291.投擲-Throwing-

1991年7月24日(水)PM:18:15 中央区精霊学園札幌校時計塔五階


「その提案を受け入れる」


 シルヴァーニ・オレーシャ・ダイェフの提案。

 しばしどうするか考えた古川 美咲(フルカワ ミサキ)。

 彼女は結局受ける事にした。


「わかりました。少しお電話をお借りしても?」


「あぁ、構わないよ」


 立ち上がったシルヴァーニ。

 ソファーに座っているファビオ・ベナビデス・クルス。

 彼に並ぶように座った古川と黒神 元魅(クロカミ モトミ)。

 アティナ・カレン・アティスナに微笑んだ。


「それで元魅。記憶がないというのは?」


「おそらく魅了(チャーム)をされていたと思う。でも、浅村はうまく使いこなせていなかったんでしょうね。どうやら無意識化状態にするのが精々だったみたい。十六名については吸血された事すら気付いていないわ。二名についてはまだ眠っているはずだから、確認は取れてないけどね。十六名についても一応それとなく聞いてみるつもりだけど」


「そうか。わかった。頼む。しかし、思った以上に穴があるものだな。プライベートとパブリックの両立、難しいものだ」


「そうね。純粋な学園施設内については、プライバシーも考えて一切の監視をしてないというのが裏目に出た形かもね。ところで彼何語で話してるんだろう?」


「私が知るか?」


「どうやら騎士達を二分隊こちらに向かわせるようです」


 アティナの答えに、なるほどと納得顔の二人。


「たぶんシルヴァーニさんの部下なんでしょうね」


「その通りだね、アティナ。私の忠実な部下達を、搬送中の警護も兼ねて呼びました。車で三時間程で到着すると思いますが、問題なかったでしょうか?」


 一度受話器を耳から離したシルヴァーニ。


「あぁ、わかった。三時間後に受け渡しだな。正面の待機所には後で私が連絡しておくから、学園内に入るように伝えてくれ」


「畏まりました。お心遣い感謝いたします」


 再び電話に戻るシルヴァーニ。


「いろいろと対処しなければいけない事もあるが、彼の電話の後に、私が待機所に連絡したら夕飯でも食べにいこうじゃないか」


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1991年7月24日(水)PM:20:24 中央区月寒通


 黒髪に鋭い目付きの男が歩いている。

 半袖のポロシャツにジーパンという格好だ。

 背の高さと日本人離れした顔付き。

 その為、非常に目立つ。


 仕事帰りらしき会社員。

 観光らしく日本語以外で会話をしている一団。

 様々な人がごった返している。

 その中、彼はゆっくりと歩いていた。


 彼の視線の先には二人の男性。

 一人は男と同じかそれ以上の長身。

 もう一人は人の良さそうな柔らかい顔。


「確か、笠柿とかいう刑事だったな。ぶつかる事があればって言ってたが、食事ついでに今のうちに排除しておくか? 隣は誰だ? 情報にはないが、排除すれば問題ないだろうな」


 隣を向いている笠柿 大二郎(カサガキ ダイジロウ)。

 何かを話しかけ、隣の男性がそれに答えている。

 時折、厳しい視線を背後に向ける笠柿。

 しかし、一度も男を捉える事はなかった。


 角を曲がった笠柿達。

 男は急速に速度を上げると、突然その場から消失した。

 同時に消え去った大学生らしきカップル。

 我が目を疑うものは何人かいる。

 だ真相に辿り着けるものはその場にはいなかった。


「本当は朝まで呑み続けたい所だが、そうも言ってられないからな」


「勘弁して下さいよ。僕酒弱いんですから」


「わかってるよ。何度も一緒に飯食えば頭使うのが苦手な俺だって理解する。だから、切り上げただろ」


「折角の薄野(ススキノ)。オネエちゃんのいるお店にもいってみたいですよ」


「落ち着いたら連れてってやる。まぁ、酒の弱いお前が何処まで持つのかは疑問だが」


 何かが空を切る音にいち早く気付いた笠柿。

 彼等の前方、十メートル程先。

 拉げる音と共に赤が広がった。

 服装から男らしいというのはわかる。

 だが、頭は完全に砕けていた。

 血と脳漿に塗れて白い何かの破片が見える。


 突然の出来事に、周囲は静寂に包まれた。

 職業柄というのもあるだろう、最初に我に返ったのは笠柿。


「くそ、徒歩で来たのが裏目に出た」


 警察手帳を取り出した笠柿。

 周囲でフリーズしている人の群れ。

 自身の存在をアピールする。

 同時に、相棒にも指示を出した。

 落ちてきたであろう建物の屋上を見た笠柿。


「野郎が投げた? んな馬鹿な? くそ、現場の確保はまかせるぁぁぁ!」


 突然の出来事に冷静さを失いかけている。

 まるで挑発するかのように見られていると感じた笠柿。

 彼は激情に駆られると、恐怖心を押さえ込み走り出した。


 今の彼の耳には、背後からの声も聞こえていない。

 建物に入ると、直ぐにエレベーターの場所を探す。

 エレベーターは上階にあった。

 直ぐには下りて来ない事を即座に理解。

 まどろっこしく思いながらも、階段を駆け上がっていく。

 常識的に考えれば、屋上に辿り着く前に逃げられている。

 わかっていながらも、笠柿は止まれなかった。


 息を切らせながら辿り着いた屋上。

 一人の男が、ぎりぎりの所に立っている。

 大学生らしき女性を後ろから抱き締めていた。


 瞳から大粒の涙を溢している女性。

 呻きとも鳴き声ともわからぬ嗚咽を漏らしている。

 笠柿が口を開いて何か言う。

 その前に、男は女性の首筋に鋭く尖った犬歯を突きたてた。

 男の喉が飲み物を飲んでいるかのように蠢く。


 怒髪天を衝く勢いで、激情を爆発させた笠柿。

 真っ直ぐに男に向かって走り出した。

 彼の耳に届く奇妙な音。

 万力のように男に締め上げられている女性。

 彼女の骨が砕けていく音だと気付いた。

 だが時既に遅し、女性は意識を失う。

 口から血を吹き出していた。


 男が視界から消える。

 直感で右に半歩移動する笠柿。

 一撃目を躱す事には成功する。

 しかし、二撃目を喰らい、吹き飛ばされた。

 転がりながらも、何とか立ち上がった笠柿。

 そこでやっと殴られたんだと理解する。


「たかが人間が頑張るじゃないか」


 相手の言葉の意味を理解した。

 その瞬間、衝撃に体が浮いた笠柿。

 顎を蹴り上げられたのだ。

 クラクラする頭。

 立ち上がる事すらままならなくなった。

 顎の骨を蹴り砕かれていてもおかしくない激痛。


 男に首を掴まれ、まるでボールのように投げ飛ばされた。

 あぁ、俺死んだなこれ。

 笠柿の頭に浮かんできたのはそれだけだ。

 そして、衝撃と共に彼の意識は途絶える。


「所詮は只の人間か。少しでも期待したのが馬鹿みたいだ」


 男は階段をゆっくりと上がってくる足音に気付く。

 痙攣し始めている女性を一瞥。

 突如、足音に向けて男は加速した。

 開けっ放しだった扉を通過。

 階段を駆け下りようとする。


 まさにその瞬間、前方から飛んでくる飛来物。

 男は驚愕の表情になった。

 飛んで来た水の刃。

 ポロシャツの左胸ポケットを切り裂かれた。

 ぽろりとブックマッチが落ちる。

 他にも右の脇腹、左の太腿、右の前腕を切り裂いていった。


「ぐっ!? 能力者か?」


 狭い空間では不利と悟った男。

 急停止すると再び屋上に戻る。

 戦うか撤退するか一瞬迷った。

 だが、男は撤退を選んだ。

 屋上の裏通り側に全力で疾走し跳躍。

 男は闇の中へ消えていった。


 男が周囲の地形や状況をもっとしかり把握。

 活用していれば、結果はまた違ったはずだ。

 交番がすぐ近くに存在した事。

 笠柿達を良く知る同僚が通りかかったという偶然。

 その二つが偶然重なった。

 でなければ、すぐには彼はここに来れなかっただろう。


 屋上に到着し、焦った表情で周囲を見渡す。

 笠柿の姿は見つからない。

 不安な表情で、端ぎりぎりから彼は下を見つめる。

 自身が誤って落ちてしまわないようにも注意。

 フェンスにも注意しながら歩き出した。


 進んでいくも、先程笠柿といた場所。

 そこ以外には、おかしな点は何も見つけられない。

 視界にはとうとう、隣の建物がはいってきた。


 そして彼は求めていた相手を見つける。

 微動だにしない笠柿。

 身軽に隣の建物の屋上へ飛び、駆け寄った。

 不安な表情が一点して、安堵の顔に変わる。


「とりあえず呼吸はしてる。うん、生きてる。良かった」


 彼の心に去来する、笠柿との様々な思い出。

 ほとんどが仕事中か、会話を楽しみながら外食している。

 それだけの思い出だった。

 だが、それでも彼にとっては楽しい記憶だ。


「結局、俺はこの人を気に入っているって事か」


 自嘲気味に呟いた彼。

 その瞳は複雑な眼差しだ。

 じっと笠柿を見つめていた。

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