137.激昂-Indignant-

1991年6月10日(月)PM:13:14 中央区人工迷宮地下一階西ブロック


「私達を嵌めたのか!? 裏切ったのか!?」


 彼女の声には、途方も無い怒りが籠められているのがわかった。

 憤怒の眼差しで見つめる彼女。

 今にも飛び掛っていきそうな怒りの表情だ。


 そんな、彼女の詰め寄るような言葉。

 何処か涼しい顔で、男は微笑んでいる。

 その両手の先にぶら下がる、巨大な手のような物。

 血塗れの、その光景とは何処か、相容れない表情だ。


「何の事を言っているのでしょうかね? この小娘さんは?」


「なんだと? イーノム貴様!?」


「そもそも傭兵なんかと、仲間になった覚えなどありませんよ。仲間でも無い相手に、嵌めたとか裏切ったとか言われる筋合いはないと思いますが?」


 先程の目の前の残虐行為の衝撃。

 いまだに平常心を戻せていない桐原 悠斗(キリハラ ユウト)。

 ただただ、二人の会話を聞いているだけだ。


「アグワット・カンタルス=メルダーと、その一人娘アリアット・カンタルス=メルダーは、私が引導を渡して差し上げましたけどね」


「貴様!? アルスを殺すだけじゃあ、飽き足らずに!? 殺す!! 殺す殺す殺す!!」


 凶悪な程に怒りに顔を歪める彼女。

 既に、周囲の事は既に眼中にない。

 光の完全に戻ったその瞳。

 そこに宿るのは、悲しみと怒りを通り越して純然たる殺意のみ。

 憎悪という名の感情に支配されている。

 既に思考回路は、正常ではなくなっていた。


「アルマ・ファン=バンサンクル=ソナー、確か【獣乃牙(ビーストファング)】のソナー家の双子の片割れでしたね? もう一人の片割れがアルス・ファン=バンサンクル=ソナー。そうですか彼は死にましたか。これは愉快痛快ですね」


 邪な微笑みで口角を吊り上げた男。

 心底嬉しそうに笑い声をあげた。

 そこで殺意を辛うじて押し留めていたアルマ。

 理性の堤防が決壊した。


≪クリンゲ デス ウィンド デル ヴェルルテイルング≫


 彼女は意識して唱えたわけではない。

 無意識に、使い慣れた魔術を唱えただけだ。

 戦略的とか戦術的とか、そんな事は考えてなんていない。

 純粋なる殺意に塗りこめられている。


 放たれた目視不可の二枚の刃。

 不可視の刃はしかし届かない。

 彼の巨大な拳状の物体。

 まるで位置を特定しているように握り締め、捻り潰した。


「この形藁 伝二(ナリワラ デンジ)、たかが小娘に負ける程、甘くはないですよ。まぁ本来不可視のこの両手が見えているのは、ハンデだとでも思ってくださいな」


 明らかに相手に侮られているアルマ。

 その言葉に彼女の怒りが更に燃え上がった。


「ふざけるなぁぁ!!」


≪リチュト デル アウスウィルクンゲン ヘフティグ クナルレン≫


 黄色の衝撃が形藁に向って放たれる。

 彼の手の延長上にある、血にまみれた左の拳が、衝撃波に振るわれた。

 本来であれば衝撃波に触れた対象は、一定距離吹き飛ばされてから破裂する。

 だが逆に、左の拳に殴られた衝撃波が、粉々に砕け散った。


 その間に、右の拳がアルマ目掛けて飛んで行く。

 横薙ぎに振るわれた拳を、屈みながら前に飛ぶ事で紙一重で交わしたアルマ。

 次に真直ぐ振るわれた左の拳を交わして、その腕に飛び乗る。


 右の拳は迷宮の壁にぶち当たる。

 その壁面に穴を開けて、小さなクレーターを作っていた。

 飛び散る破片。

 悠斗と河村 正嗣(カワムラ マサツグ)は、茫然自失の沢谷 有紀(サワヤ ユキ)を守るように抱えて離れる。


 それでも、飛び散る破片に曝された三人。

 いくつか切り傷を負わされることを、免れ得なかった。


≪スペエル デス リチュト ネフメン エインゲウィクケルト ウム デン フィンゲルスピトゼン≫


 周囲が見えていないアルマ。

 そんな事もお構いなしに、詠唱を終える。

 手刀状の右手の先に、スピアのように構築された光の鎗。

 形藁の首元目掛けて右手を振るうアルマ。


 しかし悠斗が次に見たときには、彼女は吹き飛ばされて、天井に縫い付けられていた。

 血反吐を吐いている。

 少しすると、受身を取る事も出来ずに、地面に叩きつけられた。

 何が起きたのか、理解が追いつかない悠斗。

 隣の正嗣も同じようだ。


「二本しかないとは、一言も言ってないんですけどね。固定観念という奴でしょうかね? 思い込みというのは、一瞬の生死を分けるものですよ」


 再び血反吐を吐きながらも、立ち上がろうとするアルマ。

 一度立ち上がるが、殺意に支配される心とは裏腹。

 体は正直な者だ。


 再び膝から崩れ落ちる。

 背中に空いた五つの細い穴から、血を溢れさせている。

 その穴よりも先に、床に接地している腹部側からの血が拡がっていった。

 状況から考えれば腹部にも同様の穴が開いているのだろう。

 貫通して背中にも、穴が開いたと考えられる。


 しかし悠斗も正嗣も、貫通したのが何なのか理解出来ない。

 アルマが縫い付けられた天井を見る。

 暗がりの為か理由は判然としない。


 次に形藁を見た二人。

 空中で不自然に血が滴って濡れている。

 横並びの四つの棒と、少し下にある短めで太い棒。

 それが指先ではないかという推測に至るまで、さして時間はかからなかった。


 何度も立ち上がろうとするアルマ。

 だが、呻きと掠れた叫び声をあげるだけだ。

 立ち上がる事が出来ない。


 腹部を貫通しているとすれば、内臓はズタズタになっているのだろう。

 意識も、あるのかないのかさえ、わからない状態だ。

 ただただ頭を支配する殺意の衝動。

 復讐の心で、半ば本能のままに動いているだけ。

 それでもその動作は、徐々に緩慢となりつつある。


「手加減しているのに、こんなものですか。面白みも何もないですね。殺しますか」


 巨大な血の塊に塗れた拳が、アルマ目掛けて飛んで行く。

 しかしその拳は手前で静止した。

 アルマの前に、悠斗が立ちはだかったからだ。


「何のつもりでしょうか?」


「目の前で、人が殺されるのを黙ってみてられるかよっ!?」


 恐怖で竦みあがりそうな心を叱咤する。

 半ばやけくそ気味に叫んだ悠斗。


「その娘は世界的にも、一部では有名な犯罪者組織の人間。殺されて当然なんですよ」


 悠斗の行動が、正直理解不能である。

 とでも言うかのように、不可思議な事態でも見るような眼差しの形藁。

 実際には考えるより体が先に動いた。

 その為、悠斗自身考えて行動したわけではない。

 故に何故に、自分がこんな行動をしたのか自分自身驚いている。


「正直考えての行動じゃないから、自分でもよくわかんない。だけど、自衛隊のお偉いさんだか何だか知らないが、あんたに彼女を殺す権利なんてないはずだ」


「権利ですか。裏の世界を知らない平和ボケな人間、じゃなければ出てこない言葉ですね。形は変わったとしても、この世は弱肉強食。弱い者は強い者に従うしかないのですよ。それに逆恨みとは言え、彼女は今後も私に復讐をしようとするでしょう。煩わしいので、今のうちに排除しようとして何が悪いのですか?」


「復讐が何を指しているのかよくわからない。それでもあんたに彼女を殺す権利なんてない!」


「権利ですか? そうですねぇ。特例的に条件付で、殺害を許される立場の者がいるとしたら?」


「な? 何を言ってるんだ?」


「言葉の通りですよ。それとも君が、彼女の復讐心を止めてくれるのですか? それならば、殺す事を取りやめるのも、やぶさかではありませんが」


「それは・・・・やってみないと」


「それに、あなたは愛しい者が目の前で惨殺され、惨殺した張本人に復讐する機会が訪れたとしても、復讐しないと言い切れるのですかね?」


「それは・・・正直わからない」


「素直ですね。素直な人間は嫌いじゃありませんよ、桐原君」


「一応褒められてるのかな?」


「えぇ、もちろん賛辞のつもりです」


「敵対している相手に言われても余り嬉しくはないけど・・」


 そのやり取りは正嗣によって打ち破られる。


「復讐がどうとか、何でそんな話しになってるのかわかんないけど、ごちゃごちゃ五月蝿いんだよ。この娘を助けるってそう決めた。それだけだ! それ以上でもそれ以下でもないだろうが!!」


 その正嗣の言葉に、少しだけ救われた気持ちになった悠斗。

 暴走しがちな力を無理やり押し止めながら、形藁に突っ込む正嗣。

 振るわれる右拳を交わして、更に左拳もよける。


 そしてそこで、正嗣は足元にあった壁の破片を、渾身の力で蹴り上げた。

 形藁に向った破片は空中で粉々に砕け散る。

 それでも破片を蹴り上げたり、拾い上げて投擲したりを繰り返す。


 本体に当たりそうな破片だけは、空中で叩きとされていく。

 しかし正嗣は、血塗れ以外の透明な何か。

 そのおおよその位置をそれで把握した。


 更に破片を一個拾い、その隙間を縫うように投げつける。

 だが正嗣の予想を裏切る行動にでた形藁。

 その破片を素手で掴んだのだ。

 掴んだ破片を、難なく握りつぶす形藁。


「そんな子供みたいな方法では私は倒せないよ」


 その言葉が終わるのと同時だった。

 弾き飛ばされた正嗣。

 何度か地面をバウンドして仰向けに倒れる。

 口からは血を垂らして、何か呻いていた。

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