き出している。
机には初老のおばさんがテレビを見ながらお茶をすすっていた。
「遅かったね。」
そう言っているのは、源爺から連絡を受けて待っていた白井おばさんだ。まぁ、肌の色はどちらかといと黒いけど。
「今日はどこで描くんだい?」
小さめの冷蔵庫から、麦茶を作っている透明のプラスチックケースを取出し、蓋を開けて二つのコップに注いでくれている。
どうぞ、と言われて遠慮なくいただく。
「あなたが源五郎さんとこのお孫さんだね。」
「はい。お世話になります。」
そう彼女が言うとニコニコしながらウンウンと頷いている。
「言われてみれば梅さんの若いころの面影があるね。」
そんなことも言っていた。
梅婆さんは若いころは綺麗だと評判で、源爺は何度も玉砕しながらも結婚までこぎつけた、なんて話を面白おかしくしてくれた。
「今日のお客さんは犬を連れたおじさんが一人だけだけど、見かけたら粗相のないようにな。」
「うん、分かった。グラウンドのどこかで、この校舎を描いてるね。」
「はいよ。蛇に気を付けなよー。」
再びグラウンドに出ると、日差しも強く暑かった。日陰を探す。
「あの桜の木の下にしよう。」
そう言って瞳ちゃんを連れていく。ジャングルジムと砂場の間にある桜の木は、今は緑色の葉で覆われているけど、春には綺麗な桜を咲かせているよと説明した。
「時々毛虫が落ちてくるから、見つけたら言ってね。」
と言いながら、既に落ちて地面を這う毛虫を指さした。見せておくことにより、急に見つけた時にビックリしないようにしたつもりだが、案外彼女は気にしてなかった。木の棒でツンツンと突いてたりしていた。
「触るとかぶれて酷い痒みが出るのもいるから気を付けてね。」
そう言って俺は絵に集中し始めた。
日陰から覗く旧校舎は、色んな子供たちを見て今も建っている。もしかしたら俺も通っていたかもしれない校舎。もしかしたら瞳ちゃんと通っていたかもしれない校舎。そう考えると不思議な気持ちに包まれた。
そっか、瞳ちゃんと幼馴染になっていた可能性もあったんだ。
でも、もしも幼馴染だったなら、今の状況に耐えられなかったかもしれない。
今でも胸が張り裂けそうなのに…。
いやいや…、俺が何とかするんだ…。
でもそんな奇跡みたいなことが…。
駄目だ、負けちゃ駄目だ、自分に負けちゃ駄目だ…。
鉛筆を止める。急に邪念が入ってきて筆が進まない。隣で無邪気に笑う瞳ちゃんを見る。
どこからやってきたのか、柴犬がそこにはいた。ハッと思いたち、スケッチブックを1枚めくり直ぐに犬と戯れるしゃがんだ姿の瞳ちゃんを描いた。
「ほぉ。やっと見つけたかな。」
突然、聞いたことのない男の声がする。これが白井おばさんが言っていたお客さんかなと思ったが、手が止められずひたすら描き込んでいく。
最後に犬の毛並みを丁寧に描き少し絵を離して見る。犬以外はほぼ満足の行く感じでかけた。
何故だろう?犬はリアルで丁寧に描いたのに、ちっとも気に入らない。どちらかというと、自分で描いておきながら、彼女の笑顔が無邪気で可愛いと思ってしまった。
「あぁ、なるほどね。」
お客さんは黙って俺が絵を描き終えるまで待っていたみたい。
「君が、安藤 光司君だね。」
突然名前を呼ばれびっくりして見上げた。瞳ちゃんも驚いて見上げたいた。
そこにはいかにも登山をするような格好をした、ダサいメガネをかけた年のいった男が立っていた。
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