294.琥珀-Amber-

1991年7月27日(土)PM:13:55 中央区精霊学園札幌校北中通


「ここを長い時間通行止めにしておくわけにはいかないからな」


 非常に落ち着いている古川 美咲(フルカワ ミサキ)。

 彼女の発言に青筋を立てるアルバトロス・小倉(オグラ)・バートマウス。


「て・てめぇら? 今の状況わかってんのか? この女の命は俺が握ってんだぞ? 学園でただの民間人が死亡だなんて、お前等にとっても致命的じゃねぇのか?」


「コワーイヨー。フルカワリジチョー、タスケテー」


 助けを求めるシャルロート・ 愛里星(アリア)・リュステンベーグ。

 明らかに棒読みになっている。


「愛里星、とてもとっても棒読みだぞ」


「エー? コワインデスー。タスケテクダサイヨー」


「だから棒読みだって言ってるだろ? シルヴァーニの術中に陥ってるとはいえ、こうも予想の通りになると拍子抜けだな」


 場違いにも肩を竦める古川。


「店の中で捕縛して欲しいと頼んだはずだけど。一応表口にも裏口にも人員を配置して正解だったか」


「えー、だって。店の中だとおいしいパンちゃん達が可哀想ですから」


 状況と余りのもかけ離れた二人の会話。

 怒りを通り越して困惑し始めた小倉。


「そもそも誰が民間人だって? 笑わせてくれるな」


「リジチョー、タースケーテーヨー」


「なんで私が棒読みの声のお前を助ける必要があるんだ? 自分で何とかしたらどうだ? 【Pugno iniquitate】」


 古川の言葉の最後。

 笑顔が一点膨れっ面になる愛里星。


「その呼び名嫌いなの知ってて言ってますね? いじわるだー」


 次の瞬間、小倉の視界が一変する。

 彼は何が起きたのか理解出来なかった。

 視界には、曇っている空と降りしきる雨の雫。

 濡れた栗髪の愛里星の顔も見える。


 突如体に走った激痛。

 ほんのり陥没した大地。

 体が減り込んでいると理解。

 数瞬して、ようやく彼は気付く。

 愛里星に投げられたらしいという現実。


 雨を弾く程の魔力に覆われた愛里星。

 彼女がただの民間人だと考えてた。

 それが間違いだと気付く小倉。

 だが、彼は些か以上に気付くのが遅すぎた。


「愛里星、殺すなよ」


 古川の言葉が聞こえると同時。

 愛里星の魔力により巨大化した拳。

 容赦なく小倉に叩きつけられた。


 一発、二発三発、四発五発六発。

 意識を喪失し、次の痛みで意識を覚醒させる。

 そしてまた意識を喪失させた。

 自分がどうなってしまっているのか考える暇もない。

 愛里星の拳が止まるまで繰り返された。


「シャルロート様の戦う姿は始めて見ましたが、これでもたぶん手加減したんですよね?」


「あぁ、そうだな。本気なら、小倉の体が道路に数メートル減り込むだけじゃすまないと思うぞ」


「再生するとは言え、いやさすがにあれは再生するんですか? 手足は拉げて潰れてるとしか思えませんけど。これどうやって連行しましょうかね・・。それにしても【Pugno iniquitate】ラテン語ですか? 暴虐の拳とかそんな意味でしょうか? 確かに暴虐ですね」


 古川とシルヴァーニ・オレーシャ・ダイェフの遣り取り。

 心外ですというような表情の愛里星。


「はぁ、やっぱり私って人を見る目ないのかな」


 愛里星の呟きに、答える者は誰もいなかった。


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1991年7月27日(土)PM:21:13 小樽市東雲町第十七アサンティビル地下四階


 独特の空気に彩られた空間。

 換気の音と生臭い匂い。

 微かな呻き声だけが響く部屋。


 椅子に動かないように固定された裸の小倉。

 その眼差しは未だに圧し折れていない。

 だが、苦悶の表情で汗まみれだ。


 彼と五メートル程離れた所の椅子。

 そこにスーツ姿で座っているシルヴァーニ。

 じっと手に持つ資料を見ている。

 立ち上がった彼は小倉の耳元で囁いた。


「簡単には死ねないからね。夜魔族(ボクタチ)は。だから素直に正直に吐いた方がいいと思うよ」


 椅子に戻ったシルヴァーニ。

 彼の両隣には女性が立っていた。

 黒一色の服を纏っている。

 シルヴァーニの次の指示を待っている状態だ。


 小倉の手の十本の指。

 爪部分の真ん中がどす黒い色に染まっている。

 足の指の先っぽは、拉げ潰れていた。


 手に持っていた資料を読み終わったシルヴァーニ。

 左に立っている女性に資料を渡した。

 資料を読み進めていく女性。

 徐々にその表情が怒りに染まっていった。

 その様は、今にも小倉に飛び掛りそうだ。


「先に資料を読み終えてね」


 シルヴァーニの言葉に、再び資料に目を戻す女性。

 読み終わると、もう一人の女性に資料を渡した。

 彼女が資料を見終わる。

 それまで、小倉の静かな呻き声だけが聞こえていた。


「一緒に追放された仲間が助けに来てくれるなんて希望を抱いたりしているのかな?」


 怒りに満ちた眼差しの女性と、冷徹な眼差しの女性。


「大事な急所(アレ)を可愛がってあげるといいよ。そうだね。後は片方の目だけ炙ってみるか」


 怒りに満ちた眼差しの女性。

 部屋中に並んでいる器具の中に向かう。

 そこから、小さなペンチを手に取った。

 ワニの装飾が施されている。

 挟む部分もギザギザとなっており、まるで歯のようだ。


 怒りのまま女性は、手に持つペンチを二度開閉。

 小倉の股間にゆっくりと近づけていく。

 彼女のしようとしている事を理解した小倉。

 その瞳が絶対的な恐怖に染まっていく。


 もう一人の女性は小倉の頭に触れる。

 恐怖に染まっている小倉の右目。

 瞼が閉じないように器具で固定した。

 その上で、手に持つナイフをゆっくりと近づけていった。

 ナイフの刃は赤く熱せやれている。

 直後、小倉の声にもならない叫びだけが、響き渡った。


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1991年7月27日(土)PM:22:01 小樽市東雲町第十七アサンティビル五階


 ゆったりしたソファで寛いでいる古川。

 テーブルを挟んで対面にも同じソファがある。

 そこにはシルヴァーニが座っていた。


 二つのワイングラス。

 テーブルの上で己の存在を主張していた。

 注がれた液体が琥珀色に輝いている。

 中央には年代を感じさせるワイン。

 他にも果物が高価な皿に並べられている。


「一九三六年製造のワインで、コクと甘味のある一品だそうです。私はワインには詳しくないので、受け売りですがね」


 ワイングラスから香る匂いを楽しむ。

 その後、シルヴァーニは一口飲んだ。


「なんか高そうな感じだな」


「どうなんでしょうかね? ヴィンテージワインというのでしょうけども」


 古川も香りを楽しんだ後、一口飲んだ。


「しかし、まさか短い間に二度も訪れる事になるなんてな。それも二度とも拷問姿を見なければならないとはな」


 苦笑いの古川。


「本当、ご足労かけて申し訳ありません。女王様(アルジ)からは最大限の持て成しをと承っております」


「それでわざわざワインに果物か」


「小樽ですし、海産物とも考えたのですが、時間が時間だけに準備出来るものが限られていましたので。本日はあるもので申し訳ない」


「いや、そんなつもりで言ったわけじゃないんだけどな。要人でもないのに余り好待遇なのも、むず痒いんだよ。あぁ、でもこの果物は茉祐子が喜びそうだ」


 一口、苺を食べた古川。


「是非、今度はその茉祐子様も一緒に遊びにいらしてくださいませ」


「そうだな。それもいいか。ただし拷問見学は無しにしてくれよ。ところで、一つ質問なんだが?」


「何でしょう?」


「ところどころにある表記は英語じゃなさそうだが、ラテン語か何かか?」


「はい。ラテン語表記のイボ語の一つになります」


 シルヴァーニの答えに首を傾げる古川。

 とりあえず一口ワインを飲んだ。


「まぁ、アフリカにはたくさんの言語があるのですが、一つとっても更に方言として細分化されましてね。イボ語だから何処でも必ず通じるわけではないんですよ」


「日本語にも北海道弁や津軽弁、大阪弁とかがあるようなものか?」


「そうですね。そう考えてもらって問題ないと思います。もっともアフリカの言語は二千以上、数え方次第では三千以上のようです。私も言語学者とか歴史学者とかではないので、これ以上突っ込まれると答えられませんがね」


「それじゃ、もう一つ。何故小樽に? そもそも第十七という事は他にもあるのか?」


「小樽なのは海の近くがいいという女王様(アルジ)の希望ですかね? 本当は函館が良かったようですが、有事の際に札幌から遠すぎると色々不便ですので」


 そこで喉を潤すように、ワインを口に含んだシルヴァーニ。

 嚥下すると再び話し始めた。


「二つ目の質問ですが、他にもありますよ。日本以外にもね。日本のは東京以外はほぼ女王様(アルジ)の我儘が発端ですかね」

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