292.電話-Phone-

1991年7月24日(水)PM:21:34 中央区月寒通


「あぁ、くそ。顎がまだいてぇ」


 パトカーに寄り掛かっている笠柿 大二郎(カサガキ ダイジロウ)。

 彼は何度も顎を摩った。


「いきなり一人で突っ走るからびっくりしましたよ。後を追ったら隣の建物の屋上で意識を失ってましたし」


「あぁ、悪かったよ。だからそんな冷たい目で見るなよ」


 普段の人の良さそうな柔らかい顔。

 そこからは想像できない。

 彼は厳しい表情になっていた。


「んまぁ、手加減されてなかったら、今頃死んでたんだろうけどよ。本当久しぶりに死を覚悟したぜ。でも何で建物の無い方へ俺を投げなかったんだろう」


「そんなの知るわけないじゃないですか? 本人に聞いて下さいよ」


 呆れたように、彼は肩を竦めた。


「あ、そうだ。屋上にこんなの落ちてましたよ」


 笠柿に提示したのは証拠品袋に入れられたブックマッチ。


「ほう? いや、何でお前が持ったままなんだ?」


 ミラーカと文字が記載されているブックマッチ。


「笠柿さんに見せておいた方がいいかなと思ったので」


「ミラーカね? 店の名前っぽいな」


「そうですね」


「あぁ、顎の痛みのせいか思考がまとまらねぇな」


「調べてみる価値はあるかもしれませんけど、明日にしましょうよ。笠柿さん、あそこに救急車も来てますから、軽症かもしれませんがちゃんと治療受けて下さいよ」


 証拠品袋に入れられたブックマッチ。

 手に持ちながら、彼はその場を離れた。

 立ち上がり、歩こうとして体に走った鈍い痛み。


 動けない程ではない。

 だが、今日は素直に従う事にしようと考える。

 笠柿は救急車の方へゆっくりと歩き始めた。


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1991年7月26日(金)AM:11:13 中央区精霊学園札幌校時計塔五階


「【紅血混沌(ブラッドケイオス)】か」


 溜息交じりに呟いた古川 美咲(フルカワ ミサキ)。

 彼女の顔は優れない。


「元のようですがね」


 訂正を促したシルヴァーニ・オレーシャ・ダイェフ。

 彼も厳しい表情だった。


「最悪は全面戦争も有り得るという事か?」


 今この場にいるのは四人。

 ソファに対面で座っている古川とシルヴァーニ。

 シルヴァーニの背後に直立している彼の部下が一人。

 受話器を手に会話しているファビオ・ベナビデス・クルス。

 何処かに何かを確認しているようだ。


「【紅血混沌(ブラッドケイオス)】は西アメリカを縄張りにしている夜魔族(ヤマゾク)だったな」


「古川様、その通りでございます」


 シルヴァーニの部下であるエレーナ・ア・ボボヌ。

 メイド服で直立姿勢のまま、微動だにする事なく答える。


「我々【神聖闇王朝(イエローズスコタビディナスティア)】が中央アフリカを根城にしており、生存地域が異なる事もあり、不可侵条約が結ばれております。また、一部の国に関しましては、干渉を禁じる約束もございます。これを破れば我々だけでなく、他の夜魔族(ヤマゾク)グループも敵に回しますし、何よりも我々は精霊庁と敵対関係に陥る事を恐れています。なので一部の暴走の可能性も考えられるかと」


 彼女の言葉にも、古川の表情は晴れない。


「確認が取れました」


 受話器を置いたファビオ。

 彼の言葉に、三人の視線が注がれた。


「まず元というのは間違いないようです。彼、いえ彼等はグループ毎追放されたようですね」


「彼等?」


 古川の疑問に、ファビオは言葉を続けた。


「はい、どうやら十名程の小さなグループのリーダーだった模様です。尤もグループとしての立場はかなり低かったようですが」


「古川様、追放という事は、少なくとも表向きは全面戦争という最悪のケースは回避されるものと思われます」


 少しだけ安堵した表情のシルヴァーニ。


「理事長、そもそもの浅村の証言が正しいという根拠はあるのですか?」


 ファビオの言葉に、少しだけ苦い顔をする古川。


「あぁ、間違いない。シルヴァーニが陣頭指揮した拷問の上で、カーススペルで完全に支配して吐かせてるからな」


「カーススペル?」


「ファビオ、呪言詠唱(ノロイノコトバ)は知っているな?」


「呪言術ですよね? 知識としては一応」


「あれの外国ヴァージョンとでも思えばいい。その中に相手を完全支配し人形(マリオネット)にするのがある。一度掛かってしまうと、本人の意思とは無関係に術者の命令には絶対に従ってしまうんだ」


「詠唱者と対象者の能力差にもよりますが、相手の精神を弱らせる必要があります」


「必要だとはわかってはいるが、拷問というのは何度見ても馴れるものじゃないがな」


 古川とシルヴァーニの答えに、なるほどと頷いたファビオ。


「一度掛かれば隠し事は何も出来ないという事なんですね」


「まぁ、そうゆう事だな」


「了解しました。それでは問題ありませんね」


 ファビオの言葉に一瞬首を捻る古川達。


「【紅血混沌(ブラッドケイオス)】側としても、追放したかつての同胞が問題を起こすのは見過ごせないようです。【神聖闇王朝(イエローズスコタビディナスティア)】と対処について早急に話し合うようですよ。その上で古川理事長にご連絡頂けるようなので、出来ればそれまでは待って欲しいとの事でした」


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1991年7月27日(土)PM:13:13 中央区精霊学園札幌校第一商業棟一階


「お電話ありがとうございます。ありあベーカリーです」


 レジの奥で電話を受けた淡桃髪の女性。

 奥でパン生地の出来上がりを確認している栗髪の女性。

 彼女に顔を向けた。


「愛里星店長、理事長の古川様よりお電話です」


 パンを捏ねている手。

 一度その手を止めたシャルロート・ 愛里星(アリア)・リュステンベーグ。

 怪訝な表情で首を傾げた。


「古川理事長から?」


「ええ。はい。何か頼み毎があるようです」


「そっか。ユーナちゃん、ありがと。悪いけど、生地(コレ)の確認、変わって貰っていいかな?」


「はい、わかりました」


 ユーナ・ダンゲロウズ・ロブ。

 彼女から受話器を受け取った愛里星。

 パンを並べてる青紫髪の女性に視線を向けた。


「ペリーラちゃん、悪いけど暫くレジお願い」


 愛里星の言葉に頷いたペリーラ・ラヴァンドラ。

 急いでパンを並べると、レジに戻った。


「お待たせして申し訳ありません。お電話変わりました。愛里星です」


 しばらく電話越しに、古川と会話を続けた愛里星。

 受話器を置くと、少しだけ思案。

 それぞれの仕事に励んでいるユーナ、ペリーラを見た。


「ユーナちゃん、それの窯入れ終わったら休憩いってきていいよ」


「あ、はい。わかりました」


 彼女の返事に頷いた愛里星。

 ペリーラはお客様の会計中だった。

 終わるタイミングをじっと待つ愛里星。


「ベリーラちゃんも休憩どうぞ」


「え? でも店長一人になっちゃうんじゃ?」


「詳しい事は後で話すけど、ちょっと頼まれてね。断れない理由もあったけど、しばらく店には私一人にして欲しいの」


「わ、わかりました」


 少しだけ、納得出来ない表情のベリーラ。

 だが、愛里星がレジ打ちを始めてしまった。

 その為、渋々休憩する事にする。

 裏口から店の外に出たベリーラ。

 ユーナが訝しげな表情で立っていた。


「ねぇ、ペリーラ。店長に何か言われた?」


 彼女の言葉に、首を縦に振るペリーラ。


「うん、意味わかんないけど、しばらく店に一人にして欲しいって」


「え? なにそれ? どうゆう事?」


「私に聞かれてもわからないわよ」


 店内で一人接客に勤しむ愛里星。


「ペリーラ、ユーナ、後免ね。二人がいると収拾つかなくなりそうだから」


 接客の合間に、囁く様に彼女はそう溢していた。

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