ヒロインの掟
ヒロインの掟というものがある。僕はそれを、ほとんど鉄則のようにして信じている者だ。
例えば雨が降り出したとき。ヒロインたるもの最初の雨粒は鼻の頭で、もしくはおでこで受けるべし。
そして「あっ☆」とか「つめたーい」とか言いつつ、瞬間的に目を瞑るべし。それが僕的ヒロイン条件というものなのだ。
なのに。
僕は、片手ですりすりと腰の辺りをさすりつつ「降ってきちゃったねえ」なんて言っているひばりさんの横顔を、ちらりと盗み見た。
背中まである黒髪。少し灰色がかった大きな瞳。すっとした鼻筋とやや薄めな唇。割と大きく胸元の開いたワンピースに、スミレ色の優しげなカーディガンを肩掛けしている。
うん。文句ない。
けど。
僕の視線はどうしても、ひばりさんの手元にすっと落ちる。
何故なんだ。
どうしてあなたは、そんな……。
「どうかした? 咲也くん」
「いえ」
ひばりさんは5ミリくらいだけ首をかしげ、そっかーという風でまた正面を向き、両手で持った紙パックの中身を一口含んだ。すごく美味しそうに微笑みながら、清酒“鬼ころし”を。
ぷはっ、とひばりさんはストローから唇を放し、上向き加減で目尻を下げる。雨宿りで駆け込んだこの東屋のベンチですら彼女には少し高めなようで、ぶらぶらと子供のように足を遊ばせている。
僕らはちょっと早いお花見をしていた。
というか、お花見をしているひばりさんを見つけて、話しかけて、ではせっかくですのでということで、同席させていただいた。
ひばりさんはずっと、僕にとっては近所のきれいなお姉さんぐらいの存在だった。挨拶くらいはしていたけれど、ちゃんとした会話はなかった。でも去年の秋にこの公園でばったり会って、それからはちょくちょく顔を合わせるようになった。
『えーと、お一人、なんですか?』
『あ、はいー。――ん、よかったら食べます? 塩辛』
『いえ、おかまいなく……』
『じゃあ、お酒は?』
『み、未成年ですので』
最初の会話は、確かそんなだった。
彼女は毎週ではないが結構な頻度で、休日の公園に一人でやってきては本当に心から幸せそうにお酒を嗜んでいた。
僕はいつしか、そんな彼女が心配だから、一人で酔っ払うなんて不用心だから、だからだから、と自分に言い聞かせ、休日のたびに公園を訪れるようになっていた。
こんなヒロイン、僕的にはちょっとナシなのに。降り始めのでっかい雨のひとしずくを腰なんかに受けて、「おうっ?!」とか言っちゃうような人なのに。
「咲也くん、咲也くん」
ぱたぱたと腕に感触。ひばりさんが僕を物思いから戻した。
「あのへん。きれい」
そう言って彼女は指さす。東屋の屋根と、咲き始めた桜の木々の間を。そこでは薄曇りの雲が途切れて、金色の光の糸が差し込み始めていた。
雨の音が優しくなっていく。
土の匂い。それと少し、“鬼ころし”の匂い。
「ねっ」
金色の梯子の色を瞳に映して、ひばりさんがにっこりする。
頭のてっぺんには、桜の花びらを一枚乗せて。
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