第2話

「おぉ、光司こうじか。」

少女の後ろから現れた源爺げんじいはいつもよりニコニコしていた。少女は不安げに彼を見上げる。

「こいつは近所に住む光司。確かお前と同い年だ。」

俺は、突然の出来事にどうして良いか分からず、ただただビックリしていたがハッと我に返った。

「あ、あの、安藤あんどう 光司こうじです。」


帽子を取って軽くお辞儀した。源爺の家は昔ながらの造りで、居間と玄関の段差が高い。少女は玄関である土間へ降りてサンダルに足を通すと俺の前に立った。

長屋ながや ひとみです。」

消え入りそうな声で軽くお辞儀してきた。


「ワシの孫でな。どうだぁ?可愛くてビックリしたかぁ?」

ニヤニヤしながら俺の反応を楽しんでいるように見える。ほんと、こういうところは糞ジジイだと思う。そんなの返事に困るに決まっているだろ…。そりゃぁ、まぁ、可愛いけどさ…。


彼女の身長は俺より少し低いかな。肌は色白で、同級生の女の子とは印象がかなり違う。

都会っぽいというか、そんな印象。髪は細めで肩より少し長くてストレート。全体的に線の細い感じのイメージだ。

「意地悪するんじゃありませんよ。」

源爺の後ろから曲がった腰で現れたのは、源爺の奥さんの梅婆うめばあさんだ。

助かったと思った。

何せ元気も暇も持て余す源爺を唯一止められる存在だからだ。


「瞳は暫くここに住むからね。仲良くしてやって。」

俺は梅婆さんに向かって軽く頷いた。でも、孫がいるというのも初めて聞いたし、てっきり夏休みの間だけ遊びに来たのかと思ったからびっくりした。

俺んちの隣の隣に住む太郎爺さんのところも、夏休みになると小学生の孫が時々遊びにくるからだ。

きっと同じように夏休みの間だけ遊びに来たのかと思ったよ。


「瞳、光司にこの辺を案内してもらいな。準備しておいで。」

梅婆さんに言われ静かに頷いた瞳ちゃんは、再び家の中に消えていった。代わりに源爺が土間へ降りてきて俺の近くに来ると、珍しく真剣な表情をしながら耳打ちしてきた。


「いいか、よく聞け。瞳は両親を交通事故で亡くして、岐阜市にいる親戚に育てられていたが、病気が見つかっちまってな。少しでも体に負担がかからないようにと田舎に引っ越してきた。今後はワシらが面倒を見る。」

つまり親の話はタブーなんだなぁとこの時は思った。

「だけどな、両親が死んじまったこともアレだが、病気の方が深刻だ。」

ごくりと生唾を飲み込んだ。

「あの子はもう長くねぇ。そのことは肝に銘じておけ。」


衝撃が走る。

折角天使に会えたというのに…。予想もしなかった突然の話に動揺で思考が巡らない。

「心臓の病気だ。手術は海外じゃないとできんが、そんな大金どこにもねぇ。いいか、心臓に負担になるようなことはさせるなよ。走るのも駄目、長く歩くのも駄目、熱すぎるのも寒すぎるのも駄目だ。いいか、わかったか?様子がおかしくなったら直ぐにワシを呼べ。」

俺は二度頷く。


「手術しないとどうなるの?」

俺も小声で聞く。

「秋まで持つかどうか…。」

源爺は今まで見たことのない寂しい顔をしていた。

心のどこかでいつもの冗談かと思っていたが、それも否定されてしまった。


家の奥より足音が聞こえてくる。瞳ちゃんが戻ってきたようだ。

俺は激しい動悸と動揺で目が回りそうだったが、大きく深呼吸して何とか落ち着こうとした。

「わかったよ、源爺。絵の具持っていくね。」

そう言って土間の隅に置いてあるボロボロの手提げ袋を手に取る。

この袋は梅婆さんの手作りだ。この中には予備の水性の絵の具セットと、手で回すタイプの箱型の鉛筆削りが入っている。


大きめの麦わら帽子と肩紐のある赤色の水筒を手に瞳ちゃんが戻ってきた。

「…。」

ちょこんと土間に降りてきてから、どうして良いのかわからない瞳ちゃんが、初々しくて、ちょっと可愛らしかった。

「さぁ、行こう!」

俺は色々な不安を抱えながらも彼女の手を取った。一瞬驚いた顔をして、何かを言いたげだったけど、そのまま強引に外に連れ出した。

「源爺!そこの川にいるね!」


そう言い残して家を出る。

道路の行き止まりからスロープ状になっている砂利道をゆっくり下る。

暫く整備もしてないせいか、デコボコが激しく足元は悪い。俺は瞳ちゃんの様子を見ながらゆっくりと進んだ。


握っている手はとても温かい。その手は徐々に俺の手を強く握る。時々足元を取られるからだ。

河川敷へと到着する。だが、ここからも足元には注意だ。

上流より流れてきた石達は角が丸くなっている物が多く、昔からそこにあるようで実はとても不安定な物が多い。

特に一個だけ、いかにも後から持ってきて置かれたような石には注意が必要だ。雨で増水した時に流れ着いた石の可能性が高いからだ。


その場合しっかりと固定されておらず、うっかり足を掛けると崩れたり、転がったりして、石と一緒にひっくり返ってしまう。

「その石は乗っちゃダメだよ。」

「うん…。」


彼女をエスコートしながら、ゆっくりと川へ近づく。

冷たい川の上を撫でた風がひんやりとしていて気持ちいい。水の流れる音と、鳥や蝉の鳴き声以外は何も聞こえない。そもそも車の通りも少ないし、人も居ない。

握っている俺の手に、時折グッと力が入っているのが分かる。恐らく川岸を歩くのは初めてだったのだろう。慣れてなくて足元を取られる度に転ばないよう俺の手を強く握っていた。


俺達はようやく川辺へと到着する。

大きめの石に腰掛けると、瞳ちゃんにも座るようトントンとジェスチャーした。

彼女は素直に従ってくれた。

最初は突然手を握られ嫌がっていた彼女だったが、ここに来るまでには頼れる手になっていたのかもしれない。やっぱり頼られると嬉しいじゃん。


スカートを気にしながらゆっくり座る。俺は天使を自慢の川へ案内しているような錯覚に陥っていた。

「山と川しかないけど…。でも、滅多に見られないと思うけど、どうかな?」

瞳ちゃんは麦わら帽子を抑えながら、川底まで見える川を見てから、ゆっくりと空を見上げて自分を囲む山々を見渡した。

「す…、凄い…。」

彼女の素直な感想のようだ。


初めて見る、大自然に囲まれた状況に感動しているようだった。目の前にある新高賀橋以外、人工物はほとんど見えない。

そんな彼女を見守りながら、スケッチブックをめくる。空白のページを見つけると膝の上に置いた。

手提げ袋から手動の鉛筆削りを取り出してグルグル回す。ガリガリと鉛筆の削れる音でチラッとこちらを見た瞳ちゃんだったが、直ぐに高く跳ぶ鳥を見つめていた。


「あれは鷹なの?」

「うーんと…、鳶かな。鷹は滅多に見られないけど、もっと山深い飛騨ひだ高山たかやまの方なら見られるらしいよ。」

母さんは高山たかやま神岡かみおかの出身だ。時々遊びに行くことがあるけど、その道中で鷹らしき大きな鳥を一度だけ見かけたことがある。いや、もしかしたら鷲だったかも知れない。


瞳ちゃんも、鷹とか鷲とかに拘っている訳ではなくて、単純に都会では見られない大きな鳥に出会えたことを喜んでいるのだと思う。

そんなことを考えながらも目の前の景色と、今自分がいる状況を脳裏に焼き付ける。

そして一心不乱に鉛筆を動かし始めた。


その姿に、瞳ちゃんは初めて見る大自然よりも目を奪われていった。

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