美食家

 目前に皿が置かれた。首の後ろが痙攣し、顎の肉が震えた。その他の動きは一切が不能となり、私は凝視した。それが最期の晩餐となるやもしれぬ、一品の料理を。


 皿は簡素な白無地であった。その上にスプーンが置かれている。スプーンが乗せているものはとろりとした白い小片だ。対照的な黒色のソースに浸っている。

「この品に名はありません」

 シェフを務める男が言う。若いが落ち着いた様子で、小憎らしいほどに気取りも気負いもない。いったいこいつは何人殺しているのだろう。そんな疑念が浮かんだが、問うことはしなかった。

「もしメニューに書くとしたら」シェフは朗らかな笑みを浮かべた。「トラフグの肝蒸し、イモガイ毒素とベラドンナ果実のボツリヌス熟成ソースがけ――ですかね」

 シェフの言葉の後には、それが面白くもないただの冗談であったかのように、沈黙が続いた。やがてかき消すように、数人の医療スタッフが機材を運び入れるガチャガチャという音がし始めた。振り向いてみたが、私にも正体が知れるようなものはベッドと心電図ぐらいのものだった。

「遺書は作りますか?」

 相変わらず気に障る笑みを浮かべたシェフへ、私は「いらん」とだけ答えた。軽んじられることには慣れていない。軽く横向けていた顔をテーブルへ向け直し、その一挙動でスプーンを掴むと、さすがに口元へ寄せてからは須臾しゅゆの迷いがありはしたが、目を閉じて、――食べた。


 馴染みのある白子のような食感、風味。ではあったがしかし、その尋常でない濃厚さに目を開かされた。これはなんという深い味わいだろう。致死量の数百倍の毒素を含んでいながら、この味はまさしく滋味。いや、これこそがひょっとすると毒素そのものの味なのか。肝に絡むソースはフルーティで甘酸っぱく、ミスマッチであろうと思われた過剰の果実感は意外にも、肝の味わいを鮮やかに浮き立たせている。熟成を進めた製法のせいなのか、このソース自体の味の奥深さも、飲み込むのが惜しいくらいだ。しかし、飲み込んでしまう。咀嚼し尽くし、すべての素材が絡まり合う中から止めどなく流れこむ味の奔流を貪った後は、どうしても喉ごしを味わいたくなる。そして鼻に抜ける芳香、口中に残される寂しさを帯びた後味まで……。


 飲み込んだ直後だった。堪らず呻き声をあげた。私はテーブルに突っ伏し、腹を中心にして暴れ狂う痙攣に為す術もなく翻弄された。

「したが」

 言い切ることはできなかった。舌が裏返っている。そう言いたかったのだ。

 錯覚だ、そう思おうとした。だがどういうわけか、私の舌は口中から消えていた。感覚の中では私の舌は、根本から逆に伸び、先端は副鼻腔内を通り抜け、頭蓋骨の空隙を這いまわり、脳膜をかき分けて、そして、辿り着いた場所を、脳を、ああ、私の舌が、したが、私の脳を、こんな、これは、ああ、こんな……!


 一時間後、容態を尋ねたシェフに、医師は安堵した笑みを見せた。

「臭いな。この豚、射精しやがって」

 シェフは忌々しげに吐き捨てた。

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