184.感謝-Gratitude-

1991年7月4日(木)PM:16:55 中央区精霊学園札幌校第一学生寮一階


「篠理さん、そこのテーブルしばし借りるけど、いいか?」


 掃除をしていた灰褐色の髪の女性。

 そう声をかけたのは三井 義彦(ミツイ ヨシヒコ)。

 彼の言葉に振り向いた女性。

 兎耳を忙しなく動かしている。


「いいですよ」


「ありがと。ところで家族はどうしてる?」


「はい、愉蛙魯さんも息子も娘達も来て良かったと言ってました。特に愉蛙魯さんは、事前にしてくれた種族の説明のおかげで、毎回魔術で変装する必要がなくなったって喜んでました。私達もこの耳を隠蔽する必要もなくなりましたしね。篠乃、篠智、篠波の三人も、学園生活が始まったばかりですけど、毎日楽しいみたいです」


「そうか。それは良かった」


 食堂の出入口で、うろうろしている二人の人物。

 二人は明らかに、義彦を見ている。

 彼女達の存在に、最初に気付いた季下 篠理(キカ ササリ)。


「はい。お約束の方が来たようですかね? それじゃ終わったら教えて下さい」


「わかった」


 立ち上がった義彦。

 うろうろしている二人に歩いていく。


「愛屡駄 琉早南(アイルダ ルサナ)ちゃん、朝はありがとな。隣が愛屡駄 莉早南(アイルダ リサナ)ちゃんかな?」


 頷く二人の幼女。

 同じ目線になるように、屈んだ義彦。


「悠斗ももう少ししたら来ると思うから、あそこで座って待ってようか」


 琉早南と莉早南が頷くのを確認した義彦。

 二人を先導して歩き、テーブルに座った。


「二人も座るといい」


「はい」


「お邪魔します」


 二人は赤褐色の髪。

 琉早南がロングヘアーで、莉早南がポニーテールだ。

 キャバリア・キングチャールズ・スパニエルの様な垂れ耳。

 赤褐色でパタパタさせている。


 土御門 鬼那(ツチミカド キナ)が歩いてくる。

 厨房側からトレーに飲み物を持って現れた。

 琉早南と莉早南にはオレンジジュース。

 義彦には、コーヒーだ。

 テーブルにはもう一人分コーヒーが置かれる。


「鬼那、悪いな」


「いえ、義彦様には動き回られても困ります」


「わかってる」


 苦笑しながら答えた義彦。


「それでは私はトレーを戻してから、委員会の仕事に向かいます」


「ほんと悪いな」


「ありがとうございます」


「お姉ちゃん、ありがとー」


 彼女達の言葉に、笑顔を返した鬼那。

 再び厨房の方へ歩いていった。

 入れ違いになるように現れた桐原 悠斗(キリハラ ユウト)。


「お? 来たな」


「義彦、一応来ましたけど」


「ありゃ、何だ?」


 義彦が視線を向けた先にいる一団。

 玄関の広場で食堂の中を覗いている。

 悠斗に逢わせたい人。

 それが誰なのか気になっていた中里 愛菜(ナカサト マナ)達だ。


「まぁいいか。ほっとこう」


 義彦が独り言を呟いている。

 その間、悠斗は立ったままだ。

 視界に入っている二人の人物を見ていた。

 一人は微笑んでいる。

 もう一人は少し恥ずかしそうにしていた。


「悠斗、座ったらどうだ? ついでにそれはお前のコーヒーな」


「あ? はい」


 義彦の言葉に、椅子に座った悠斗。


「悠斗、この二人覚えているか?」


「た・・たぶん。でも・・・?」


「二人とも、彼で間違いないかな?」


「はい」


「悠斗さんです」


 琉早南と莉早南の言葉に頷いた義彦。


「琉早南ちゃんと莉早南ちゃん・・だよね?」


 彼女達の、パタパタと世話しなく動いている垂れ耳。

 悠斗は、じっと凝視している。


「はい。御免なさい。あの時は隠蔽魔術で耳を隠していたんです。でも、迷子の私達の為に、ずっと一緒にいてくれてありがとうございました」


「悠斗さんが親身になってくれて嬉しかったです。だから自分達でもちゃんとお礼が言いたかったんです」


「二人を無事送り届けた後、悠斗はすぐに、その場からいなくなったらしいからな。彼女達の親御さんも、ちゃんとお礼がしたかったらしいけど、今日は辞退してもらった。後日にな」


「いやまさか。こんな場所でまた会うとは思わなかったな」


「声を掛けたかったらしいけど、いつも回りに誰かがいて掛け難かったらしい」


「でも何で義彦?」


「暫定風紀委員長ってのと、お前と一緒にいるのを見かけたからだな。琉早南ちゃんが勇気を振り絞って、俺に声を掛けてきたんだよ。悠斗と話しの出来る場をセッティングして欲しいってな」


「そうなんだ?」


「はい、三井さん、突然のお願いにも関わらず、こんなにも早くセッティングして頂いてありがとうございました」


「ございました」


「いいさ。それじゃ俺は、あそこで覗き見してるあいつ等に説明して来るから。説明が終わったら戻ってくるけど、それまでは三人で話ししてればいいと思うぞ」


「義彦、大丈夫なんです?」


「普通に歩いたりするには問題ないさ」


 二人の会話の意味がわからない。

 首を傾げる琉早南と莉早南。

 義彦が席を立った。


 その後、悠斗はしばしの間、歓談する。

 二人の幼女の微笑みを受けている彼。

 いろいろな質問に答える事になった。


-----------------------------------------


1991年7月4日(木)PM:17:21 中央区精霊学園札幌校第一学生寮一階


「もし、悠斗が迷子のあの二人を助けようとしなかったら、今ここにはいなかったかもしれないって事か。助けたからこそ、あいつは俺に遭遇して、結果的にここにいる。因果って奴かね?」


 琉早南と莉早南は既にこの場にはいない。

 両親に悠斗と逢った旨を報告するという事だ。

 今日の所は少し話しをした後、食堂を出て行った。

 送って行くべきか迷った悠斗。


「さすがにここでは迷子にはならないよな?」


 義彦のその一言と頷く二人。

 彼女達の意志を尊重する事にした。


「因果・・・ですか?」


「因果ってもとは仏教用語らしいぞ」


「へぇ、そうなんですね?」


「所長・・理事長が言ってたんだけどな。しかし、あの二人の耳に気付かなかったのか? 状況から考えると、隠蔽が途中で解けてそうな気もするけど」


 顎に手を当てている悠斗。

 まるで考える人のようなポーズだ。


「思い出してみれば、確かに、途中から髪が横に膨らんでた気もしますけど、慰めたり元気付けてあげたりするのに夢中で、深く考えてませんでしたから」


「まぁ、そうか。そうだよな。あ、今日からは、トレーニングは十七時半からだろ? そろそろ行かないと駄目なんじゃないか? あそこでまだ覗いている愛菜ちゃんも連れてな」


-----------------------------------------


1991年7月4日(木)PM:19:01 中央区精霊学園札幌校第一学生寮一階


「五月二十一日か・・・」


 考え深げに呟いた悠斗。

 隣で夕食を食べている愛菜。

 彼の呟きを聞いていた。


「迷子の二人に会ったからこそ、あの日は遅くなったんだよね。遅くなったからこそ、事件に巻き込まれちゃった。でも事件に巻き込まれたからこそ、三井さんや由香さんに出会ったって事なんだね。そう考えると何か不思議だよね」


「――そうだね」


 十字に切られたじゃがバター。

 悠斗は一欠片、口に入れた。


「そう言えば、ゆーと君ってあの時、なんでまた円山なんかに行ったの?」


 そう愛菜に聞かれた悠斗。

 あの時の己の記憶を思い出そうとする。

 何処か渋い顔になった。


「なんだっけなぁ? うーん? あぁ、そうだ。前の日に、愛菜が円山の八十八箇所がどうとか言ってたよな?」


「うーん? 言われて見ればそんな事を言ったのかもしれないけど? 覚えてないかな?」


 何気ない言葉だったらしい。

 彼女は、前日の記憶については不鮮明のようだ。


「ふと、行ってみようかなと思ったんだと思う。円山八十八箇所に」


「へぇ、そんな所あるんだ?」


 対面の席で食事に夢中だった雪乃下 巫(ユキノシタ ミコ)。

 彼女が話しに混じってきた。


「確か、京都市にある円山公園をモデルに、造成された公園でしたっけ? 円山の八十八箇所も、四国八十八ヶ所にちなんで八十八の像があるんですよね。今では八十八以上のたくさんの像があるらしいですけど」


「嚇はたまに妙な事詳しいよねぇ」


「そうなんだ? 知らなかった」


「僕も初めて聞いた」


 そんな会話を続ける彼らの隣のテーブル。

 では、食事を楽しみながら食べている二人。

 ミオ・ステシャン=ペワクとマテア・パルニャン=オクオ。

 そして二人を見て、微笑んでいる鬼那と土御門 鬼威(ツチミカド キイ)がいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る