306.表情-Expressive-

1991年7月24日(水)PM:18:42 中央区人工迷宮地下三階


「敵対の意志はなさそうだけど。彼等との交渉と並行して進めるべきか?」


 無意識に、心の内を呟いていた有賀 侑子(アリガ ユウコ)。


「信じてみるのもいいんじゃないかい? 敵意は感じなかったしさ」


 ニヤニヤしながら歩いてきた村越 武蔓(ムラコシ ムツル)。

 彼女の言葉に、侑子は驚いた表情だ。


「心の声が駄々漏れだったよ? もうすぐ食事の時間だし、食べてから考えてもいいんじゃない?」


「そうだな。しかし、駄々漏れのうえに聞かれてたとか、恥ずかしいものがあるな」


 少しだけ顔を火照らせて、侑子は苦笑いだ。


「こんな場所に箱詰めなわけだしね。疲れるなって言う方が無茶さ」


 慈しむような眼差しで、侑子を見つめる武蔓。


「それで、柚の怪我は?」


「傷は浅かったから、激しい運動さえしなければ問題はないそうだ」


「そうか。とりあえず一安心だな」


「リンダーナさんが説得してくれたようで、クリスタルの破壊と下層への階段を封鎖しているアレの除去は許可してくれたそうだ。たぶん、後で本人が報告に来ると思うけどね。それじゃま、交代してくるわ」


「あぁ、頼むよ」


 武蔓が去った後、両手を組み、顎を乗せて思考に浸かる侑子。


「有賀三佐、難しい顔してますね」


 リンダーナと一緒に現れた野流間(ノルマ) ルシア。

 歩いてる間、二度顔を微かに歪めた。


「ルシアに三佐って呼ばれるのはやっぱり違和感があるね」


 苦笑いを浮かべた侑子。


「クリスタルの破壊は、彼等にも損害無く完了。階段を封鎖している魔法陣も破壊しました。今はファイクロンとシャイニャンが見張りについています」


「リンダーナさん、ありがとう」


「いえ、お気になさらず。それでは主もそろそろ目覚めているかと思いますので、報告してきます」


 侑子とルシアに一礼したリンダーナ。

 その場を離れて、上層への階段へ向かった。


「ルシア、怪我人なのに無理させてごめんね」


「気にしないの。この中で鑑定眼持っているの私しかいないんだしね。それでだけど、三十三名はスライマーナ、他四名はサピエマーナだった。更に細かい内訳と名前とかはこれに書いたけど」


 侑子に一枚のメモ紙を渡したルシア。


「どれも聞いた事ないわね。スライマーナは彼等だとして、サピエマーナ?」


「そう。サピエマーナ。魔眼で見た限りは、たぶん人間の事なんだと思うけど。鑑定眼と言ってもそこまで便利なものでもないから、断言は出来ないよ」


「そうなのね。ありがと。刃達も傷はたくさんあったけど、比較的軽症だって」


「そうなんだ。よかった。それじゃ、私も上で休んでる」


 侑子にウィンクしたルシア。

 若干動きが不自然だ。

 彼女を横目で見ている侑子。

 無線で何処かに連絡をいれた。


「ルシア、一人こっちに来るから、少し待ってね」


 しばらくして現れたのは、波野 漣(ナミノ サザナミ)。

 階段の一段目に座り込んでいるルシア。

 彼女を見て、漣は侑子の意図を理解した。


「漣、ルシアの補助をお願い。その後でいいから、この内容を伝えて欲しい」


 先程、ルシアが侑子に渡したメモ。

 一緒に、それとは別の用紙を彼女に渡す。

 漣はざっと内容を見て、彼女の意図を理解した。


「了解しました」


 侑子から二枚のメモを受け取った漣。

 綺麗に折り畳んでポケットにいれる。

 その上で、ルシアの元に向かった。


「ルシア、思ったより元気そうじゃない」


「そうかな? 激しく動くと地味に痛いんだけどね」


「ルシアをよろしくね」


 背後から聞こえて来た声。

 了解とでも言うかのように右手を上げた漣。

 ルシアに肩を貸して、階段を上り始めた。


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1991年7月25日(木)AM:0:11 中央区人工迷宮地下三階


「なるほど。お疲れ様でした」


 リンダーナからの状況の報告。

 一通り聞き終わった阿賀沢 迪(アガサワ ユズル)。

 彼女の最初の発言は、労いの言葉だった。


「いえ、主のご命令に従ったまでです」


「私はちょこっとだけで、暇だったー!」


 率直な感想を述べるシャイニャン。

 苦笑いのトルエシウンが、彼女を宥めている。


「ファイクロンが、地下四階から下層へ向かう階段前に陣取ってます」


「明後日までは現状の維持なんだっけ?」


「はい、そのつもりのようですね。下にいる者達への対応もあるでしょうから」


 リンダーナの言葉に、少しだけ考え込むよな表情の迪。


「でも、そのスライマーナとサピエマーナだっけ? あんなところで生きていこうとしてたの?」


 力が有り余っているシャイニャン。

 トルエシウンに連れられて、少し離れた所にいる。

 シャイニャンとトルエシウン。

 物凄い速度で殴り合っていた。


 じゃれてるつもりのシャイニャン。

 トルエシウンは面倒臭そうな表情。

 嫌そうに相手をしているだけだ。


「二人とも、じゃれ合うのはいいけど、暴れすぎないようにね」


 迪の大声に、大げさに頷くシャイニャン。

 トルエシウンは非常に気怠そうだ。


「私も深いところまでは聞いてませんが」


 彼女の言葉が終わった後、前置きをしたリンダーナ。

 彼女は話すべきか、一瞬迷った。


「とある宗教国家の弾圧が原因のようです。歪曲点を見つけたのは偶然のようでしたが」


 彼女の言葉に相槌を打った迪。

 椅子から立ち上がると歩き始める。

 物資が入れられているクーラーボックス。

 その中から紅茶の缶ジュースを取り出した。


「あなた達も何か飲む?」


 背後を振り返り、三人に問いかけた迪。


「果物のジュースー!」


 まるで媚を売っているかのようだ。

 お尻を振り振りしているシャイニャン。

 隣のトルエシウンはあいかわらず苦笑いだ。


「私はあればでいいですが、コーヒーでお願いします」


「いつぞや一緒に飲んだスパークリングワインでしたか?」


「あるわけないのだー!」


 シャイニャンの本気の突っ込み。

 綺麗に崩れ落ちたトルエシウン。


「・・・・・・スポーツドリンクで」


 痛みに耐えているのが、ありありとわかる声音だった。


「シャイニャン、突っ込みありがと。でも手加減しようか」


 勝ち誇った表情のシャイニャン。

 迪の言葉に、次の瞬間一瞬で表情が変わる。

 親に怒られた子供のように拗ねた顔になった。


 彼女を恨みがましい目で見るトルエシウン。

 リンダーナは心底疲れたような表情になっている。

 迪が本気で投げ寄越した缶ジュース。

 三人はそれでもあっさりと受け取った。


「それでリンダーナ、歪曲点をその宗教国家に発見されたらどうしようもないのではないの?」


 椅子に座ると、迪は紅茶を二口飲んだ。


「そこは時間との勝負だったのかもしれません。ただスライマーナはある程度、体内に物質を保管出来る様です。歪曲点を何度か往復し、必要なものを移動し終えた後は、クリスタルに障壁を何重にも展開して無効化していました。魔術に造詣の深い方がいるようです」


「そうなんだ。歪曲点を無効化して塞いだって事なのね」


「はい、その通りです」


「あ、でもまだ歪曲点と確定したわけじゃないんだった」


 再び立ち上がった迪。

 三人に、鉛筆と白紙の報告用フォーマット。

 その用紙を配った。


「やっぱり渡されるのか」


「何なのだー?」


「気持ちはわかるけど、よろしくね。リンダーナ、シャイニャンに書き方教えて上げてあげて」


「畏まりました」


 立ったまま缶紅茶を一口飲んだ迪。


「そういえば、あなた達、本当上で眠っててもいいのよ? その為の一日交代シフトなんだから」


「一週間ぐらいならば眠らなくても、活動にほとんど支障はありませんから」


「そうかもしれないけど。今後何があるかわからないし、休める時に休んだ方がいいんじゃないかな?」


「そんな事よりも、本当に明日、シャイニャン一人で警備させるつもりですか?」


「こいつお子ちゃまだからなぁ。うぐっ」


 トルエシウンの言葉に即座に反応した。

 再び突っ込みを入れたシャイニャン。


「ええ、そのつもりよ。三人が一人警護なのに、シャイニャンだけ違うのは不公平でしょ?」


 クーラーボックスまで再び歩いた迪。

 黒いパッケージの炭酸飲料の缶を取り出した。


「迪は何処いくのだー?」


「ファイクロンに話しを聞くのと、報告用のこれ渡すついでに、差し入れかな? ただ、警護してるよりは暇つぶしにもなるでしょ?」

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